160:喪に服す

 

 

「……はぁ」

 

 あの楽しかった打ち上げから三日が経過した。弾けるような笑い声と、酒場の中の喧騒が今も目を瞑ると耳の奥に蘇ってくる。

 

 楽しかった。本当に、楽しくて楽しくて。

 しかし、今や、あの明るかった雰囲気は一切なくなってしまった。これは、打ち上げが終わってしまい、いつもの“日常”に戻ってしまったから

 

ではない。

 

「……王様が亡くなると、国中が一週間は喪に服すのか」

 

 今朝、正式に王室からヴィタリック王逝去の通達が国民へとなされた。彼が亡くなっている事は、俺の中で飯塚さんが亡くなった事と同時に、当たり前のように胸の中にあったので、特に驚きはしなかった。

 

 ヴィタリックには誰を代役に立てようとも務まらない。彼は飯塚さんでないと。

 

 

 ただ、エルフ達にとっては、やはりそういうワケにはいかなかった。

その場で泣き崩れる者が続出し、皆一気にその表情を暗くした。特に隊長クラスの年齢層の高いエルフ達の動揺は凄まじく、「これからこの国はどうなるんだ」と、絶望を露わにする程だった。

 

まぁ、俺からすれば「次はイーサだろ?」の一言に尽きるのだが、まさか悲しみに打ちひしがれる隊長達を前に、そんな事など言える筈もない。

 

このクリプラントという国における“ヴィタリック”の存在の大きさを、俺はその時改めて目にした気がした。

 

 “独裁政治”というと、民主主義が正義のような価値観の中生きて来た俺にとっては“悪”のように聞こえなくもない。しかし、このクリプラントではどうだ。

 皆、一人の王をこんなに愛し、誇りに思って生きている。

 

「だから、エルフは自分達の種族に、あんなに誇りを持って生きてるんだろうな」

 

 何事も、国の在り方に善も悪も存在しないのだ、と改めて知った瞬間だった。

 

「でも。ホントに、一週間全部止まるのか……これで皆大丈夫なのか?」

 

 俺はシンとする兵舎の前を通り過ぎながら改めて思った。

 喪に服す一週間、この間は国民全員が必要最低限の事だけしか行わないらしい。故に、兵の訓練も一旦中止になった。

 

王宮では様々な喪の催事が行われているらしく、時折音声放送で、その内容が語られている。

 

 しかし、そんな中、俺はと言えば歩いていた。部屋から出てそりゃあもういつも通りイーサの部屋へと。先程、俺の部屋に王室からの使いの人が、伝言を言いに来たのだ。

 

『貴方の部屋守の仕事はこの七日間も解かれませんよ。と、マティック様からの伝言です』

 

「今更、俺の部屋守なんていらないんじゃ――」

ないのか?

 

 と、独り言を口にした時。

 どうやら、俺の喉は活動限界を迎えたようで、声が途切れた。喉の奥からは音のない呼吸音がひゅうと抜け出ていく。

 

 まぁ、こうして定期的に喋れなくなってしまう以上、どちらにせよイーサと会う必要はある。

 

(でも、いいのか?いくらなんでもイーサも忙しい筈だろ)

 

父親が亡くなり、その結果、王位継承がどうなるのかは分からないが、どちらにせよ今までのように部屋に引きこもっては居られない筈だ。

 

(でも、まぁ。マティックが来いって言ってるんだし。俺としては暇だから全然いいけどさ)

 

 

 気付けばイーサの部屋の前まで来ていた。いつも通り、目の前には立派で荘厳な扉。その扉を、俺は軽い調子で叩く。

 

 コンコン

 

 戸を叩いたと同時か、いや、もしかするとそれよりも早かったかもしれない。部屋の中からドタバタと何かが転がるような足音が激しく響き渡る。そして、次の瞬間。

 

「サトシッ!」

「っ!」

 

 俺の目の前には真っ黒な礼服に身を包んだ、美しいエルフが飛び出して来た。目の色も、髪の毛も弾けるような金色。その金色が、真っ黒な礼服の中に納まり、一際光り輝いている。

 

(きれいだ……)

 

 そう、声なき声で思わずイーサに見とれていると、俺の視界は一気に宙へと浮いた。

 

「サトシっ!やっと今日の分の儀式が終わったぞ!イーサは疲れた!イーサは物凄く頑張ったんだ!だから、」

「っ!?」

「サトシ!頑張れ!頑張れ!」

 

 出会い頭に放たれるイーサからの「頑張れコール」。どうやら、イーサは未だに“あの日”の事を根に持っているらしい。

 

「サトシ!頑張れ!」

 

 そんなイーサの嬉々とした言葉と共に、俺の体はまるでヌイグルミか何かのように軽々と抱え上げられると、気付けば骨が折れるかと思う程強く抱きしめられていた。

 

(痛い痛い痛い痛い!)

 

「サトシ。貴方が来るのが遅いせいで、イーサ王子の癇癪が凄かったんですよ?」

 

 これでもかと抱き締めてくるイーサの脇から、笑みを含む涼し気な声が聞こえてくる。言わずもがなマティックだ。

 いや、言われてすぐ来たし!とは、言いたくても言えない。今の俺は喋れないし、例え喋れたとしても、このイーサからの熱い抱擁は、俺の呼吸の自由すら奪っている。

 

(イーサ!痛い!)

 

少しでも気付いてほしくて、俺がイーサの尖った耳に向かって必死に声無き声で訴えかける。俺の口から漏れるのはタダの息なのだが、この際何でもいい!俺の方に、冷静な意識を向けてさえくれれば!

 

(おい!イーサ!)

 

 そう、俺がイーサの耳元で声無き声で叫んだ時だ。

 

「……おい、マティック」

 

 イーサの低い声が、マティックを呼んだ。

いや、なにマティックの方を見てんだ!まずは俺が呼んでるんだから俺の方を見ろよ!

 

「マティック。お前、いつまで此処に居る気だ?出ていけ」

「イーサ王子?儀式が終わったらサトシに会っていいとはいいましたが、ここから自由時間なんて、私は一言も言ってませんよ?」

「勅命だ。出て行け」

「勅命を出す手続きを踏むのは、私の仕事ですが」

 

 マティックからの素早い切り返しに、最初こそイーサも眉を寄せて眼光を鋭くしたが、すぐにその声は弱弱しくなった。

 

「……マティック。俺は、今朝からずっと頑張っただろ?」

「頑張ったと言われましても、あれが当たり前なんですけどねぇ」

「……しかし」

「イーサ王子。貴方、サトシに“頑張れ”と言う為に、御父上のように自分が頑張られるんじゃなかったんですか?私からすれば、まだ足りないように思われます」

「……う、うぅ」

 

 呻くイーサの腕が更に強くなる。そのせいで、気付いてしまった。俺の足に、何やら固いモノが当たっているのが。しかも、先程俺が必死に声の出ない声帯を震わせてアピールしていた耳は、今や火傷しそうな程真っ赤だ。

 

(イーサって耳が弱いのか……)

 

 あまりにも弱弱しいイーサの主張に、俺もチラとマティックを見た。バチリと合う視線。その目には明らかに揶揄いの色が見てとれる。

 

(マティックのヤツ、イーサで遊んでるな)

 

 きっと彼の事だ。イーサの下半身にも気付いているのだろう。ただ、『時間がない』が口癖のマティックが、ただの揶揄いの為にこんなやり取りを挟むワケがない。

 

だとすると、

 

「……仕方ありませんね。一刻だけですよ?」

 

 元々、イーサに時間を与えるつもりだったのだ。