その夜、執務室に緊急の伝書鳩が舞い降りた。
「ん?」
執務室には伝書鳩が入り込めるように小さな戸がある。そこから入り込んできた鳩は、一枚の紙をスルリと部屋の中へ落とすと、すぐさま扉を抜けてと夜空へ飛び立った。
よく躾られている。そう、マティックは飛び去って行った伝書鳩を見送りながら思った。
「……」
床に落ちた手紙を拾い上げる。どうやらゲットーからの報告書のようで、手紙の口には【緊急】と、マナの印が打ち込んであった。これは、決められた相手にしか封が開けぬ、マナによる封書だ。
それをマティックは人差指でスルリとなぞる。すると、きっちり封のされていた手紙の口が開き、中から一枚の紙が出てきた。
「さて、どうなったでしょうね」
ゲットーからの報告。
それは、最高に運が良ければ「エイダから情報を得る事が出来た」と言う旨の報告書になるのだろうが、マティックの中で、その可能性は皆無に等しかった。
「……」
少し、考える。
今は、それほど深い時間とは言えないが、夜中である事には間違いない。こんな時間に緊急で報告書が飛ばされている時点で、もう“何か”あったとしか思えなかった。
悪い予感しかしない報告書など、正直読みたくなかった。
「……ふむ」
一呼吸を置く。ちょっとした現実逃避だ。いいではないか。あと僅かな時間くらい、何も知らない自分でいたって。
部屋をグルリと見渡してみると、現在、この執務室には二人のエルフしか居ない。一人は自分。そして、もう一人は父親であるカナニ……ではなかった。
カナニは、既にこの部屋には居ない。彼には、緊急で挙兵の準備を整えてもらっているところだ。戦争をするワケにはいかない。しかし、だからと言って戦う準備を怠るワケにもいかないのである。
いつだって自分達は“最悪の事態”を想定して動かなければならない。
ただ、まだ前王ヴィタリックの喪も明けきらぬ故、出来るだけ内密に、慎重に。
「マティック、何をしている。早くその報告書を開け」
「っ!」
そう、マティックが報告書を手にしたまま、ぼんやりしていると、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。そう、この声の主こそが、この部屋に居るもう一人のエルフの正体だ。
「マティック、ゲットーからの報告書を朗読せよ」
「……イーサ王」
「さぁ、早く」
寝起きとは思えない程ハッキリとしたその声に、マティックは肩をすくめた。いつの間に起きていたのやら。いや、むしろ寝ていなかったのか。
「起きておいでだったんですね。イーサ王」
「いや、寝ていたが?紙の擦れる音がしたからな。それで目が覚めた」
「……耳の良い事で」
冗談なのか、本気なのか。
どちらにしても王は目覚めてしまった。ソファの上にゆったりと腰かけるイーサの姿に、マティックは気付かれないように少しばかり眉を顰めた。
やはりイーサは、何も考えていないような顔をして、洞察力に優れている。王としては、とてつもない才覚の一つなのだろうが、マティックにとって、今はそれが少し面倒だった。
こういう時、本当に愚かな王であれば欺くのは簡単であろうに。
「さぁ。報告を聞こう。サトシが、どうしたって?」
勢いのある言葉でもないくせに、たたみかけるように口にされたその問いかけは、決して否や嘘を許さない力で満ちていた。真っ暗な部屋にあり、イーサの金色の髪の毛と瞳だけは、周囲を明るく照らすようだった。
「少々お待ちください。私もまだ見ていないのです」
「では、見ながら朗読せよ」
「……承知致しました」
マティックはゲットーからの報告書に目を通す。作成者はテザー・ステーブルとなっている。彼は、サトシと仲も良く、クリプラントの貴族社会の中では最も古い歴史を持つステーブル家の十三番目の子息であった筈だ。
この時点で、マティックの嫌な予感が九割方的中した。報告者の名前が、サトシではない。
———–
報告書
サトシ・ナカモト。エーイチ。両者共に昨日昼より失踪。スリの子供に盗まれたイーサ様からの贈物を取り返すべく、追いかけ直後音信不通となる。現在、二人の捜索の為、ゲットーにて情報収集中。
スリの子供の情報。中等教育課程ほどの見目。赤毛。
ゲットーでの聞き込みによると、赤毛の少年はよく街に下りて来て、盗みを働いているとのこと。
住処であると思われる森の奥へと向かうが、そこには何もなく、一カ所マナの掃き溜めのような場所あり。結界によるものかとも思ったが、術式を解いても何も現れず。
———–
「……との事です。困りましたね。エイダとの対談はまず場を設ける事すら叶わなかった、と。そういう事になりますね。コレは」
「まったく。とんだ役立たずではないか、アイツは。イヤイヤながらもサトシに同行させた意味がない。無能め」
「アイツ……このテザーという男と会った事が?」
「いいや。あんな不届きなヤツの事など、俺は知らん」
「ほう」
不満気な中に、やけに親し気な色を込めて発される“ヤツ”という言葉。この場合、“ヤツ”とは、報告者の“テザー・ステーブル”を指すのだろうが。まったく、いつの間にそのような親し気な間柄になったのやら。
まるで、“悪友”について語るようなその口ぶりは、つい最近まで引きこもりをしていた“イーサ王子”とは到底思えない。
——-そのうち“誰か”が、アイツを呼びに行くだろう。
——-誰かが、いつかアイツの部屋の戸を叩く時が来る。
いつかのヴィタリックの言葉が頭を過る。やはり、サトシが現れてからのイーサの変化は目まぐるしかった。
「待つ事も、王の仕事のうち、ですか」
「なんだ?」
「いえ、何でも」
マティックはヴィタリックが口にしていたという持論を思い出し、苦笑せざるを得なかった。それは王の仕事というより“良き父親”の仕事ではないかと思ったからだ。政治も子育ても、何事も根気が要るという事か。
「さて。イーサ王。今後の動きを、確認しましょうか」
しかし、王の成長を悠長に喜んでいる場合ではない。
サトシは、エイダから情報を得られなかった。そして、サトシはその姿を消した。これは紛れもない事実だ。