185:宰相の微かな期待

 

 

 まったくもって予想通りの報告内容に、マティックは深く息を吐きながら報告書を机の上へと投げ捨てた。ここに登場するスリの子供、というのがエイダの関係者で間違いないだろう。もしかすると、エイダ本人かもしれない。

 

 なにせ、エイダは一つの姿で長時間存在する事はない、と父は言っていた。子供に姿を変えて生活をしていると言われても何ら不自然な事はない。

 

「明日には挙兵の準備が整うでしょう。向こうも大規模軍事演習の名の元に砦へと兵を終結させている。ウチも同じように、国境線沿いに軍を配備させるという事でよろしいでしょうか」

「まぁ、形式上は出兵が必要にはなるだろうな」

「開戦は最悪の事態ですが、視野には入れておく必要があります」

「……ああ」

 

そう、目を伏せて脇にあった抱き枕を抱き締めるイーサに、マティックは少しだけ近寄った。サトシがゲットーに発つ折に、自分に言ってきた言葉を思い出す。

 

『イーサはさ?あんなだけど、別に平気なワケじゃないからな。マティック。俺が居ない間、イーサを頼むぞ』

 

 まさか、人間風情にあんな事を言われようとは。

ただ、余りにも揺るぎない強い瞳で言われるものだから、マティックはただ頷く事しか出来なかった。そして、その言葉の意味が、たった今少しだけ垣間見えた気がした。

 

「そうならないように、私達が何とかしなければなりません。何とかしてみせます。イーサ王。だから、」

「なぁサトシは、今」

 

 マティックの言葉を遮り、イーサが口を開く。

 

「サトシが今どこに居るのか。今の段階では分かりかねます。ただ、粗方の予想はついておりますので心配は不要ですよ。サトシは無事な筈です」

 

 思わず言葉が早口になる。心配なのは分かるが、ここで癇癪を起されても困るからだ。

 

『お前らはバカだな』

 

 そう、サトシがエイダから情報を得る事を期待して強がっていたイーサだったが、やはり現実はそう甘くない。サトシは失敗し、今やどこに居るかも分からない状況だ。どこに居るか予想はついていても、それは決して確信ではないのだ。

 

「マティック。軍の準備の他に、リーガラント本国に正式に使者を送れ」

「今ですか?それは少し尚早過ぎかと」

「いや、今だ。サトシはリーガラント軍の砦で、捕虜になっている」

「だからそれは、予想であって……まだ確証が」

「確証ならある、見た」

「は?」

 

 見た、と言って自身の金色の瞳を指さすイーサに、マティックは目を見開いた。一体どういう事だ。

 

「先程眠っている間に、俺はサトシの動きを把握した。今の俺ならば、サトシが寝ておらずともサトシの状況を把握する事が出来る。今やサトシの目が、俺の目で。サトシの耳は俺の耳だ」

「なっ」

 

 どこか満足そうに口にするイーサに、マティックは閉口するしかなかった。いくら王家のネックレスといえど、そこまでの拘束力はなかった筈だ。すると、そんなマティックの疑問を察したのだろう。イーサは機嫌良くヌイグルミを抱き締めながら指を立てた。

 

「サトシには、声の為に俺のマナを固めたモノを与えた」

「そう、でしたね。確か」

 

 サトシはナンス鉱山での一件のせいで、喉に永続的な麻痺の症状が残ってしまっている。その対応策として、これまではイーサが直接サトシにマナを摂取させていたが、ここに来て、イーサとサトシが物理的に離れる事になった。その為、イーサがサトシに“自身のマナを固めたモノ”を渡したのだ。

 

「アレは、俺の体内で最もマナの濃い部分を凝固させたモノだ。それは、この世で最も尊いモノである」

「……はぁ」

 

 胸を張って得意気に口にする姿は、なんとも子供っぽくもあったが、ただ内容は子供っぽくはなかった。

 

