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≪砦にて最前線に立つ勇敢なるリーガラントの兵士達よ。我が名はジェローム・ボルカー。リーガラント国元帥である≫
『ジェローム。まさか……アイツ、ここに来てたのか』
『……は?』
エーイチは驚いたように口にされるエイダの言葉に首を傾げた。
『ジェローム?』
この声が?一体何を言っているというんだ。そう、エーイチはハッキリと思う。これは、いつもの声とは多少異なるが、エーイチのよく知る声だったからだ。
ナンス鉱山で、皆の前でお話会をしたり。
酒場で、過去の歴史をまるで見て来たかのように悠然と語って聞かせたり。
『サトシ……無事だったんだ。良かった』
『は?エーイチ、お前。何言ってんだよ』
これは、彼の友人である“サトシ・ナカモト”が、楽しく何かを演じている時の、御機嫌な声だ。間違いない。間違える筈がない。
『サトシ、楽しそう』
エーイチは何度もこの声に救われてきたのだから。
≪緊急にて伝令す。皆の者。良く聞け。この時刻を持って軍事演習を一旦停止!各自装備をまとめ、直ちに祖国へと戻れ!全軍撤退せよ!≫
しかも、えらく堂々として格好良い声じゃないか。なんて、エーイチはイキイキとしたその声に思わず笑みを零した。
『っは!?はぁっ!?ちょっ!ジェローム!アイツ急にどうしちまったんだ!?』
砦中に響き渡った国家元帥直々の撤退命令に、エイダはエーイチに拘束されながら目を剥いた。ここに来て、まさかジェロームが軍に撤退命令を下すなんて、エイダの予想の範疇から多いに外れている。『開戦は避けられない』と、当のジェローム自身が口にしていたのだから。
——-戦争ねぇ。なぁ、ジェローム。お前はそれでいいのか?
——-いいも悪いも無い。そうしなければ俺達人間が、今度は危機に瀕する事になる。もう俺達には、他国から資源を奪うしか方法はないのだ。
確かに、そう言っていた。それが今になって全軍撤退など。一体どうしたと言うんだ。全くワケが分からない。
『何かあったのか?もう、全然ワケわかんねぇよ』
そして、その『ワケの分からなさ』が、エイダ自身を最もワクワクさせた。楽しくて仕方がなかった。
『なんだよ、なんだよ……全然予想してなかった事ばっか起こる。っはは!なんだ!コレ!』
『ちょっ!うわっ!』
その瞬間、エイダはエーイチによって拘束されていた子供の体を一気に大人のソレへと成長させると、そのまま扉の方へと駆け出した。
『どういうつもりだ?ジェローム!お前!こんなに面白い事が出来るヤツだったのか!?さいっこうじゃないか!エーイチ!お前も来いよ!ジェロームの所に行こうぜ!なんか面白い事があるに決まってる!』
『ちょっ!待ってよ!』
言うや否や、エーイチを待つ事なく駆け出したエイダは、そのまま部屋から飛び出して行った。
『っさっきからジェロームジェロームって何だよ!僕は!サトシの所に行くんだからね!』
エーイチはそれだけ叫ぶと、あっさりと開いた扉の外へ向かって駆け出した。向かう先は人間国の最高指導者しか入れない部屋。
ジェローム・ボルカーしか入れない、あの指令室だ。
『何が起こってるの……?あれはサトシの声でしょ?』
エーイチはエイダについて走り抜けながら、大量のリーガラント兵が一斉に駆け抜けて行くのを横目に見た。すれ違う兵達は一瞬怪訝そうな表情を浮かべるが、誰も二人を止める事はない。
なにせ、突然の撤退命令だ。現場は完全に混乱の最中だった。そんな中、見慣れぬ下位の兵がどこに向かっているかなんて気にしている余裕は、誰一人としてありはしなかった。
『おい、一体急にどうしたんだ?撤退命令なんて』
『いや、分からない。ただ、ジェローム閣下からの緊急指令だった』
『一体何が起こってるんだ?』
その誰もが急な撤退命令に戸惑っている様子であった。しかし、皆疑問を抱きつつ、命令に対して逆らう者は皆無だ。
『そんな事はどうでもいい!各隊撤退命令に従い、急いで隊列を組め!』
『緊急伝令だ!もしかして本国で何かあったのかもしれない!急ぐぞ!』
『第一部隊はこっちじゃねぇ!東側だ!』
≪全軍撤退!≫
まさにアレは、リーガラント軍にとっての鶴の一声だった。緊急戦闘態勢時には、現場の指示が最も重視されるが、まだ戦闘すら始まっていないこの平常時であれば、本国から放たれたトップの声は何よりも重い。
『……ほんとに、皆撤退の準備を始めてる』
それほどまでに、先程の放送がリーガラント軍に与える強制力は凄まじいという事が見てとれる。
『サトシ、なんだよね?』
少し、不安になる。
あの声が友人である“サトシ”である事は確信しているが、目の前にある現実は覆せない。エーイチはエイダの後を追いながら、徐々に人気の少なくなっていく周囲に目をやった。
どうやら、ここは一般兵の常駐するフロアではないらしい。全体の作りからして上級兵の為のフロアだ。特に奥に進むにつれて、すれ違っていた微かな兵も一切居なくなる。今やこのフロアにはエイダとエーイチしか居ない。
『ここだな』
エイダが息一つ乱す事なく、とある部屋の前で立ち止まった。エーイチもそれにならいエイダの隣に立つ。
『ここは?』
そこは明らかにこれまでの部屋の扉とはワケが違った。厳重かつ重厚。扉に取っ手などは一切なく、この扉を開けられるのは、特定の人物のみである事が機械に疎いエーイチにすらハッキリと理解出来た。
『この部屋はジェロームの……リーガラントの国家元帥しか入れない総指令室だ。この部屋だけは、どんな権限委任をしても他の人間じゃ開けられない』
『……でも、サトシが』
『エーイチ。そんなに他の男の名前ばっかり言うなよ。妬けてくるだろ』
エイダは揶揄うように言ったが、その顔がエーイチ自身に向けられる事はなかった。その顔はずっと扉へと向けられている。
『さて、と。ジェローム。一体どういうつもりなのか聞かせて貰おうか』
エイダは入口の傍にソッと手を触れ、微かに光った入口に向かって声をかけた。
『ジェローム。俺だ。ここを開けてくれ。どういうつもりか話を聞かせてくれないか?』
エイダの声が、一体部屋の向こうでどのように聞こえているのかは分からない。しかし、どれだけ待っても返事はなかった。
『おい、ジェローム?居るんだろ?』
再び声をかける。しかし、やはり返事はない。それを隣で見ていたエーイチはエイダの肩に手を置くと、その体を後ろへと押しやった。
「エーイチ?」
『……サトシ?大丈夫?僕だよ、エーイチ。迎えに来たよ?』
どこに向かって声を出せばいいのかは分からない。エーイチは人間ではあるが、クリプラント生まれ、クリプラント育ちなのだ。こんな見慣れない機械の使い方なんて分からない。ただ――。
『分かる?サトシの……と、友達のエーイチだよ』
一人ぼっちの友達に声をかける方法は、なんとなく分かった。
——–相手が死ぬのを想像して、本気で嫌だと思えるなら、もう十分友達だって。
すると、次の瞬間。
『っ!エーイチ!なんかこの部屋変なんだ!』
先程まで何の反応も示さなかった部屋の扉がアッサリと開いた。