186:前王への郷愁

 

 

 世も明けきらぬ夜中の事だ。

 

 カナニは城の一角に設けられた軍事演習場に居た。ヴィタリックの喪も明けきらぬ上に時刻は夜中である。カナニ以外の人物など誰も居ない……ワケでは無かった。

 前宰相カナニの隣には、二人のガタイの良い男が居た。片方は年若く壮年で、もう片方は中年と言ったところだ。顔の作りから何からよく似た二人の男は、一見して親子である事がすぐに分かる。

 

「なぁ、カナニ。本当にリーガラントと戦争になんのか?」

「さぁな」

「さぁなって……ヴィタリックも居ないこの状況で開戦なんかして、あの時みたいに上手くいくのかよ?」

 

 カナニの隣で、演習用の丸太に腰かけるのはガタイの良い中年の男。ドージだ。ヴィタリックの喪中故、酒場を閉めている彼は、夜中にも関わらず、息子のシバと共にカナニに呼び出されたのだ。シバはと言えば、父親とカナニの会話を黙って聞いている。ふと、夜空を見上げてみた。月が綺麗だ。

 

「正直言って、開戦は避けたい」

「だろうな。今はヴィタリックも居ない。今、リーガラントと戦争なんか始めでもしたら、ウチは勝て……」

「違うぞ、ドージ。今回は開戦後の勝敗に、殆ど意味はないんだ」

「なんだって?」

 

 昔から、いつもどこか飄々とした様子で冷静さを欠いた事のない旧友の、酷く緊迫感を帯びた声に、ドージは思わず顔を上げた。そこには、白を基調とした宰相服に身を包み、ピンと背筋を伸ばし起立するカナニの姿がある。

 その横顔は、どこか緊張しているようにも見えた。

 

「ヴィタリックが居ようが居まいが、俺達エルフは、もう戦うべきではない」

「何でだよ。ヴィタリックが居りゃあどうにでもなるだろ」

「どうにもならんさ。……もう、クリプラントには戦争に割くだけのマナの余剰が無いんだからな」

「は?」

 

 カナニからの予想外の言葉に、ドージは息を呑んだ。そして、それは隣で黙って話を聞いていたシバも同様である。クリプラントは、エルフの国だ。生活基盤の全てが、魔法により……否、マナに完全に依存している。そしてそれは、国防もまた然りだ。

 

「……減っている減ってるとは聞いていたが、まさかそこまでかよ」

「あぁ、この戦争。勝っても負けても、開戦した時点でクリプラントの寿命を大きく減らす事になる。人間よりも遥かに長い寿命を持つ種族の我々が、国家としては人間よりも早く尽きてしまうかもしれないのさ。皮肉な事にな」

「……だったら。なんで」

 

 自分を此処へ呼び出したのか。

 そう、ドージは尋ねそうになった。しかし、止めた。いくらマナの余剰が無くとも、敵国からの侵略を前にして、兵を挙げないという選択肢は、国家としてはあり得ない選択だ。

 

「開戦は……させないさ。ヴィタリックは俺にそれを託した」

「……そうか」

「なぁ、ドージ。今、確かに我々は危機に瀕している。ただ、それはあの頃のクリプラント防衛戦の時と何も変わらないと俺は考えているよ」

「何言ってんだ。全然違うだろうが。あの頃とは何もかも。なにせ、ヴィタリックが居ないんだからよ」

 

 居ない。そう、居ないのだ。

 あの戦いの折、一般兵と変わらない地位しかなかった若い自分と、本気で肩を並べて闘ってくれた王は。もう、この世のどこにも居ない。

 

——–ドージ。お前が居たから俺はあの場を制する事が出来た。お前は俺の友だ!さぁ、酒を飲もう!お前の持って来た酒は、何故だか城にあるモノより美味い気がするんだ!

 

 なんて、無邪気に笑って国を率いていた国王。そして、長年の友。泣くだけ泣いたと思ったのに、もう二度とまみえる事が出来ないと思うと、再び涙がこみ上げてくる。

 

「っは、ぐ」

「ドージ、お前も涙もろい男だな」

「……うるせぇっ。お前はどうなんだよ。カナニ」

 

 そう、ドージが悪くなった視界を正すべく、片腕で目を擦る。すると、腕の隙間から薄っすらとその顔に笑みを浮かべる友の姿が見えた。

 

「俺か?俺は……まぁ、そうだな」

「いや、悪い」

 

その顔に、ドージは自分の問いの愚かさに嫌気が差した。どうなんだもこうなんだもない。この平気そうに見える男が、この世で最もヴィタリックの不在に、大きな穴を抱えてしまっているというのに。

 お前はどうなんだ?など、余りにも愚か過ぎる質問だ。

 

「俺は早くこんな国家の存亡の危機など終わらせて、ヴィタリックの所へ逝きたいなぁ」

「カナニ」

「会いたい。本当に、会いたい。もう他に何もいらない。全部差し出していいから、ヴィタリックに会いたい。会いたくてたまらない」

「……」

 

 そうだろうとも。

ドージは拳を握りしめながら、心の中でカナニに詫びた。ヴィタリックが死んだ事を、この世で一番悲しむ者が居るとすれば、この男を除いて他に居ない。もしかして、このままカナニは本当にヴィタリックの後を追ってしまうのでは。

 

「おい、カナ……」

 

 そう、ドージが不安に苛まれた時だ。カナニの表情から、笑顔が消えた。と同時に、その表情にハッキリと力が増した。

 

「でも、まだそれは当分出来そうもない」

「……」

 

 ドージとカナニの視線が重なる。互いに昔には無かった皺が増えた。本当に年を取ったものだ。

 

 

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