213:俺の声、お前の声

 

 

 俺達の座ったソファ席は酷く年季が入っていた。きっと昔は濃い朱色だったのだろう。ただ、長い年月と共に摩耗したソレは、今では薄黒くなっており、赤色だった形跡は欠片も無い。

 中央に一つだけ足のある壁から備え付けられた机も同様で、そこかしこに傷とシミを作っている。

 

 一体、この喫茶店はいつから存在するのだろう。

 

「お前ら騒ぎ過ぎだっつーの。ここ、喫茶店だぜ?静かにしなきゃなぁ?」

「すまない、つい」

「お前に言われたくない」

 

 やれやれとわざとらしく肩をすくめるエイダに対し、ジェロームは素直に謝り、ハルヒコは酷く嫌そうな声で反論した。

 やはり、いつ聞いてもジェロームの声は良い。最高だ。ほんと……まぁ、そろそろ自画自賛もこの辺にしておこうか。

 

「おぉ、こわ。ハルヒコはいっつも俺だけに厳しいからなぁ」

「それは違うぞ、エイダ。ハルヒコはお前にだけ厳しいワケではない」

「へぇ、俺はそうは思わないけどな?」

 

 エイダが口元に笑みを浮かべながらジェロームへと言葉を返す。完全に他人を揶揄っている時の顔だ。そんなエイダにハルヒコはと言えばコーヒーに手を付けながら、眉間の皺を濃くした。その表情、完全に「わかる」。

 

 そんな風に、俺が地味にハルヒコに対し共感の意を示していると、次の瞬間、なんとも安穏とした“俺の声”が聞こえてきた。

 

「ハルヒコは、俺にだけ優しいんだ」

 

 そう、ジェロームは当たり前のようにサラリと言ってのける。そのせいで、隣に腰かけていたハルヒコは口にしていたコーヒーを思わず吹き出しかけた。

 

「だから、エイダ。ハルヒコはお前にだけ厳しいワケではないから安心しろ。嫌われているワケではない」

「……ジェローム」

「っはは!お前ら本当に面白れぇな!」

 

 ハルヒコの顔が少しだけ赤い。確かにここまで明け透けにあんな事を言われてしまえば、言葉に詰まってしまうだろう。

 

「……へぇ、天然キャラか」

 

 目の前の光景に、思わず口を吐いて出る。そんな俺に、隣に座るエイダが笑みを含んだ声で頷いてきた。

 

「そそ。ジェロームは昔からこんなんだ。自分に自信がないかと思いきや、変な所で自信満々なんだから……サトシ、お前と似てるよ」

「は?」

 

 どこがだよ、と俺がエイダに顔を向けてみたが、どうやら答えてくれる気などサラサラないようだ。素知らぬ顔で、目の前に置かれたコーヒーに口を付けている。

 俺も一口飲もうかと思ったが、コーヒーからは深い香ばしい香りと共に、微かに湯気が立ち上っている。熱そうだ。まだ止めておこう。

 

「サトシ。お前、もしかして熱いのダメなのか?」

「……まぁな」

「ジェロームもだぜ」

 

 そう言って、エイダは顎でクイとジェロームの手元を示した。そこには、ハルヒコと比べて一切減っていないコーヒーが置かれていた。

 

「フーフーして冷ましてやれよ。ジェロームにだけは優しいハルヒコ君?ジェローム坊やが火傷したら大変だ」

「っお前……!」

「もう大分冷めたから大丈夫だ。気にしなくていい。ハルヒコ」

「ジェローム……お願いだ。少しでいいから仕事中のキミを表に出してくれないか?もう少ししっかりしてくれないと、俺が少しも気を抜けない」

「そうか?」

「……もういい。俺がしっかりしよう」

「ああ、頼りにしている。ハルヒコ」

 

 ハルヒコは小さく息を吐くと、再びコーヒーに口を付けようとして目を見開いた。直後、空のグラスがカタリと音を立て、ソーサーの上に置かれた。どうやら、もうコーヒーが無いらしい。

 話はこれからだ。もちろん、おかわりが必要だろう。

 

「「あの、すみません」」

 

 とっさに俺とジェロームの声が被った。やはり、声質も呼吸の間も全てが同じだ。その瞬間、パチパチと俺とジェロームの視線が交じり合う。

 

「マスター、コーヒー二杯追加―!」

 

 顔を見合わせる俺達に、奥から被せるようにエイダがカウンター奥に腰かける店主に向かって声をかけた。やはり返事も反応も一切ない。

 

「ハルヒコ、お前も要るだろ?」

「お前もって……エイダ、お前はもっと味わって飲め」

「味わったさ。十分な」

「っは」

 

 エイダの言葉に、ハルヒコは鼻で笑ってみせた。

 そして、その視線はそのまま俺へと向けられる。目には一切の優しさはない。先程、ジェロームは言った。ハルヒコは自分だけに優しい、と。それは裏を返せばジェローム以外には厳しいという事だ。

 

「君は……サトシ・ナカモト。と、言ったかな?」

「ああ」

 

 ハルヒコの底の見えぬ声が、俺の名を呼んだ。

 同時にカランカランと、店の扉が開く音が聞こえてくる。どうやら、また客が来たらしい。そういえば、確かに時刻は昼過ぎてしばらく経つ。ちょうど茶の頃合いだ。他の客の楽しそうな笑い声が、店内を踊るように駆け巡る。

 

「君が……いや、お前が」

 

 ハルヒコは、俺の事を……完全に“敵”だと認識している。いや、敵というよりは――。

 

「ジェロームの名を語り、全軍を撤退させたのか?」

 

 ジェロームに仇成す者として認識している、と言った方が良いだろう。ハルヒコの俺に向ける視線は、どこまでも冷たく、そして鋭かった。

 確かに、ハルヒコはジェロームに“だけ優しいのだろう。ジェロームの事が大切で、彼の為に動く。だから、ジェロームを害する可能性のある者は誰であろうと許さない。

 

 俺は肌にこびりつく鋭い視線をその身に感じながら、深く息を吸い込んだ。さぁ、ここから俺の本当の役割が始まる。戦争を止める。イーサを助ける。そして、真実の最後を見届けなくてはならない。

 

「ああ、そうだ。俺がやった。俺が全軍を撤退させたんだ」

「っ!」

 

 感情を出来るだけ抑え、ただ、凛とした声の弾みは残しつつ、俺はハッキリと言った。ハルヒコにではない。俺の目の前に腰かける“ジェローム・ボルカー”に向かって、だ。

 

『クリプラントは、まだ敵国ではないだろう?』

 

 あの時の困ったようなジェロームの声が、ふと耳の奥で蘇る。あの言葉で、俺はハッキリと理解した。ジェロームは、決して戦争を望んでいないのだ。

 

 

「俺の声は、貴方の声だ。俺は、貴方の本心を口にする」

 

 

 そう、ハッキリと言い放った言葉にジェロームの瞳が大きく見開かれた。