「今、この世界で最も密度の濃いマナを体内に保有しているのは……この俺だ。その俺の、最も濃い部分をサトシに与えたぞ。なぁ。マティック。サトシの中は、もう俺でいっぱいだ」

 

 そう、爛々と目をギラつかせ、腹の上に置いたぬいぐるみを撫でるイーサは、その子供っぽい行為とは相反して完全に雄の目をしていた。つい最近、引きこもっていた折までは、性の知識や衝動などどうでも良さそうであったのに。

 

 これもまた大いなる王の成長と言えるのだろうか。

 

「サトシが人間で良かった。俺のマナに反発するマナが体内に無いせいで、よく馴染んでいる。おかげで、今、サトシが何を見て、どこに居るのか。今の俺には手に取るように分かるぞ。もっと、アレを体に入れてくれれば、もっともっとサトシと俺は一つになれる!良い気分だ!」

「……そう、ですね」

 

 状況としては、一気に好転した。

 イーサがサトシの足取りを掴む事が出来れば、此方も動きが後手後手にならずに済むからだ。やはり、イーサは抜け目がない。洞察力と先見に満ちた、王の器を持った者……

 

「……いや、ただの雄の欲望ですね。これは」

「ん?どうした?マティック」

 

 イーサが口元に深い笑みを浮かべながら、マティックを見た。

 

「いえ。良かったです。貴方様が、雄としてきちんとした欲求を持たれているようで。オスが相手の体を自分の種子で満たしたいというのは、生存本能の中でも最も根源的なモノです。これでクリプラント王家の血筋は安泰です。よかったよかった」

「何を言う。俺が種を満たしたいのはサトシだけだ。他には俺の尊い種はやらぬ。もったいないからな」

 

 さぁ、リーガラントへの使者の準備をせよ!

 そう、無邪気にニコニコと微笑む王を前にマティックは深い溜息を吐いた。エイダによりイーサが引きずり出される事態になるかと思ったが、まさか此方から相手を引きずり出す事になろうとは。

 

「では、夜明けと共に進軍と、使者の準備を」

「使者など、アイツにやらせたらどうだ?あの不届きな役立たずに」

「……テザー・ステーブルには砦付近に待機するように伝令を出します。一応、サトシの身柄の確保に動いて貰う可能性もありますから」

「そうか?まぁ、エーイチの事も心配だからな。役立たずにも多少役に立ってもらわねば困るからな」

 

 ぎゅうっ。

 そう、ひしゃげる程にぬいぐるみを抱くイーサを横目に、マティックは窓の外を見た。夜は深い。しかし、そのうち数刻もすれば空は白み始めるだろう。

 

「イーサ王」

「ん?」

「良かったですね」

「何がだ」

「友が出来て」

「……友じゃない。少し、他の者より知っている者というだけだ」

「そうですか。ならば、」

 

 何故か視線を逸らし、口を尖らせながら言うイーサ。その表情の意味するところは、まぁ、照れくささ、と言ったところか。

 

「他の者より知っている者が出来て、良かったですね」

「別に」

 

 ふとした会話に特定の人物の名が出る。やはり、それも以前のイーサでは考えられない事だ。

 

 これは微かな変化であり、しかし大きな変化だ。

 長年、クリプラントの大黒柱であったヴィタリックが居なくなった。それと同時に、百年間、扉を閉ざし続けたイーサが出て来た。

 

『イーサを頼むからな、マティック』

 

 マティックは思う。

あの、戸籍に名のない“サトシ・ナカモト”という人間について。

 

自分達エルフが把握できない人間が現れ、この国の王の手を取り扉から出した事こそが、まさにこの国の新しい夜明けだったのかもしれない、と。

 

——–サトシは、お前らの言う最大リスクにも、最大リターンにもない事をしでかすぞ?

 

 ふと、イーサの言葉が耳をつく。

 もしかしたら、本当に何かしでかすかもしれない。など、自分らしくもない謎の期待感を抱きながら、マティックは使者の手配の為、椅子に腰かけたのであった。