4:勇者ヒスイはウンザリした。

 

 

(あー、早く死にてぇな)

 

 

勇者ヒスイは百年間雨ざらしの生活を送ってきた。

雨風どころか、犬のおしっこをかぶりながら過ごす日々。その長い年月は、ヒスイから元々備わっていた「自信」を磨耗させていくのに十分の時間だった。

 

(俺、いつまでこんな風に生きなきゃなんねーんだろ)

 

これなら、あの時魔王に殺された方がマシだった。そう、何度思った事か。

そして自由の利かない体で、唯一自由な思考。それがまたヒスイにとってはたまらない地獄だった。

 

その思考回路が飽きる事なくヒスイに見せてくるのは、幼馴染をパーティから追放した時の沈んだ声と、自分を見捨てて逃げ去る仲間達の背中。

 

(なんでこんなのばっか思い出すんだ。もっと他にあんだろ……他に何があったっけか)

 

と、何度も別の事を考えてみようとしたのだが、それでも思い出すのは嫌な記憶ばかり。

 

(……俺の人生なんかこんなモンかよ。つまんねーな)

 

その間、もちろんヒスイに優しく触れる者は誰一人居なかった。何も出来ない絶望と、更には誰からも温もりを与えられない長い時間は、ヒスイをどんどん真っ暗な闇の中に落としていった――

 

のだが!

 

 

「イシ君! おはよう!」

(やめろ! 歯も磨いてねぇ口を近付けんな!? ぶっ飛ばすぞ! ガキ!)

「ちゅっ! ちゅっ! ちゅっ!」

(あ゛ーーーー! 汚ねーーー!)

 

野晒しだった百年間の終焉と共に、ヒスイの静かな生活は一気に幕を下ろした。ヒスイを拾って転がしながら家へと連れ帰ったヘマという少年は、ともかくヒスイにくっついた。

 

これでもかという程! これ以上ないというくらいに!

ただ、その「くっつく」は抱き締めるだけには飽き足らなかった。

 

「えいっ!」

(おいおいおい! どこに乗ってんだ!? お前は家族の頭の上に靴のまま乗んのか!? おいっ! 聞いてんのか!?)

「イシ君は背が高くてエライね! おかげでずっと雨漏りしてた天井が修理できるよ! 天井ヒール!」

 

ガタガタガタ……。

 

(おい!? 天上ヒールって何だよ!? つーか、なんか変な音してんぞ!)

「あっ! ネズミだ!」

(おいっ!? 俺の肩に何か乗ったぞ!? ネズミか! おいおいおいおい! 目! 目にネズミが来たぞ! 叩き落とせ!)

「イシ君はネズミが好きなんだね! 友達にしていいよ!」

(いいよ! じゃねぇ! ぶっ殺すぞ! このクソガキ! ……おい! 頭を踏むなって言ってんだろうが!?)

「またネズミだ! ほら! イシ君あげる!」

(ぶっ飛ばすぞーーーーー!)

 

 

そんな生活が、早いもので既に三年程続いていた。

 

 

        ○

 

 

その日、聞き慣れた声がヒスイの耳に響いてきた。

 

「ヘマー! おーい! ヘマ!」

「あっ! サンゴの声がする!」

(またあのガキか)

 

ヒスイは部屋の真ん中で「ヒール!」とバカの一つ覚えのように叫び散らかすヘマから、視線を入口の扉へと向けた。

ヒスイの定位置は、ヘマの眠るベッドの脇だ。この場所は、この狭い部屋の全てを見渡せる。

 

「入ってい」

「ヘマ! ほら見ろよ! オレ、父ちゃんから剣貰った!」

 

ヘマが「入っていいよ」と最後まで口にするまでの間に、サンゴは遠慮なく部屋の中へとズカズカと入り込んで来た。いつもの事だ。その手には、よく見る細身の剣が握られていた。

 

どうやら、サンゴはその剣を見せびらかしに来たらしい。

 

「なぁ、ヘマ! どうだ! 格好良いだろ!」

(安モンだな。そんなモンじゃモンスターを五、六匹倒したらすぐにナマクラになるぞ)

「スゴイね! ホンモノの剣だ!」

「だろだろ! オレももう十三だからって! 今日から狩りにも連れてってくれるんだってさ!」

「サンゴ、すごい!」

 

サンゴの得意気な姿に、ヘマは斜に構えるような事など一切なく心からの称賛を送った。ヘマはサンゴの事が大好きなのだ。普段のウルサイ独り言の中で、登場する名前も「サンゴ」がダントツで多い。

 

「十八になったら、オレも魔王討伐に行かなきゃだからな! 今からちゃんと修行しないと!」

「うんうん!」

「だから、ヘマもちゃんとヒーラーの特訓をしとけよ! 十八まで、あと五年しかないんだから! お前ののんびりに勇者様は付き合ってられないぞ?」

「うん、わかってる!オレ、今もヒールの特訓をしてたんだ!」

「はぁ? ヒールくらいさっさとマスターしろ! ヒーラーはパーティーのカナメなんだ!お前がしっかりしなきゃ、仲間が危険な目に合うんだからな!」

「はーい!」

 

口だけは一丁前な事を言うサンゴの姿に、ヒスイは鼻で笑った。

 

(は、何をエラそうに。俺が十三の頃は一人で何十匹もモンスターを倒して……)

 

そこまで考えて、ヒスイはなんてバカバカしい事を考えているんだ、と自分に嫌気が差した。こんな片田舎の十三歳の子供を前に、一体自分は何を張り合っているのだろうか。

 

 

——–サンゴは何でも出来てスゴイねー!さすが、勇者様の子孫だ!

