「しかし、結果として軍はキミを求めたよ。何故だか分かるかな?」
「親父が年食ってヤバイからでしょう」
「おい、俺はそこまでヤバくねぇよ」
「ヤベェだろうが。こないだの仕入れ、また間違ってたぞ。食材無駄になるから止めろよ」
「それは年食ってるからじゃねぇ!あれくらい要ると思ったんだ!」
「……性質ワリィ。これだけ長い事やってて仕入れの見立てもクソかよ」
カナニとの会話の脇から、突然ドージが割って入る。そのせいで、始まった親子喧嘩は、自分とマティックのソレとはまた毛色が違い、妙に興味深く見えた。
「ふふ、指揮官が見立てをそこまで見誤ってもらっては困るな」
「いや、ちゃんと捌けると思ったんだ。俺の長年の勘だと」
「食材の注文を勘に頼るな、クソ親父が」
吐き捨てるように言ったシバに、カナニはゆっくりと彼の隣に移動した。そして、ポンと肩を叩く。するとその瞬間、カナニの脳裏に妙な記憶が蘇ってきた。
——–あのっ!『頑張れ、サトシ君』って言って貰っていいですかっ!
「あぁ」
あの、自身に対し鼓舞を願ってきた人間。サトシ・ナカモト。彼の口から語られるヴィタリックの姿に、カナニは寂しさが優しく撫でられるような妙な感覚に陥った。
「そうか、それでいいんだな」
カナニは「頑張れ」と口にしただけで舞い上がるように喜んでみせた人間に、目の前の自信を無くす若人にかけるべき言葉を、ハッキリと得た気がした。
「軍は、消去法でキミを選んだのではない。シバ、キミに戻って来て欲しいと選択したんだ」
「気休めはいいですよ」
「気休めじゃない……これはある意味当たり前の事なんだ」
「当たり前?」
「そう、これは何も特別な何かが起こったワケではない。ただ、時間が経った。軍も世代交代が進んでいる。あの頃、キミにとやかく言っていた者達も、席を空け離しているところなのさ」
「……」
世代交代。
そう、それは何の世界でも起こりえる当たり前の現象だ。なにせ、今こうして老兵を決め込むドージやカナニですら、最初は周囲の反発や非難を受けながら今の地位に就いたのだから。
そしてそれは、あの希代の名君と謳われたヴィタリックとて、何ら変わらない。最初は皆「未熟者の何も分かっていない若造」だった。
「君が、周囲から未熟だ何だと言われながら軍に居たあの時代。あの頃も決して皆が皆、そう思っていたワケではない。きちんとキミ自身を見ている者達も居た。それが、今は軍の中枢を担っている。シバ、もう大丈夫だ」
「……」
「頑張れ、シバ。キミならやれる」
「っ!」
キミのあの頃の足掻きは、決して無駄では無かったという事だよ。
そう、微笑みながら口にされた言葉に、シバは言葉を詰まらせた。もう、何も言えなかった。
「開戦は、絶対にさせない。しかし、万が一“その時”が来たら、クリプラントを守って欲しい」
「は、い」
頷きながら、ソレだけを口にする。
そんな息子の姿にドージは内心カナニに礼を言った。口下手な自分では、ここまで上手く息子に言葉を伝えきれなかっただろう。今晩、シバと共に此処へ来て良かった。
「ん?」
ドージはふと夜空を見上げた。そこには満点の星空と、月がある。ただ、その中にあって一つだけ悠然と駆け巡る一羽の……あれは鳩だろう。真っ白の鳩を見つけた。
「伝書鳩か。こんな時間に珍しいな」
「わざわざ、マナで夜目を利かせてまで飛ばして来るなんて……緊急の知らせか何かか?」
「……まさか」
飛ぶ鳥は後を濁す事なく、三人の視界から消えた。それが向かう先はクリプラント王宮の東側に位置する、宰相室。
「明日、すぐに軍を国境線へと向かわせてくれ」
カナニは襟を整えた。事が動き始めた可能性が高い。そろそろ、準備に移らねば。
「いいか?今回の進軍はあくまで“軍事演習”だ。何があっても、此方からの指示がない限り決して手を出すな」
「はい」
「しかし、本当に万が一の時は……現場の指揮官達の指示を最優先とする。よろしく頼んだ」
カナニはそれだけ言うと、二人に背を向けた。夜明けと共に全てが動き出す。兵も、情報も、そして歴史も。
「ヴィタリック。お前の喪中は本当に賑やかなモンだぞ」
嬉しいだろう?
カナニは酒を片手に楽しそうに笑うヴィタリックの姿を想い浮かべると、足早に城を闊歩した。
———-
——-
『そうか、じゃあ。頑張ってくれたまえ。サトシ君』
その瞬間、耳の奥にカナニの声が聞こえた気がした。そうだ、頑張ってくれと頼まれた。カナニ様に。中里さんに。でも、さ。
無理だろ!この状況!
俺はカナニ様の言葉を受けながらも、ただひたすらに物陰に隠れていた。何故か。それはもちろん。
「おいっ!捕虜が逃げたらしいぞ!」
「探せ!上からアイツは絶対に逃がすなと言われている!」
敵に見つからないようにするためだ。
「傷を負わせるなとは言われているが、ある程度は仕方がないだろう!」
「手の空いている者は捕虜の捜索に回れ!ジェローム様からの命令だ!」
マジかよ!
もし見つかったら、殺されはしないだろうが痛い目はみそうだ。絶対に嫌だ。
「に、逃げねぇと」
一体ここがどこかも分からない。何が起きているのかも分からない。エーイチがどこに居るのかも。そして、あの赤毛の子供。エイダは一体何が目的なのか。分からない事だらけだが、今の俺には出来る事も、やる事も一つだけと決まっている。
「おいっ!アイツじゃないか!」
「うわっ!?マジかよ!」
めちゃくちゃ簡単に見つかってしまった。
「っクソ!」
俺は、その場から弾かれたように駆けだすと、怒声の響く背後を振り返る事なく走った。ともかく、今の俺はこの場から無事に脱出する事。頑張るのは、ともかくそれからだ。
『頑張ってくれたまえ。サトシ君』
「っはい!中里さん!あとで!頑張ります!」
耳の奥で聞こえてくる格好良いその声に、俺はひとまず声を上げて応えた。