145:ヴィタリックは凡王

 

 

 その瞬間、まさに俺達の宴はたけなわだった。

 

 

 

「ダメだと言っているのが聞こえないのか」

「そこを何とか……サトシの声がなければ、俺は今晩眠れそうにないのです」

「っまだ言うか!お前、一貴族の分際で王のモノに手を出そうなど!そろそろ分を弁えた発言をせねば、後悔する事になるぞ」

「でもっ!今の俺にはサトシが必要なのです!」

「くどいっ!」

 

 舞台の台詞合わせでもしているのかとも思える程、情感たっぷりな声が聞こえてくる。台詞の中身は置いといて、二人共、非常に良い声をしている。

 

「あの二人。ほんと、いー声だなー」

「サトシ?大丈夫?酔っぱらっちゃった?」

「エーイチも、いー声だ。その、声のまるみがいーんだよなー。角が無いって言うか。ソレ、どうやって出すの?」

「あ、ありがと。えっと、わかんない、かな」

「天性の才能かよー。ずりー」

 

 若干戸惑いの視線を向けてくるエーイチに対し、この時の俺は、そんなの一切気にも留めなかった。

 

「あー、さいこー」

 

 なにせ、俺は、

 

「酒って、こんなに美味かったのか……いーな」

 

その日、俺は生まれて初めて酒を美味しいと思っていたのだから。

 

「おい、二度俺に同じ言葉を言わせるな?さもなくば、今すぐんでも、その首を刎ねてやるからな」

「刎ねられるのも覚悟の上だと言ったら……許してくださいますか?」

「許すか!お前がどんな覚悟を持とうが、俺には知った事ではない!」

 

 そう、隣でピシャリと言ってのけるイーサの声に、俺は思わず感嘆の息を漏らした。

 

「なぁなぁー、キン。今のお前の声、良かったぞ。きょう一番のこえだ」

「ほ、本当か!サトシ!」

「おう、飯塚さんにすごく似てた。いーな、いーな。うらやましーぜ」

「うらやましいとは、格好良いという事か?」

「うん、かっこいーな」

「っ!」

 

 その瞬間、先程までテザー先輩に対し、これでもかという程の厳しい表情をしていたイーサの顔が、パッと甘えたような表情を浮かべる。

 

あぁ、金弥の顔でコレをされると妙にしっくりくる。俺だけに見せる、ドロドロのあまあまの顔だ。

 俺は愉快な気分にどっぷりと浸りながら、三杯目の酒に口を付けた。うん、うまい。

 

「しかし、サトシ?その“イイズカサン”とは誰だ?」

「あー、分かんねーよなー。えっとなー、ヴィタリック王の事だよ」

 

 俺がイーサの体に寄りかかりながら言うと、その瞬間、イーサはトロトロに甘えたような幼い表情から、一気にその甘さを消し去った。

 

「っ!なんで、ここでアイツの名前が出てくる!似てない!あんな、老いぼれの声と一緒にするな!」

「なぁに怒ってんだよー。キンー。これは、褒めてんだぞー。ヴィタリック王の声といったら、渋くて、低くて、粗野なのに、高貴さもあって……あぁ、憧れるなー」

「なんで、あんな奴に憧れる必要がある!サトシはあんなシワシワが好みなのか!?」

「はー?」

 

 イーサに問われ、少し考える。

 別に俺はシワシワが好みな訳ではない。ただ、飯塚さんの声の渋さは、同じ男なら一度は憧れてしまうモノがあると思う。

 

「……ああ。好みだな」

「っああああ!許さん許さん!何を言ってるんだ!あんなヤツ大した事ない!サトシは美化された歴史に目が曇らされているんだ!」

「はー?」

 

 イーサは手に持っていたグラスをガタンと勢いよくテーブルへと叩きつけると、勢いよくその場に立ち上がった。

 

「民衆が王を英雄と讃える時!それは、この二つしかない!どういう時か!ソレは――!」

 

 おお、何か急にイーサが舞台染みた事を始めた。今の声はどちらかといえば低さに重きを置いた声だ。うん、王様っぽくていいじゃないか。

 

「一つは、政策によって国を富ませた時。そしてもう一つが、戦争に勝ち、領土を増やした時!この二つである!」

 

 イーサのその朗々と響く声に、それまでギャーギャーと騒ぎ立てていた皆の視線も徐々にイーサへと集まり出した。

そうだ。金弥の声は、どんな場所でも周囲の耳を奪う。まさに、”主役“の声だ。

 

 それに引き換え俺ときたら、

 

「前者は非常に難しい!なにせ、いつの時代も国とは生き物に他ならないからだ!その為、為政者は時勢の応じ、多種多様な政策を試みる!しかも、施行した政策が民にどのように受け入れられるか、どのような結果となるのか……こればかりは、机上の空論では論じ得ぬ為、必ずしも正解は存在しない!」

「へぇ」

 

 若干のネガティブさに引っ張られそうになっていた俺だったが、イーサの余りにも雄弁な語りに、落ち込んでいる暇などなかった。

 とんだ我儘な癇癪坊やかと思ったが、こうしていると、もう立派な“王様”みたいじゃないか!

