144:盟友と呼ばれた男達

 

 

 その日、俺は最高に興奮していた。

 

 

『やっべぇ!今日、中里さんが講師の日だろ!?スゲェ楽しみなんだけど!どうしよ、めちゃくちゃ緊張してきた』

『サトシー。それ、飯塚さんの時も全く同じ事言ってたよ』

 

 興奮する俺の隣で、金弥が呆れたように言う。声につられて其方を見てみれば、壁に背中をつけ、ボケっと天井を眺める金弥の姿があった。俺からすれば、どうしてこうも落ち着いていられるのか全く理解できない。

 

『そりゃあそうだろ!飯塚さんと中里さんなんて声優界の大御所中の大御所じゃねぇか!ワクワクするっ!』

『あーもう。サトシにつられて早くき過ぎたー。もうちょい寝てれば良かったー』

『お前は何でもギリギリ過ぎなんだよ』

 

 確かに、授業開始まであと二十分近くある。

でも、もし中里さんが早く来たりしたら、それこそ大変だ。こういうのは、何でも早め早めに動いていて損はないんだ。

 

 そう、時計から顔を戻すと、先程まで眠そうに天井を見ていた金弥の顔が、俺の目の前にあった。

 

『サトシ』

『な、なんだよ。急に』

『……なぁ、昨日あんまり寝てないだろ。目の下、うっすらクマが出来てる』

 

その言葉と共に、金弥の親指がソッと俺の目の下へと触れてくる。ついでに、余った指で俺の耳を撫でてくるモンだから、くすぐったくて仕方がない。

 

『大丈夫だし。寝ないのなんていつもの事だ』

『……また喉痛くなるよ』

『ならねぇって!』

 

 金弥は、たまにこうして俺の世話を焼こうとしてくる。金弥の癖に、俺の世話を焼こうなんて百年早いんだよ。

俺は未だに俺の顔にスルスルと触れてくる金弥の手をどけると、寝てない興奮のまま金弥の顔を見上げた。

 

『そんな事より!お前は楽しみじゃないのかよ!前回は、飯塚さんで、今日は中里さんだぞ!なぁなぁなぁ!』

『まぁ……。楽しみは、楽しみだけど』

『な!?熱すぎるよな!何このラインナップ!俺、来月学費多めに請求されても文句ない!』

『いや、学費多めに請求されたら俺達、露頭に迷って飢え死にするから!』

『本望!』

 

こういう興奮は、いつも金弥と共有してきた。そうすると、一人でワクワクするより楽しい事を、俺は昔から知っているのだ。

 

『それに、今回は、飯塚さんの時みたいにならないように、ちゃんと準備してきたんだぜ』

『え?ナニソレ』

 

 俺は鞄からノートとペンを取り出すと、ズラリと書かれた質問を、上から下まで眺めた。前回の飯塚さんが講師の時。俺は学びのチャンスをドブに捨てようとした。まぁ、金弥のお陰でそうならずに済んだが、今回はそんな事はさせない。

 

『よし、今回は大丈夫。これで、全部』

『うわ。コレ全部、中里さんへの質問?』

『うん』

『……うんって、サトシ。こんなに色々聞く時間、絶対ないよ』

 

 金弥からの、もっともな指摘。そんな事は、もちろん俺だって分かっている。

 そもそも、質問する時間すらないかもしれないのだ。

でも、だからと言って、飯塚さんの時みたいにチャンスを前に、手をこまねくなんてもう御免だ。

 

なにせ、『才能ってのは、人生で幾度も巡ってくる機会を迷いなく掴み取る握力と、失敗した時に、そこから学べる冷静さ』なんだから!

 

飯塚さんから貰った金言は、全部暗記した!

 

『いいんだよ!準備だけでもしとかないと、いざ質問オッケーになった時に何聞いて良いか分かんなくなるかもだろ?俺、緊張すると頭真っ白になるし……』

『サトシ、飯塚さんの時もヤバかったもんなー?』

『うるせぇ!飯塚さんは……見た目とかも、ちょっと怖かったんだよ!』

『俺の腕、凄い腕握りしめてきてさぁ』

『うるさい!もうそれは言うな!』

 

俺が金弥を睨み付けると、そこには、そりゃあもう嬉しそうに笑ってこちらを見つめる金弥の姿があった。そんな金弥の会心の笑みに、俺は慌てて視線を手元の手帳へと避難させる。

 

『怒んないでよ。あーぁ、耳真っ赤じゃん。サトシ、かわいいーね』

『うるせぇ!こっち見んな!可愛くねーし!』

『えー』

 

 相変わらず、金弥の笑顔は威力が凄い。

俺達の近くに居た女の子達も、何やらコソコソと囁き合っている。

 どうせ、格好良いとか、付き合いたいとか、そんな所だろう。聞こえなくても、そのくらい分かる。そんなのは、今まで何度も何度も聞いてきた。それこそ、耳にタコが出来る程。

 

『サトシ?怒った?』

『……』

 

 それにしても、いつからだろう。

 

『サトシ、ごめんってば。でも、可愛いって褒め言葉じゃん』

 

 いつから金弥は、こんなに格好良くなった?

 いつ、俺は金弥から身長を抜かされた?

 何がきっかけで、金弥は俺を“こんな目”で見てくるようになった?

