183:現実は……甘い!

 

        〇

 

 

『ほら、茶』

『……ほう』

 

 そう言って少年から出されたのは、完全に水だった。

 

『んだよ、文句あんのか?』

『ぜんっぜん!森の上質な川の水の感じがして最高に嬉しい!』

『いや、井戸から汲んできた地下水だけど』

『地下水も森の水じゃん!いただきます!』

『あ、サト……』

 

 俺は出された井戸水の入ったコップに手をかけると、一気に飲み干した。空になったコップをトンとテーブルの上へ置く。そんな俺に対し、エーイチは何やら諦めたように肩をすくめた。

 

いや、それにしてもマジで美味かった。最高。やっぱ、人間って体の七割が水分なだけはある!

 

『あぁー。生き返ったー』

『おにいちゃん、しんでたの?』

 

 水を飲んで満たされている俺に、足元で五歳くらいの女の子が首を傾げて尋ねてくる。その茶色の髪の毛は、自然とウェーブがかっており、目もクリクリとしている。

ヤバイ、めっちゃ可愛いんだけど。

 

『あ、今のはモノの例えでな?死ぬほど喉が渇いてたから、水を飲めて嬉しいって気持ちで……』

『しんだの?』

『んんんーー?』

 

 全然伝わっていない。ただ、本当に可愛い。俺がどう答えたものかと頭を悩ませていると、隣からエーイチが笑顔で女の子の頭を撫でた。

 

『そうだよ?このお兄ちゃんは一度死んで生き返ったんだ』

『すごいー!』

『そうだよ!このお兄ちゃん凄いんだよー』

『ひゃあ!あにきー!このおにいちゃん、しんでいきかえったよー!』

 

 テテテと、女の子が少年の方へと駆け寄って行く。

え?可愛すぎる。女の子って可愛すぎじゃん。姉ちゃんの子供が男の子だったけど、また違った可愛さがある。

 

 にしても、あんな可愛い女の子が口にする舌ったらずな『あにき』呼びも、またギャップがあってよろしい。こりゃマジの子供を声優に起用してるな。上手上手。

 

『最近は子役の低年齢化も凄いからな……』

『サトシ……?』

『あ、いや何でもない』

 

 また、メタな事を考えてしまった。最近こういうのが多い。俺がそんな事を思っていると、エーイチが周囲で遊び回りハーフエルフの子供達を見ながら、どこか懐かしそうに言った。

 

『サトシ?あぁ言う時は“正しい事”をわざわざ理解させてあげなくていいから』

『あ、うん』

『あの子の中で、一旦納得させてあげればいい。じゃなきゃキリがないからね』

 

 さすが、エーイチ。子供の扱いも手慣れている。最早、隙なしなんじゃないか。

 

『さすが、エーイチじゃん!もう俺と結婚するしかねー!』

『なんでそうなるんだよ。僕も孤児院育ちだから慣れてるってだけだし』

『何それ、俺と同じじゃん!運命じゃん!サイコーじゃん!』

『もうウルサイなぁ』

 

 女の子を撫でながらともかくエーイチを絶賛する少年に、俺は、ふとエーイチの手元の水が一切手を付けられていない事に気付いた。

 

『なぁ、エーイチ。ソレ飲まないなら、ちょっと貰っていい?』

『え?』

『俺、本気で走ってきたから喉乾いてて……』

 

 先程、一気に水を飲みほしたものの、まだ完全に乾きは癒えていないのだ。まぁ、他人のまで取って飲もうとするのは如何なモノと思うが、いや。マジで走ったから……!

 

『おい、エーイチの分まで取ろうとすんなよ。水ならまた俺が……』

『サトシ、コレ飲みな?』

 

 少年の声を遮ってエーイチが俺に差し出して来たのは、自分用に注がれた水ではなく、大きな鞄から出した水筒だった。

 

『え、いいよ。エーイチのお茶だろ?』

『いいから。サトシ、コレを飲みな』

『……』

 

 どこか頑なに水筒を差し出してくるエーイチに、俺はおずおずと頷いた。まぁ、俺は何か飲めればそれでいい。

 

『もう遅いかもだけど……』

『ん?』

『サトシ、体は何ともない?』

『別に何ともないけど』

 

 エーイチが少しだけ厳しい表情で俺に尋ねてくる。何だ、どうしたんだ?エーイチは。すると、そんな俺達を見ていた少年が、口元を抑え感極まったように言った。

 

『……エーイチってやっぱ最高だ』

 

 その声は、まるで今までと違っていて、おおよそ少年の出すような声ではなかった。色気が、凄い。なんだ、コイツ。

 

『僕、そういう漫然とした中身のない褒め言葉で靡いたりしないけど』

『最高の中身、今から言っていいか?なぁに、一晩もあれば語り尽くせる』

『言わなくていい。ねぇ、いい加減にしてくれないかな。僕達急いでるって言ったよね?ねぇ』

 

——–エイダ。

 

 エーイチがハッキリと少年を見ながらそう言った。

 

『は?ちょっ、エーイチ何を……』

『なぁ、エーイチ。いつから俺がエイダだって気付いてた?』

『ちょっ!は!?』

 

 エイダ?待って、コイツが?この、明らかに十代半ばにしか見えないこの子供が?

 

『いつからって言うか……隠す気なかったでしょう。お前』

 

 エーイチが自分の目の前の水を、エイダの方へと押しやる。

 

『僕、自分の水筒あるから、ソレ飲んでいいよ』

『いいや、遠慮しとく。なぁなぁ、何で気付いた?愛?愛のチカラ!?』

『愛とかないから』

 

 待て待て。あの水は一体何だ!俺、一気飲みしたんだけど!?

