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「では、これで一旦話し合いは終わりだ。各々解散してもらって構わない」
カナニの声がクリプラント王宮の一室に響く。それと同時に、それまで話し合いの体を保っていた場の空気が一気に緩む。
いや、あれを話し合いと言ってよいかは分からないが、思ったより楽しめた。そう、エイダがザワつき始めた周囲に目を向けた時だ。
「エイダ、リーガラントからの返答はいつ頃になりそうだ?」
「あ?」
いつの間にか、すぐ隣から堅苦しい声が聞こえてきた。
「カナニ。本当にお前ときたら……」
「なんだ。何か文句でもあるのか?」
「いや」
まったく、この男ときたら周囲がどうであれ、人前では緩むという事を知らないらしい。
そうえいば昔からそうだった。そう、エイダは視線だけカナニへ向けながら肩をすくめてみせた。
「さぁてな。まぁ、今晩あたりジェロームから返事が来るんじゃないのか?アイツ真面目だし」
「そうか」
エイダは伝書鳩を送った相手が、体を丸めてウンウンと悩む姿を想像し、思わず笑った。いやはや、あのジェロームという男。彼は、まだまだ年若い癖に、苦労と苦悩を塗り重ねたような老成した表情を浮かべるのがひたすら得意だ。
「エイダ。使者の件、頼むぞ」
「そんな信じてますみたいな顔して。カナニ、どうせお前の事だ。俺が裏切った後の別案もしっかり用意してあるんだろ?」
お前は抜け目ないからな?とエイダがカナニに揶揄うように言ってやると、相手は表情一つ変えずに深く頷いた。
「当たり前だろう。俺はお前など一度も腹の底から信用した事などないのだからな」
「いいねぇ。お前のそういうトコ、俺は嫌いじゃないぜ」
エイダは舞い込んできた旧友との会話に興じながら、ふと、腹の底に湧き上がってきた感情に蓋をした。
するとそれと同時に、部屋の一角からそりゃあもう騒がしい声が響き渡ってきた。
「サートシ!なんでそんなに怒るんだ!イーサに分かるように説明しろ!」
「……ふん」
その、どこか甘えを帯びた子供のような声に、エイダはヒクとその尖った耳を震わせた。その声は、何故だか酷く懐かしい気がする。
「サトシ!なんでだ?どうして怒る?ちゃんと味もしないようにマナだけ生成してやってたのに!なぁ、味はしなかっただろう?触感は……残っていたかもしれないが。しかし、それは仕方のない事で……」
「あーーー!うるせぇっ!もう、何も言うな!もうお前とは口利かない!」
「っな!でも、アレを飲まないとサトシは喋れないぞ!アレを飲むか、イーサと口付けをするか!サトシには、どちらかしかないんだ!」
「ぐっ」
「イーサは別にどっちでもいいんだぞ。どっちでも!」
「くぅぅぅっ!」
そこには見た目の一切異なる二人の男が、向かい合って大声を上げている。口論というには幼く、喧嘩と言うには余りにも放たれる言葉に攻撃性はない。つまり、あれは子供のじゃれ合いのようなモノだ。
その光景に、エイダは思わず懐かしさと共に湧き上がる笑いを堪え切れなかった。
「ははっ、アイツら本当に面白ぇな。なぁ、カナニ。今世の王は、あのネックレスを人間なんかに渡してるぞ?いいのか?止めなくて」
「……アレに関しては、誰も口を挟む権限を持っていない。なにせ、王の意思だからな」
「そうだよなぁ?ヴィタリックがお前にソレを渡した時もそうだった」
カナニは、面白そうにペラペラと口を動かすエイダに肩をすくめた。次に何を言われるのか、あらかた想像がついたからだ。
「『元奴隷なんかに!』って、あの時の反対は、そりゃあもう凄まじかった」
「そうだな」
元奴隷。そう、カナニは元々王宮に仕える高貴な身の上ではなかった。
「懐かしいな」
カナニは奴隷出身の孤児だった。
別に隠しているワケではない。ただ、その事実は長い時と、カナニ自身の多大なる功績もあって今や殆ど周囲には知られていない事実でもあった。
——–カナニ、コレをお前にやる!
