184:王の微かな成長

 

 

 その夜、執務室に緊急の伝書鳩が舞い降りた。

 

 

「ん?」

 

 執務室には伝書鳩が入り込めるように小さな戸がある。そこから入り込んできた鳩は、一枚の紙をスルリと部屋の中へ落とすと、すぐさま扉を抜けてと夜空へ飛び立った。

 よく躾られている。そう、マティックは飛び去って行った伝書鳩を見送りながら思った。

 

「……」

 

 床に落ちた手紙を拾い上げる。どうやらゲットーからの報告書のようで、手紙の口には【緊急】と、マナの印が打ち込んであった。これは、決められた相手にしか封が開けぬ、マナによる封書だ。

それをマティックは人差指でスルリとなぞる。すると、きっちり封のされていた手紙の口が開き、中から一枚の紙が出てきた。

 

「さて、どうなったでしょうね」

 

ゲットーからの報告。

それは、最高に運が良ければ「エイダから情報を得る事が出来た」と言う旨の報告書になるのだろうが、マティックの中で、その可能性は皆無に等しかった。

 

「……」

 

少し、考える。

今は、それほど深い時間とは言えないが、夜中である事には間違いない。こんな時間に緊急で報告書が飛ばされている時点で、もう“何か”あったとしか思えなかった。

悪い予感しかしない報告書など、正直読みたくなかった。

 

「……ふむ」

 

一呼吸を置く。ちょっとした現実逃避だ。いいではないか。あと僅かな時間くらい、何も知らない自分でいたって。

 

部屋をグルリと見渡してみると、現在、この執務室には二人のエルフしか居ない。一人は自分。そして、もう一人は父親であるカナニ……ではなかった。

カナニは、既にこの部屋には居ない。彼には、緊急で挙兵の準備を整えてもらっているところだ。戦争をするワケにはいかない。しかし、だからと言って戦う準備を怠るワケにもいかないのである。

 

いつだって自分達は“最悪の事態”を想定して動かなければならない。

ただ、まだ前王ヴィタリックの喪も明けきらぬ故、出来るだけ内密に、慎重に。

 

「マティック、何をしている。早くその報告書を開け」

「っ!」

 

そう、マティックが報告書を手にしたまま、ぼんやりしていると、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。そう、この声の主こそが、この部屋に居るもう一人のエルフの正体だ。

 

「マティック、ゲットーからの報告書を朗読せよ」

「……イーサ王」

「さぁ、早く」

 

寝起きとは思えない程ハッキリとしたその声に、マティックは肩をすくめた。いつの間に起きていたのやら。いや、むしろ寝ていなかったのか。

 

「起きておいでだったんですね。イーサ王」

「いや、寝ていたが?紙の擦れる音がしたからな。それで目が覚めた」

「……耳の良い事で」

 

 冗談なのか、本気なのか。

 どちらにしても王は目覚めてしまった。ソファの上にゆったりと腰かけるイーサの姿に、マティックは気付かれないように少しばかり眉を顰めた。

 

やはりイーサは、何も考えていないような顔をして、洞察力に優れている。王としては、とてつもない才覚の一つなのだろうが、マティックにとって、今はそれが少し面倒だった。

 こういう時、本当に愚かな王であれば欺くのは簡単であろうに。

 

「さぁ。報告を聞こう。サトシが、どうしたって?」

 

 勢いのある言葉でもないくせに、たたみかけるように口にされたその問いかけは、決して否や嘘を許さない力で満ちていた。真っ暗な部屋にあり、イーサの金色の髪の毛と瞳だけは、周囲を明るく照らすようだった。

 

「少々お待ちください。私もまだ見ていないのです」

「では、見ながら朗読せよ」

「……承知致しました」

 

 マティックはゲットーからの報告書に目を通す。作成者はテザー・ステーブルとなっている。彼は、サトシと仲も良く、クリプラントの貴族社会の中では最も古い歴史を持つステーブル家の十三番目の子息であった筈だ。

 

この時点で、マティックの嫌な予感が九割方的中した。報告者の名前が、サトシではない。

 

 

———–

報告書

サトシ・ナカモト。エーイチ。両者共に昨日昼より失踪。スリの子供に盗まれたイーサ様からの贈物を取り返すべく、追いかけ直後音信不通となる。現在、二人の捜索の為、ゲットーにて情報収集中。

 

 スリの子供の情報。中等教育課程ほどの見目。赤毛。

ゲットーでの聞き込みによると、赤毛の少年はよく街に下りて来て、盗みを働いているとのこと。

住処であると思われる森の奥へと向かうが、そこには何もなく、一カ所マナの掃き溜めのような場所あり。結界によるものかとも思ったが、術式を解いても何も現れず。

———–

 

 

「……との事です。困りましたね。エイダとの対談はまず場を設ける事すら叶わなかった、と。そういう事になりますね。コレは」

「まったく。とんだ役立たずではないか、アイツは。イヤイヤながらもサトシに同行させた意味がない。無能め」

「アイツ……このテザーという男と会った事が?」

「いいや。あんな不届きなヤツの事など、俺は知らん」

「ほう」

 

 不満気な中に、やけに親し気な色を込めて発される“ヤツ”という言葉。この場合、“ヤツ”とは、報告者の“テザー・ステーブル”を指すのだろうが。まったく、いつの間にそのような親し気な間柄になったのやら。

 まるで、“悪友”について語るようなその口ぶりは、つい最近まで引きこもりをしていた“イーサ王子”とは到底思えない。

 

——-そのうち“誰か”が、アイツを呼びに行くだろう。

——-誰かが、いつかアイツの部屋の戸を叩く時が来る。

 

 いつかのヴィタリックの言葉が頭を過る。やはり、サトシが現れてからのイーサの変化は目まぐるしかった。

 

「待つ事も、王の仕事のうち、ですか」

「なんだ?」

「いえ、何でも」

 

 マティックはヴィタリックが口にしていたという持論を思い出し、苦笑せざるを得なかった。それは王の仕事というより“良き父親”の仕事ではないかと思ったからだ。政治も子育ても、何事も根気が要るという事か。

 

「さて。イーサ王。今後の動きを、確認しましょうか」

 

 しかし、王の成長を悠長に喜んでいる場合ではない。

 

 サトシは、エイダから情報を得られなかった。そして、サトシはその姿を消した。これは紛れもない事実だ。