 

「……いいじゃねぇか。キン」

 

 声も、飯塚さん。いや、まさにヴィタリック王みたいだし!

俺は、イーサの語りに、なんだか胸の高鳴りが抑えられなかった。あぁ、ワクワクする!

 

「ただ、後者はそうではない。正解がただ一つ存在する!それは、敵国に勝つ!それは正しい理論に則り、敵を知り、己を知れば、そう難しい事ではないのだ!それに、我が国、クリプラントは元々地政学上、攻めにくく堅牢である!」

 

 悠然と弁を振るう一人の王様が、そこには居た。隊の皆も、テザー先輩も、エーイチも、そして俺も。身を乗り出して聞き入っている。

 

「だからこそ!ヴィタリックが、今もこうして英雄と讃えられ賢王などと言われるのには、俺は納得がいかぬ!ただ、アイツが即位した際にたまたまリーガラントとの“勝てる”前提の戦争が起こっただけの事!そして、幸運にもゲットーまでもが割譲された。つまり!ヴィタリックとは、賢王などではなく、ただ幸運だっただけの凡庸な王だ!」

 

 その言葉に、俺は自身の眉がヒクリと揺れるのを感じた。

 

なんだって?今、コイツは何と言った?

勝てる前提の侵略戦争?

ヴィタリック王が“凡王”?

ほう、ほうほうほうほう!

 

「民衆は思っただろうさ!敵国の魔の手から若き王が華麗に人間達を打ち払った、とな!しかし、中を見てみればどうという事はない!あんなのは、勝って当たり前の侵略戦争だ!国を富ませたワケでも何でもない!」

「へぇ、そうなのか」

 

 俺が酒のジョッキを片手に立ち上がったイーサの顔を見上げる。そこには、得意気な顔で此方を見下ろす……金弥の顔があった。

 

「そうだ!サトシも目を覚ませ!その後のヴィタリックの偉業と呼ばれた活躍の数々も、知識もってその中身を紐解けば何の事はない!アイツは凡庸な王だ!その点、俺の方が――」

 

 ガタンッ!

 

 その瞬間、俺はイーサの声を遮るように手に持っていたジョッキをテーブルの上へと叩きつけた。その音に、今度はイーサを含め全員の目が俺へと集まったのが分かる。

 良いじゃないか。今は酒のお陰もあってか、何でも出来そうな気がする。

 

「ほう?」

「さ、さとし?」

 

 イーサの戸惑ったような声が、俺の名前を呼ぶ。この声のテンションは、懐かしい。よく、金弥が調子に乗った事を言った時など、俺が諫める時によく聞いた声だ。

 

——–さ、さとし?なに?怒った?

 

 いいや?怒ってなんかいねぇよ。ただ、言いたい事はある。

 喉に触れる。アルコールで少し感覚が鈍くなってはいるが、大丈夫そうだ。それに、イーサの唾液も、此処に来る前にしこたま頂いている。

 

 今なら、金弥にも勝てそうな気がする!

 

「キン?お前、何も分かっちゃいねぇーのな?」

「な、なんだ」

 

 俺は立ち上がると、圧倒的に身長差では敵わないイーサの体にズイと近寄ってみせた。そして、丁度俺の目の前にある、そりゃあもうしっかりした筋肉で覆われている胸板へと人差し指を突き付けてやる。

 

「あの、第三次国家防衛戦線が!どれだけヤバかったかお前は知らねぇから、そんな事が言えんだよ!バァカ!」

「そっ、それは!ヴィタリックが後々統治しやすいように脚色された歴史で、」

「ちげぇよ!マジでヤバかったんだからな!おい!キン!ここじゃ狭い!真ん中に行け!俺があの時の戦いの裏側を再現してやる!」

「え?なんでサトシが、そんなことを……」

 

 そう、イーサの戸惑いに満ちた目が俺を捉える。その視線に、俺は心の中だけで答えてやった。

 

 何でかって?

そりゃあ前作。【セブンスナイト3】は、賢王ヴィタリックが、このクリプラントの頂点に立つきっかけとなった時代。

 

 六百年前のクリプラントが舞台だったからだよ!

 俺はイーサを、いや。“金弥”を連れて舞台へと上がると、セブンスナイト3の記憶を掘り起こした。

 

 さぁ、金弥。お前も、俺の声を聴け!