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『サトシ、これ』
そう言ってエーイチから差し出されたのは、手のひらサイズの小さな麻袋だった。
『なんだ?コレ』
『ソレ、入れるのに使って?』
ソレ。そう言ってエーイチが指さしてきたのは、あのイーサのマナの入った瓶だった。いや、どう考えても瓶が入るようなサイズの麻袋ではないのだが。
そんな気持ちで、俺がエーイチの顔を見ていると、エーイチは困ったような顔で言った。
『瓶を入れるんじゃなくて、中身を入れてって事だよ』
『いや、でもそれだと全部は入らなくないか?』
『えっと、だから。一部を、コッチに入れておきなって事なんだけど』
『なんで?』
どうしてエーイチがわざわざそんな事を言ってくるのか、俺には全然分からなかった。
すると、俺達の前を歩いていた、あのクソ生意気な赤毛のガキが此方を振り返ってバカにしたように言った。
『お前、ほんっとにバカだな!?つまんねー通り越してイライラしてきたぜ!』
『は!?何でお前にイライラされなきゃなんねーんだよ!』
『察しも悪い、理解力もない、目先の事しか考え切れず、とっさの行動力もない!お前みたいな奴は、自然界で淘汰される最初の弱者だな!何も成し得ない、その他大勢、脇役平凡取るに足らないクソみたいな存ざ……っいってぇぇ!』
驚くほど饒舌に、俺への罵声を繰り広げる少年に、エーイチは容赦なく拳をお見舞いした。しかも、ケツを。しかも、下から。そのせいで、少年の体が勢いよく空中に浮きあがる。いや、どんだけの勢いで殴ってんだよ!
『いや、だからお前は一体何様なんだよ。僕の友達をバカにするなって何度言えば分かるんだ』
『……ぐっうう』
少年は何か言いたげな表情だったが、多分ケツを殴られた時に……その、大事な、うん。アレまで殴られたのだろう。蹲り、此方を見上げてくる少年の顔には涙が浮かんでいる。
いやぁ、結構エグイ角度から殴ったんだね!エーイチ!
『サトシ?その袋に、中身の一部だけでもいいから分けて入れておきな?』
『この飴を?』
『そう、大切なモノを一カ所にまとめて入れておくのは、あまりにもリスクが高い』
『……リスク』
繰り返す俺に、エーイチは深く頷いてみせる。
『サトシ、大事な卵を全部同じカゴに入れちゃダメだよ?リスクは、いつだって出来る限り分散しなくちゃ』
そこまで言われて俺もやっと合点がいった。そうか、確かにそうだ。
『商売人はね、売り物の卵を一つのカゴになんて入れておかない。だって、そのカゴを落としたら全部終わりになっちゃうから。だから、サトシもそうして』
『分かった』
俺はエーイチの言葉通り、俺は瓶の中から数個の飴玉を取り出すと、麻袋に入れられるだけ入れた。確かに、小学校の修学旅行でも親から貰ったお小遣いは、二カ所に分けて仕舞っていた気がする。
『……お前さぁ、ほんとにエイダの兄貴に会いに来た奴かよ』
『そうだけど』
『信じらんねぇ。エーイチじゃなくて?』
『そーだよ。このつまんねー俺が、エイダに会う為にやって来た張本人だ!』
『ありえねぇっ!』
『いや、ありえねぇっつーか』
エーイチの拳から復活した少年は『ありえねぇ、ありえねぇ!』と頭を抱えながら叫んだ。……俺の後ろに隠れながら。
『お前、なに俺の後ろに隠れてんだよ』
『いや。お前がたまたま俺の前に立ってるんだよ』
『……スゲー理屈こねてくんじゃん』
いや、まぁ分かる。エーイチが怖いのだろう。それなら、俺をバカにしなきゃいいのに。
しかし、それでも尚、背後から罵声を止めない少年に、俺は肩を落とした。
いや、分かってるさ。俺が取るに足らない脇役平凡モブだって事くらい。
『言っておくけど、僕の拳はどこまででも届くからね』
『……』
エーイチはエーイチで少年漫画の主人公みたいな事言ってるし。
『それって最高じゃん!いつでも触れ合える場所に居るってのは、夫婦の鉄則だからな!』
『……』
クソガキはクソガキで、キャラの立った女好きの三枚目キャラみたいな事言ってるし。
『それに引き換え俺は……』
『サトシ?今の瞬間のどこを切り取って落ち込む所があった?』
『いや、俺ってキャラ立ってねぇなって』
『きゃら……?立つ?』
可愛らしく首を傾げて此方を見てくるエーイチに、俺は更に落ち込んだ。俺にはビジュアル的な特筆点もない。
『……俺なんか、ただの頭でっかちなデクの坊だ』
『っ!』
『ちょっと、サトシ!そんな事ないから!サトシは最高だよ!』
エーイチが、物凄く曖昧な褒め言葉でフォローを入れてくる。
最高。うん。「どこが?」なんて聞き返さない。絶対に『えっとぉ』と戸惑った顔をするのが目に見えて分かるからだ。そんなのでイチイチ傷つくのはごめんだ。
『……お前、ちょっと面白いな』
突然、少年が俺に向かって興味深そうな表情を向けてくる。
『は?何だよ、急に』
『まぁ、ちょっとだけだけどな』
『……意味わかんね』
今更お前にフォローされても、全然嬉しくねぇよ。俺は深い溜息を吐くと、クソガキを俺の前へと引っ張り出した。
『もういいから、早くエイダの所に案内しろよ。こっちは出来るだけ早くエイダに会いたいんだ』
『あぁ、てか。もう着いてるけど』
『え』
少年の言葉に、俺が辺りを見渡す。別にそこには何もない。薄暗い森が広がっているだけだ。
『なんだよ、何もねぇじゃ……』
パンパン。
言いかけた俺の耳に、軽く手を叩く音が響く。
すると、その瞬間、目の前に小さな木造の家が現れた。屋根が赤い。立派ではないが、どこかこじんまりして可愛らしい。まるで、童話に出てきそうな家だ。
『……え、あれ?』
『すごい』
エーイチも隣で驚いたような表情を浮かべている。良かった、コレはエーイチでもびっくりするんだな。
『俺達ハーフエルフが、国境沿いギリギリとは言えクリプラント領内で堂々と暮らせるワケないだろ?エイダの兄貴は凄い男だから、結界で隠してくれてるんだ』
『……おぉ』
結界。急にゲームっぽい単語が出てきた。
『まぁ、ここゲームの世界なんだけど』
『ん?サトシ?』
『なんでもいよ、エーイチ』
そう、俺が謎の感動に包まれていると、赤い屋根の家から、小さな男の子が出てきた。
『あっ!アニキだ!』
そりゃあもう嬉しそうな声が放たれた瞬間、家から更に小さな小さな子供達がコロコロと転がるように出てきた。その数総勢五人。皆こちらに嬉しそうに駆け寄ってくる。皆ボロ布のような服を身にまとい、その耳はピンと尖っている。
へぇ。可愛いじゃないか。
『ここがエイダの兄貴が作ったハーフエルフの孤児院だ。今は五人の子供が居る!』
『へぇ、可愛いな』
『そうだろ!さぁ、中に入れよ!きっとそのうちエイダの兄貴も帰ってくる筈だ!』
お茶でも飲んで待っててくれ!
そう言われた瞬間、俺は歓喜した。そういや、スゲェ走ったから、俺は死ぬほど喉が渇いてたんだよ!考えないようにしてたけどな!
俺はコロコロと転がる子供達の中を歩きながら、真っ赤な屋根を目指して歩いた。