 

『ねぇ、さとし』

 

 もう、全然分からない。ずっと一緒なせいで、日々の小さな変化に気付く事が出来ない。変化は、日常というなだらかな時間の流れによって平らに均され、いつしか“当たり前”になる。

 

 ずっと一緒は、時として大事なモノを見落とす事もあるのだ。

 

『さとしってば!』

『ハーー』

 

俺は飯塚さんの質問のページに書かれた言葉を一通り眺め終えると、顔に籠っていた熱を、一気に霧散させた。

つーか、金弥なんかより飯塚さんの方が断然格好良いし。

 

『飯塚さん、見た目は怖かったけど。優しかったな。格好良かったし』

『……また言ってる』

 

 そうしみじみ言うと、フイと俺から顔を逸らしてしまった。

 

 その顔に、俺は一瞬ギクリとする。

そういえば、前回も俺が飯塚さんを褒めちぎっていたら、金弥は物凄くやる気を失ってしまった。あの、無気力で無感情な金弥の顔が、未だに頭から離れないのだ。

 

『なぁ!キン!』

『なに?』

 

 声も、心なしか冷たい。

なんだよ、さっきまであんなに機嫌良さそうだったのに。俺が少しツンとした声の金弥に、何を言うべきかと思案したところ、ふと、先程まで目を通していた質問のメモ帳が目に入った。

 

『お願いがあるんだけどさ。もし、挙手制とかで質問して良かったら、お前も一緒に手ぇ上げてくれないか?』

『……』

『さすがに、質疑応答があっても、俺ばっかって聞き辛いし……頼む!』

 

 そう、俺は金弥の前で、パンと両手を合わせて頼み込むと、頭の上から『別にいいけど』と、少し声に感情の戻った金弥の声が聞こえてきた。

 どうやら、少しは機嫌を直してくれたらしい。

 

『ありがとな!キン!』

『じゃあ、その代わり。今日サトシの家に泊まって行ってもいい?』

『もちろん!』

 

 いつも勝手に泊まるじゃねーか。とは言わない。せっかく、機嫌が直ったのだ。このまま上手く転がしてやった方が後々楽だ。

 

『俺、どの質問聞いたらいいの?』

『えっと、コレが一番聞きたいやつ。次がコッチ』

『うわ。飯塚さんの時も思ったけど、結構マニアックな事聞くよな。サトシって』

『そうか?』

 

 金弥は、昔から俺が頼ると機嫌が良くなる。基本的に、俺が金弥の世話を焼く事が多い為、金弥のツボは心得ているつもりだ。

 ここぞという時には、俺だって金弥に頼ってバランスを取る。これまでも、ずっとこうしてやってきた。きっと、これからもそうだ。

 

『サトシってさぁ。中里さんが好きというより、ビットのマウントが好きなんじゃないの?』

『まぁ、確かにそれもあるなー。マウント、死ぬ程格好良かったし』

 

 そう。

 中里さんも、俺の好きなアニメ。【自由冒険者ビット】に出演していた声優の一人だ。

 

ビット達を捕まえる為に皇国から派遣されてきた敵兵の総長で、いっつもビット達を窮地に追い詰めてきた。

ただ、最後の最後。ゴックスの兄貴に裏切られて牢屋に入っていたビットを助けてくれたのが、他でもない中里さん演じるマウントなのである。

 

 その時の台詞が、最高にシビれるのなんのって!

 

『“自由は、こんな所で捕まってはいけない。さぁ、行け。ビット”』

『また、言ってる』

 

 俺は金弥を横目に見ながら、中里さんの声真似をする。でも、やっぱりどんなに真似ても、あの声の震えるような渋みは出せない。

 

 でも、まぁ自分で言うのも何だけど、良い線いってるとは思う。飯塚さんの声よりは、って所だけど。

 

『中里さんなぁ。深くて荒々しい声もアリだし。でも品が良くて知的な甘い声も出せる。さすが、飯塚さんと“盟友”って呼ばれてる人なだけはあるよ』

『はいはい』

『盟友かぁ。なぁ、キン?』

『ん?』

 

 俺の呼びかけに、金弥が苦笑しながら答える。

やはりその顔は、女の子が簡単に心を奪われてしまうのも頷ける程の、そりゃあもう甘い顔をしていた。

 

でも、金弥はこの顔を誰にでも向ける訳ではない。

 

『いつか俺達も、飯塚さんと中里さんみたいに格好良い呼び名で、二人一緒に呼ばれてみたいな!』

『……さとし』

 

 金弥の隣に並んで、昔のアニメの台詞なんて口にしてしまったせいだろうか。俺は此方を驚いたような顔で見つめてくる金弥の頭を、子供の頃のように撫でてやると、いつか訪れるかもしれない未来に、胸を躍らせた。

 

 ずっと一緒に走り続けてきた二人が、夢を叶えて、一緒に同じ作品に並び立つ。そんな、最高の未来を。

 

『うん、二人一緒に……呼ばれてみたい』

『な?』

 

 そう、俺の掌に甘えるように頭を寄せてきた金弥に、俺は薄く目を細めた。金弥の匂いがする。昔から変わらない。これは、太陽の匂いだ。

 すうと、鼻で息を吸い込みながら湧き上がってきた感情に、俺はハッキリと戸惑ってしまった。

 

 ただ、戸惑いながらも俺の中に生まれてしまった“優越感”という愉悦はとどまる所を知らない。どんどん、大きくなる。

 

『さとしぃ、絶対に一緒に声優なろうな』

『うん』

 

そう、俺は思ってしまった。

近くで、ずっと此方を見ていた女の子達に対して――

 

『いいだろ?ざまぁ見ろ』なんて。