 

 

(……結局、魔王は倒せなかった。その上、仲間からは見捨てられてよ。っは、お前はいいよな。新しい勇者と仲良くヤってたんだろ?)

 

惨めで嫌味ったらしい思考が脳内を埋め尽くす。最悪だ。自分がパーティから「役立たず」と言って追い出した癖に。

 

(……あぁ、早く死にてぇな)

 

そう、百年間何度も何度も思ってきた思考が再び頭を埋め尽くした時だ。

 

「なぁ、ソイツ! ちょっとこの剣の試し切りに使わせろよ! ヘマ!」

「え?」

(は?)

 

サンゴが非常にご機嫌な顔でヒスイを見上げていた。その手に握りしめられている剣は、既に斬りかかれるように構えの体勢に入ってすらいる。

 

(このクソガキが)

 

ヒスイは、これまでもこんな風に剣の試し切りの練習台に使われる事が何度かあった。どうやら、人の形をしているヒスイは、新しい剣を手にした剣士にとって、堪らない練習相手になるらしい。

まぁ、確かに生身の人間と違って傷つきも死にもしないのだが。

 

(いっそ殺してくれんならいいのによ。ナマクラの相手なんてウンザリだ)

 

さすがに、好き勝手自分の体を傷付けられるなんて、いくらヒスイが「死にたい」と願っていても嫌だった。というか、普通に腹が立つ。

 

(どうせコイツの事だ「いいよ!」とか言って、あのクソガキに媚びでも売るんだろうよ……最悪だ)

 

そう、ヒスイが小さな後ろ姿を眺めていた時だ。予想外の答えがヘマの口から響いた。

 

「ダメ!」

(え?)

 

ピシャリとした返答と共に、剣を構えるサンゴとヒスイの間に、ヘマは両手を広げて立ちはだかった。どうやら、ヒスイをサンゴから守ろうとしているらしい。

 

「は? なんでだよ」

「だって、イシ君はオレの家族だよ! なんで剣で斬ろうとするの!? かわいそうじゃん!」

「はぁ? ヘマ。お前まだそんな事言ってたのかよ。ソレ、あんまり外で言わない方がいいぜ。変に思われるから。ソイツはただの石だろうが!」

「変なのはサンゴだよ! 勇者様は皆の為に戦う格好良い人なのに! 家族を斬ろうとするなんておかしい!」

「……っは! そうかよ!」

 

サンゴは一気にその表情を歪め不機嫌を露わにした。

その間も、ヘマは両手を広げてヒスイを守るように立ちはだかる。ヒスイの胸あたりまでしかなかったヘマの身長は、少しだけ伸びていた。まぁ、やっとヒスイの肩に頭がかかるかという程度だが。

 

「ヘマ。そんなのをいつまでも家族なんて言ってたら、頭がおかしいって思われるぜ」

「だって……家族だもん」

「ちょっとは頭がマトモにならねーと、お前なんか旅に連れて行ってやんねーぞ。勇者の仲間に頭のおかしなヤツが居るなんて、そんなの恥ずかしいからな!」

「サンゴ。でも、イシ君は……」

「もう、オレ帰る! 狩りに行かなきゃなんねーし!」

「サンゴ!」

 

サンゴは、ヘマの呼び止める声など無視して勢い良く出て行った。サンゴは振り返らない。

 

「……」

(おい……)

 

いつもはやかましい程にうるさいヘマが、この時ばかりは静かだった。ヒスイに背を向け、肩を落とす。いくら成長しても、ヒスイからすればヘマの体はいつまでたっても小さかった。

 

「……」

(斬らせれば良かったじゃねぇか。どうせ俺は石なんだからよ)

 

いつまで経っても自分の方を振り返ろうとしないヘマに、ヒスイは嫌な記憶が蘇ってくるのを止められなかった。それは、ホンモノの魔王を前に、仲間達に背を向け見捨てられた時の後ろ姿。あとは、

 

——–ヒスイ、俺はもういらない?

 

そう言って、ヒスイに背を向けた幼馴染の後ろ姿。

 

(クソ……早く死にてぇな)

 

もう、ヒスイの願いはソレだけだ。ただ、それを望む度に、それが叶う未来など欠片も思いうかべる事が出来ない。望みと絶望は、いつもヒスイの中でセットだった。

 

「ねぇ、イシ君?」

(……なんだよ)

 

やっとヒスイの方を振り返ったヘマは、いつもと何ら変わらない表情だった。ケロリとしている。でも、声はどこか沈んだままだった。

 

「イシ君は大切な家族だから、斬ったらダメなのにね。サンゴはおかしいね」

(おかしいのはテメェだろうが)

「それに、イシ君は……」

(なんだよ)

 

ヘマはいつものようにヒスイに抱き付くと、背伸びをしてヒスイの口にキスをした。

 

「ちゅっ、ちゅっ! サンゴはおかしいね! ちゅっ! ちゅっ!」

(ハーーーー)

 

口やら顔の至るところに唇を落とされながら、やっぱりヒスイは嫌そうな表情を浮かべるのであった。