11:ヒーラーのヘマは元気にした。

 

 

「聖なる力の源よ! ここに来たれ! エターナル・リザレクション!」

 

 

ヘマは高らかに叫んだ。ちょっと格好良いな、この台詞。なんて思いながら。

 

「っ!」

 

これ程にまで濃いマナの“気”を纏ったのは生まれて初めてだった。体が一気に重くなる。

ヘマは詠唱を終えた瞬間、体に勢いよく押し寄せて来た重い感覚に、たまらず床へと倒れ込んでしまった。

 

「うわっ!」

 

倒れ込んだ瞬間、床に積もった埃がフワリと舞う。もう掃除なんてずっとしていなかった。少しくらい掃除しておくべきだった。汚い。

 

「うぅ。か、体が……重い」

 

これが寿命を半分差し出す程の最高位の回復魔法か、とヘマは床に体を預けながら思った。それにしても本当に重い。まるで体の上に何かが乗っているようだ。重くて重くてたまらない。

 

「おい、ヘマ」

「え?」

 

誰かが自分の名前を呼んだ。

ヘマは詠唱の為に閉じていた目をソロソロと開く。すると、視界一杯になにやら凄まじく整った顔が映り込んだ。

 

「あ、れ?」

「お前、何やってんだ」

 

これは一体誰だ? そう、とっさに脳裏に過った疑問を余所に、相手は非常に怒り心頭といった表情でヘマを見下ろしていた。

 

どうやら、彼が体の上に乗っているせいで“重い”と感じていたらしい。そりゃあ重い筈だ。目の前の彼は、自分よりずっと大きいのだから。

 

「えっと……」

「おいどういうつもりだ、ヘマ……!テメェ寿命を半分も差し出してバカじゃねぇのか!? あ゛ぁ!?」

「あ、え。えっと」

 

戸惑うヘマに対して、それでも尚、怒りを爆発させるように怒鳴り続けてくる男。埃まみれの床と、相手の逞しい体との隙間で、ヘマはと言えばただただ目を瞬かせるしかなかった。

 

「あ、あの」

「昔からテメェはそうだ! サンゴサンゴサンゴサンゴって! サンゴの為なら死んでもいいのか!? っは! アイツにそこまでしてやる価値なんかねぇよ! だいたいテメェはなぁっ」

「……」

 

至近距離にある、どこか見慣れた相手の顔。

しかし、怒鳴る度にその口から唾が飛んでくるせいで、喉まで出かかった“思い当たる節”に到達する事が出来ない。あぁ。あと、少しでピンと来そうなのに。

 

「おいっ、ヘマ! 聞いてんのか!? 聞いてねぇよな!? テメェはいつもそうだ! 俺の話なんか昔から聞いちゃ……むぐ」

 

ヘマは思わず相手の口を両手で抑えた。その瞬間、相手は驚いたように目を見開いた。

 

「あ、あの。つ、唾が飛んでるから……」

「……」

 

そう言いながら、ヘマは不満そうに自分を見下ろす相手の目をジッと見返した。この目には、どうも見覚えがある。いや、覚えがあるなんてものじゃない。毎日毎日毎日毎日。十年前のあの日から、

 

——–キレイな目だねぇ

 

ヘマはこの目を見て……いや、この目に見守られてきたのだ。

 

「もしかして、イシ君?」

「……は?」

 

ヘマの問いかけに、相手はそれまで眉間に深く寄せられていた皺を一気に解いた。そういえば、ヘマはイシが眉間に皺を寄せている所しか見た事がなかった。しかし、どうだ。今の彼の顔は。

 

「イシ君、だよね?」

「……へま?」

 

まるで、親を見つけた子供のように、どこかホッとした表情を浮かべている。

 

「イシ君」

 

ヘマは相手の口に押し当てていた掌をソッと外した。そしてそのまま、その手をゆっくりとその頬に滑らす。冷たくも、固くもない。その体は温かく、そして柔らかかった。そこに居るのは石ではなく、人間だった。

 

「……ヘマ、お前は俺の声が、聞こえてるのか?」

「今お喋りしてるのは、イシ君?」

 

ヘマの問いかけに、再び相手の眉間に皺が寄る。ただ、皺が寄ったのは眉間だけではなかった。目尻にも深い皺が刻まれ、目元にはみるみるうちに涙が溜まっていく。

 

「イシ君は、石じゃなくて本当は人間だったの?」

「じゅみょう、を、はんぶんも使いやがって……バカが」

「イシ君。イシ君はずっと、オレの事を見てくれてた?」

「……いつも、無茶ばっかして、ヒヤヒヤさせて」

「もしかして、イシ君は、ずっとオレに返事をしてくれてた?」

「……俺の言うことなんか、まったく聞きゃしねぇ」

 

互いに、互いの質問や言葉には一切答えていない。

しかし、それでも何故かシックリとお互いの言葉が馴染むのは、やはり目の前の相手が自分のよく知る者だからだろうか。

 

「なんで……」

「イシ君?」

 

イシの翡翠色の瞳に溜まっていた涙がポタリとヘマに落ちて来た。その瞳は涙を含んでキラキラと、とても綺麗だ。

 

——–イシ君はキレイな目をしてるねぇ。本当は何色なんだろうね。

「あぁ。イシ君。イシ君はこんな翡翠色の瞳をしてたんだねぇ。きれい」

 

