「は?」
俺の言葉に、目の前に座るジェロームの目が大きく見開かれた。
隣に座るエイダなんか、まるで洋画のような「ひゅう」と言う、絵に描いたような口笛を吹いている。まぁ、ほぼ口で言ってる感じだったけど。いや、出来ないならすんな。
「……おい、お前。勝手な事を言わないでもらえるか」
そんな中、最初に苛立たし気に反応したのは、ジェロームではなくハルヒコだった。どうやら、やっぱり俺の事が気に食わないらしい。まるで親の仇でも見るような目で此方を見ている。
「お前の声が、ジェロームの本心?笑わせるな。いい加減な事ばかり言ってると」
『ハルヒコ』
「っ!」
『少し黙っててくれないか?』
俺がジェロームの声色で言うと、勢いよく立ち上がって机を叩いたハルヒコが一気に言葉を詰まらせた。不信感を露わにしていた瞳の中に、微かな戸惑いが混じる。卑怯なやり方なのは承知の上だ。
でも、今の俺はどうしてもジェロームと話す必要があるのだ。
「ぁ。お、お前」
『ハルヒコ。さぁ、座るんだ』
俺の言葉に「ジェローム」と、ハルヒコの掠れた声が友の名を呼んだ。しかも、俺の顔を見ながら。
どうやら、上手く“ジェローム”を演じきれているようだ。確かに実感もある。俺はオーディションの時よりも、どんどんジェロームになれている、と。興奮で、少しだけ体が熱い。ただ、その体の熱さが、俺には何にも代えがたく嬉しかった。
『じきにコーヒーのおかわりも来る』
「……」
カランと、再び店の扉の開く音がした。今度は明るい女性の声が店内に混じる。どうやら、店は盛況らしい。
『俺は、今から自問自答する。是非ハルヒコも聞いていてくれ。出来れば――』
目を、瞑って。
俺の言葉と共に、カタンと机に何かが置かれる音がした。すぐ脇を見てみれば、愛想のない店主が、俺達の机に二つのカップを置いた所だった。
「あんがと、マスター」
「……お前らのせいで、店がうるさくてかなわん」
軽く礼を口にするエイダを無視し、店主は不機嫌そうに言う。その視線は立ち上がったハルヒコへと向けられていた。そんなにうるさかっただろうか。
「……すみません」
ハルヒコは気まずそうに店主の言葉に軽く一礼すると、そのままストンと椅子に腰かけた。まるで親に叱られた子供のようだ。ただ、店主はハルヒコの謝罪を最後まで聞く事なく、その白髪を靡かせ俺達に背を向けた。
どうやら、他の客からの注文が入ったらしい。
「まぁ、丁度コーヒーも来た所だしさ。エイダと、そのハルヒコさん?は、俺達の話をつまみに、お茶でもしててくださいよ」
ジェロームの声色から“俺”の声に戻しながら言う。“俺”に戻った場合、ハルヒコをどう呼べば良いのか分からない。なので、ひとまず「さん」付けにしておくことにした。
「……」
そんな俺を、ハルヒコは何も言わずに見ていた。ただ、眉間の皺は無くならない。湯気の立ち上る熱々のコーヒーが、ジェロームによってテーブルに置かれた。
そろそろ、俺のコーヒーも冷めてきた頃だろうか。一口、コーヒーに口を付ける。思ったよりまだ熱かった。もう少し待つ事にしよう。
「ん?」
ふと、ずっと声を上げていないジェロームが気になって彼の方を見てみた。すると、そこには何故か静かに目を瞑るジェロームの姿がある。
「……ふふ。目を瞑って聞いていると、本当に俺が喋っているようで面白いな」
まさか、ハルヒコに対して口にした「目を瞑って聞いてくれ」を、ジェローム自身が実践してくるとは思いも寄らなかった。隣では、呆れた顔で肩をすくめるハルヒコの姿がある。
「あぁ、面白い。俺の意思をお前が喋ってくれるのなら聞いてみたい。さぁ、聞こうか。ジェローム・ボルカー」
口元に笑みを浮かべながら、声にそれまでにはなかった“不敵”さが滲んだ。この声色、どうやらジェロームの国家元帥としての顔が、ようやく顔を覗かせてきたらしい。
そうか、ソッチがその気なら。
『そりゃあいい、余計なモノを見ずにとことん語り合おうじゃないか。なぁ、俺?』
俺も、目を瞑った。その瞬間、余計な情報が一切遮断される。
俺は想像した。ジェロームとは一体どんな人物なのか。台本の中の最高司令官としての顔と、友と柔和に話している時の顔。そのどちらも“ジェローム”であり、きっとそのどちらも彼の全てではない。
それを、俺はこの自問自答という会話の中で探し出さなければならない。
『なぁ、ジェローム。お前の事をもっと教えてくれないか?俺は知りたいんだよ、お前の事が』
「……ふふ。いいぞ。楽しいな、これは」
『楽しいか。だったら良かった。じゃあ、一つ聞きたいんだが』
「なんだ?」
ジェロームは本当に俺との会話を楽しんでいるようだ。ただ、喜色の他に興奮も見え隠れしている。同じ声の良く知らない人間を前に、心の底から楽しめるなんて、意外と線の太いヤツだ。
あぁっ、お前の声が出来て俺は嬉しいよ!
ジェローム、ジェローム、ジェローム。
なぁ、お前さ?
『クリプラントに兵を進軍させた時、ジェローム。お前は今みたいに楽しかったか?』
「……」
俺の問いかけに、それまで口元に笑みを浮かべていたジェロームの表情が固くなった。いや、目を瞑っているから実際のところは分からない。ただ、固くなった“気がした”のだ。
そう、俺達声優は声を出している瞬間だけが“演技”なのではない。
声を出していない“間”も、また声の一部なのだ。
「楽しいわけ、ないだろう」
そうして、やっと吐き出された言葉には。
ジェロームの声に苦しみと、そして“怒り”が満ちていた気がした。