 俺はエーイチの水筒に口をつけつつ、空になったコップに目を向けた。え?俺死んだりしないよな?

 

 そんな俺の動揺など気にした風もなく、エーイチは背もたれのない椅子に深く腰掛けた。

 

『……エイダは最高に格好良い孤児院の“兄貴”なんでしょ?』

『あぁ、そうだ。エイダは甲斐性満点の格好良い兄貴だ』

『ねぇ、キミ。あの人は誰?』

 

 エーイチが周囲を走り回っていた男の子の一人を呼び止め、赤毛の少年を指さして尋ねた。すると、迷いない言葉でその子供はハッキリと言った。

 

『アニキ!』

『ありがとう。……ほらね』

『あは!そっかそっか!確かにな!』

 

 マジかよ。え?いつからこのゲームは、ミステリモノになった?ここ殺人現場?で、殺されるのは俺ですか?

 

『他には?』

『ここはエイダの兄貴が作った孤児院で、今は五人の子供が居るんでしょ』

 

 エーイチの言葉に、俺は部屋の中を見渡した。

 

 いち、に、さん、し、ご。

 そして、周囲を子犬のように駆け回る子供達を数え上げて『あ゛―――!』と叫び出しそうになった。もう子供が既に五人居る!そしたら、目の前でニヤニヤと此方を見て笑う少年は、確かに“子供”のポジションではない事が分かる。

 

『なぁなぁ?他には?』

『ダルイから時間稼ぎ止めて。っていうか、最初から変だと思ってたから』

『なんで?』

『お前の僕を見る目が、オス過ぎて気持ち悪かったから』

 

 エーイチがヒビの入った眼鏡の奥で、心底気持ち悪そうな表情を浮かべる。そんなエーイチに対し、自称エイダの少年は、興奮気味に自身の体を抱き締めた。

 

『あぁっ!今すぐ抱きたい。奥にベッドがあるけど、どうする!?エーイチ!』

『うん、そんな事になったら、舌を噛み切ろうかな』

『この俺が、エーイチを死なせるワケないだろ!』

『バカ言わないで。誰が自分の舌を噛み切るって言った?噛み切るのはお前の舌だよ』

『って事は、ディープキスは許されてるって事だよな!最高!』

『……』

 

 ちょいちょいちょいちょい!テンポ良過ぎて俺が完全に蚊帳の外なんだけど!っていうか!

 

『おい!その水何だよ!?待って!ほんと!あの、俺は死にますか!?』

 

 俺は机を叩いて椅子から立ち上がった。すると、エイダはニヤリと笑って小憎らし気に言ってみせた。

 

『死んでも生き返れるんだろ?お前。ならいいじゃん』

『そーなの。このおにいちゃん、しんでいきかえれるのよー?』

 

 先程の可愛い女の子が、エイダの足にまとわりつきながら言う。

 いやいや!生き返れませんっ!やっぱ、ちゃんと説明しておくべきだったね!でも、スゲェ可愛い!

 

『サトシ、多分死にはしないと思うからそんなに心配しないで。でも……』

『あ、れ?』

 

 その瞬間、目の前がグラリと揺れた。あ、こういうの、よく漫画とかアニメとかゲームとかで、見た事ある。コレ、アレだ。

 

『気は失っちゃうかも』

『……う、ぁ』

 

 遠くにエーイチの声を聞きながら、俺は力の入らなくなった体が重力に従うのを止める事が出来なかった。

 

『……っは』

 

 ただ、床に倒れ込むような衝撃はいつまで経っても襲ってこない。むしろ、温かい何かに包まれるような感覚さえある。

 

『サトシ。若造のキミに苦言を呈そう』

『……え、ぃち』

『これからは、知らない奴から出されたモノを、なんでも簡単に口に入れないんだよ』

 

 はい、肝に銘じます。

 よもや苦言とも言い難い、親が子供に言い聞かせるような最低限のライフハックを聞きながら、俺は混濁する意識の沼へ一気に沈んだのであった。

 

 

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—–

 

「と、まぁ……。うん。完全に俺の自業自得なワケだが」

 

 丁寧に過去回想をしても、牢屋の向こうからは誰も来ない。

 普通ゲームとかなら、この辺りで「出ろ」とか言って、敵の下っ端とかがやってきそうなモノなのだが。

 

 まぁ、誰も来ない。何の音もしない。何も起こらない。

 

「あーあ。現実は、そんなに甘くないか」

 

 そう、いくらメタな事を思っても、今はここが俺の現実だ。何かが起こるのを待っているだけでは、きっと何も起こらない。

 俺はその場から立ち上がると、セラミック状の格子へと近寄った。扉も鍵穴もない。俺は一体どうやってここに入れられたのだろうか。

 

「なんか……近未来な感じするし。指紋認証でロックを解除するとか?」

 

 スマホみたいに。

 そう、俺が格子を観察しながら呟くと、次の瞬間予想外の事が起こった。

 

≪声帯認証によりロックを解除しました≫

 

「は?」

 

 女性の機械音が聞こえたと思ったら、それまで出入口など一切なかった格子が、上下に動く。そして、俺の目の前からは、俺を閉じ込めておくモノは何もなくなった。

 

「……え?マジ?」

 

 現実は、思ったよりも甘かったようだ。

 俺は開いた扉から、ひょいと飛び出すと、ここがどこなのか探るべく、ともかく駆け出したのだった。

 

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