幼い頃に口にした小さな疑問が晴れた。あの頃の自分に教えてあげたい。イシの目は綺麗な翡翠色をしているんだよ、と。

 

「ぅ、ぁぁぁっ」

 

悲鳴のような泣き声がヘマの耳を突いた。いつの間にか、ヘマの頬には幾度も重ねたイシの大きな手が添えられている。温かい。

 

「寂しかったね。ごめんね、置いて行って」

「なががっだ……ずっど、ひどりでっ! づらがった!」

「エライよ。ちゃんとここで、ずっと待っててくれたね」

「まだ、おいでいごうどじだだろうがっ! おれはっ!お前のかぞく、なのにっ!」

 

ヘマの頬に、イシの流した涙がボロボロと容赦なく降り注いでいく。そのせいで、イシの流した涙がヘマの頬を伝って床へと流れ落ちていった。

 

「……家族?」

「おまえが、ぞういっだんだ! おれど、おまえはっ! 家族だって!」

 

零れ落ちる。零れ落ちる。これではまるで、ヘマが泣いているようではないか。

 

「良かった……! ほんとに、イシ君はオレの家族だったんだ! そう思ってたのは、俺だけじゃなかった! よかったぁ!」

「……へま」

 

そう言って幸せそうに笑ったヘマの頬に流れていた涙が、果たしてどちらのモノだったのかは、最早ヘマ自身にも分からなかった。気付けばヘマの口は、イシの柔らかい唇によって勢いよく塞がれていたのだ。

 

「っふぅ」

「っん」

 

いつもヘマの方からやっていた「シンアイのキス」。

ただ、イシからヘマに施されるソレは、それまで二人がやってきた「シンアイのキス」とは一線を画していた。

 

「っはぁはぁ。っい、し君。っんぅ」

「っヘマ、ヘマ」

 

何度も何度も名前を呼ばれる。そりゃあもう愛おしいという気持ちを一心に込めて呼ばれる名前の、なんと気持ちの良い事か。

イシからのキスは角度を変え、深さを変え、呼吸が出来なくなるかと思うほど何度も繰り返された。いつもは勝手にヘマがイシに対してしていたキスを、今はこうしてイシから好き勝手にされている。

 

——–ちゅっちゅっ!シンアイのキスだよ!

 

そうか、好き勝手にキスをされるというのはこんなに溺れるみたいに苦しいのか。でも、凄く気持ちの良い。ヘマは頭の片隅でそんな事を思いながら、体に擦り付けられるイシの固く主張した下半身に誘われるように自身の腰を浮かせた。

 

「っん、はぁ。きもちぃ。イシ君」

「ヘマっ! っっは」

 

欲望のままに下半身を擦り付けてくるヘマに、イシの眉間に深い皺が刻まれる。これは、ヘマが普段からよく見ていたイシの顔だ。

 

「ヘマっ、へま。おれの、かぞく。もう、絶対に置いて行かせねぇっ」

「んっ!いっしょ、かぞくだから。ずっと、いっしょだよ……っんぅ」

 

再び、ヘマの唇はイシによって塞がれた。そうやって、どのくらいキスをし続けただろうか。下半身を擦り付け合うだけのもどかしい刺激の中、ただただ二人はキスを止められずに居た。

 

強烈な性欲の中から生まれる、一時だって離れたくないという感情を二人は止められなかったのだ。

 

「っはぁっはぁ。ヘマ」

「っイシ君、もっと」

 

もうすぐ夜明けなのだろう。窓の隙間から朝日が漏れ入る。互いの唇を唾液の糸が繋ぐ。ヘマは繋がった先にあるイシの顔をジッと見上げた。苦しそうに眉間に皺が寄ってはいるものの、その口から漏れ出る声は酷く満たされていた。

 

「ヘマ、へま、へま」

 

何度も何度も自分の名が呼ばれるのを聞きながら、ヘマはハッキリと思った。

 

サンゴとイシ君は、

 

——–ぜんぜん似てねぇし!

 

「そ、だね。にてないね」

「はっ?」

 

サンゴの瞳は赤茶色で、イシの瞳は翡翠色。顔だってよく見たら、違うところがいっぱいある。

 

「イシ君の方が、眉毛の色が少しうすいね。イシ君の方が、目と目が少し離れてる。イシ君の方が鼻が下向き。イシ君の方が耳の横の髪の毛がくるんてしてる……イシ君の方が」

 

次々と呪文のように口にされる言葉にイシは最初こそ何事かと眉を顰めていたが、すぐにその言葉の意味に行きついた。

 

「……イシ君の方が、ずっとかっこいいね」

「……当たり前だ」

 

イシは低い声で言い放つと、再びヘマの唇へと自身の唇を近づけた。ヘマはまたあの気持ちの良い時間が訪れるのだと、期待と共に目を閉じる。

 

「……」

 

しかし、目を瞑ってもいつまでたっても待っていた気持ち良さが降ってこない。ヘマは待ちきれずに、自分から頭を起こしてイシにキスをした。すると――

 

「あれ?」

 

唇に当たったのは、いつもの固く冷たい感触。キスをしたイシは、いつもの石のイシに戻っていた。

 

「……イシ君?」

 

窓の外からは高く上った太陽の光が、埃まみれのカーテンの隙間から差し込んでいた。