——–これは?
——–これは“証”だ!
——–何の?
少年だったヴィタリックに何かも分からぬまま手渡されたシンプルな国章のネックレスに、まさかこんな深い意味があるとは、当時のカナニは知りもしなかった。
——–カナニ、俺がお前のモノだという証だ!
「まったく、大変なモノを貰ってしまった」
まさか、そんな事を言う王子がこの世のどこに居ると思う?王子である自分の身を、奴隷であったカナニのモノだと言いながら渡してくるなんて。まったく、普通は逆だろうに。
「何を言っても、他人の言う事など聞きはしないさ。なにせ、彼らはヴィタリックの子なのだから」
そう言ってカナニの見つめる先に居るのは、子供のように喧嘩をするサトシとイーサ。そして、自分と同じく奴隷の身でありながらソラナよりネックレスを渡されたメイドのポルカが居た。
「それに、どんなに反対されたとしても時は全てを解決してくれる。あの時、俺の事をゴミのように扱っていた者達は、今やこの世に一人だって居やしないからな」
「っはは。その通りだな。慣例や常識っつーのは、時間によって驚くほどひっくり返るモンだ。考えるだけ無駄ってヤツか」
そう、当時はあんなにも周囲から反対されたというのに。今や、カナニの息子であるマティックですら、当たり前のような顔で宰相職に就いている。まるで、それがカナニの血脈による世襲制であるかのように。所詮、肩書などそんなモノだ。
そう、“宰相”も“奴隷”も同じ一人のエルフに他者が付けた、勝手な称号に過ぎない。
——–カナニ。これからお前に色々と言うヤツが居るだろうが。そんな事は大した問題ではないからな!気にするな!
——–気にするなと言われてもな。
——–いい!気にするな!お前にとって大切なのは、ヴィタリックがカナニのモノであるという事だけだ!いいな?それ以外は何の問題でもない!
「あぁ、確かにそうだったよ。ヴィタリック」
今ある“当たり前”が、未来も同じように“当たり前”であるワケではない。カナニにとって変わらないモノ。それは腹の底にある、ソレだけだった。
「……お前はずっと俺のモノだ」
このネックレスがある限り、ヴィタリックは自分のモノだ。この世からいなくなっても、それだけは変わらない。
「なぁ、エイダ」
「なんだよ」
カナニは自身の胸にあるネックレスにソッと触れながら、懐かしくも愛おしい相手を思い出しながら旧友の名を呼んだ。
「今晩、少し話さないか?」
「……どうすっかなぁ」
「頼む。共にヴィタリックに会いに行こう。こうして過去を語れる相手は、もうそう多くはない」
カナニの寂し気な横顔に、エイダは「仕方ねぇな」と軽く息を吐いた。この、常にポーカーフェイスを貫いてきた男が寂し気な表情を隠そうともしない。その事実が、やっとエイダに旧友ヴィタリックの死を、現実のモノとした。
「あーあ。お前と二人なんてつまんねぇなぁ」
「そう言うな。私だってお前と二人など本意ではない」
「……ヴィタリックも一緒だったら楽しかっただろうにさ」
「……ああ」
カナニは隣で飄々としながらも同じ“寂しさ”に身を焦がす、やっかいで信用できない悪友の横顔を眺めながら、再びネックレスに触れた。
「あぁ、ヴィタリック」
——–カナニ!カナニ!早く来てくれ!仕事?何を言ってるんだ!お前の仕事は俺を抱き締める事だろう!
もう、思い出の中でしか会えない。
「サートシ!今から部屋であもを喋らせろ!“イーサ”はサトシのなんだから大事にしろ!ぜーんぶしろ!」
「はは。まったく」
「ったく、よく似てるぜ」
二人の男は、旧友の息子の声にハッキリと血脈を感じた。
血は水よりも濃い。男の遺したモノは確かにこれからも続いていく。未来に向けて。