216:ジェローム・ボルカーの決断

 

 

「俺は、分かってるんだ。この戦争に勝った後、広がった広大な領土を統治する事も、文化交流のなかったエルフを統治する事も、この侵略戦争を機に諸外国との関係性の変化に対応する事も……全てにおいて、俺は力不足だ」

「ジェローム、そんなモノはやってみなければ分からない。君ならやれる」

「ハルヒコ、なにも俺は自分を卑下してそんな事を言っているワケじゃない」

 

 ジェロームは何かに腕を引かれるように言葉を紡いだ。声を上げ続けた。まるで、何かに腕を引かれるように。背中を押して貰っているように。

 

「ハルヒコ、俺には戦争は出来ないが、“交易”なら出来る」

「っ!ジェローム!まだそんな夢みたいな事を言ってるのか!?あのクリプラントと交易なんて無理だ!」

「交易が……最も始めるのが難しく、しかし最も国を富ませるのに有効な手段だ」

 

 そう、ジェロームが腹の中にずっと据え置いていたにも関わらず、ずっと選びきれなかった手段。それが「交易」だった。

 

「交易ならば、互いに利を及ぼし合える限り発展出来る」

「そんな事をしたら、マナを失いかけているエルフに復活の機を与える事になる!そしたら今度は我が国が滅ぼされる事になるかもしれないんだぞ……!」

「違う!国は個々が自ら繁栄している状態が最も理想なんだ。隣国が荒れれば、自国に難民が流れ込む。逆も然りだ!ここで容易に戦争を始めれば、リーガラントは遅かれ早かれ自滅する!自らの力量を図りそこなった、無能なトップのせいでな!」

 

 カランカラン。

 興奮するジェロームの意識の遠くで再び店のベルが鳴る音がした。また、客が来た。この店は普段、こんなに客など来ない。なのに、今は店の至る所に客の楽し気な笑い声が響き渡っている。

 

 おかしい。

 そう、頭の片隅で警告音が鳴るジェロームの腕を、ハルヒコの手が掴んだ。

 

「ジェローム!時は刻一刻と迫ってきている!今こうしているうちにも、我が国の資源は枯渇を目前に控え、国民の生活に深刻なダメージを与えかねない!今、君の目の前にはある選択肢は二つしかないんだ!自覚しろ!」

 

 ハルヒコは眉間に皺を寄せ叫ぶ。こんなに必死な彼の姿を、ジェロームは初めて見た。

 

「一つは、クリプラントから土地と資源を奪う事!そして、もう一つはクリプラントに開国させ“交易”を行う事……ではない!」

 

 賑わう店内。楽し気な笑い声。周囲の事など一切気にした様子もなく叫び続けるハルヒコ。

 

「ジェローム……君の理想には、時間がかかり過ぎるんだ!開国を望み、クリプラントとの国交が実現するまでに、一体どれ程の時を要する?その間に、リーガラントはどれ程の貧しさに襲われる?その国民の不満は一体“誰に”向く?」

 

 ジェロームの瞳に、ハルヒコの泣きそうに歪んだ顔がハッキリと写り込む。そう、ハルヒコという男は常に第一に思っている相手が居る。それは国家でも、国民の事でもない。

 

「キミだよ。ジェローム」

「……」

 

 優しい幼馴染の声が、ジェロームに死刑宣告をする。そして、それは揺るぎようもない事実だ。

 

「そう、高まった不満は必ず指導者に向く。そうしたら、君はトップから引きずり降ろされるだけじゃ済まない。愚かな国民に、お前が血祭にされる事になる。俺は……そんな所は見たくない」

「……ハルヒコ」

 

 この幼い頃から隣に居てくれた友は、いつも一番にジェロームの事だけを考えてくれていた。常に矢面に立たねばならない彼を、いつも、いつも、いつも。

 

「それとも何か?ジェローム。君には、愚かな民衆に向けて言葉を紡ぐ自信があるのか?キミも、その自信がないから……一度は進軍させたんだろう?」

 

 ハルヒコによって強く握りしめられた腕を見ながら、ジェロームは俯いた。そうだ。その通りだった。ジェロームが守りたいのは国でも民でもなく、自分の自尊心だった。

 

——-ジェローム。声を聴き、そして声を届けなさい。それが、私達の役目だ

 

 そう、父の言葉だ。何度も何度も、夢に見る程言われ続けて来た。

 

「……君の声など、愚かな国民は誰もまともに聴きやしない」

 

 ハルヒコの優しい声と、腕を掴んでいた力強い掌が、ジェロームの頬に触れた。鼻先が触れる程近くに、ハルヒコの顔が見えた。

 

「兵を挙げてくれ。それが民意だ。そして、もしそれによって道を踏み誤ったなら……この俺を断罪しろ。戦犯者として突き出す相手は、お前でなくて良い。国民は常に英雄と、そして“敵”を求めている。暴走した部下が戦争の引き金を引いたと言えばいい……」

 

 後頭部にハルヒコの手が触れる気配がした。

 きっと、またいつものように髪の毛が跳ねているのだろう。ジェロームはいつもハルヒコに髪の毛を整えてもらっていた。優しく頭を撫でられる。

 

「君の声は、俺だけはちゃんと聴いている。それでいいじゃないか。ジェローム」

「……はるひこ」

 

 ハルヒコの息が、頬に触れた。優しい声が、ジェロームを包む。

 それで、いいかもしれない。正しいけれど、茨の道を進んで国民に無視されるより、この優しい友の腕に引かれて進む方が楽だ。ずっと、そんな手をジェローム自身望んでいた。父のように自らを導いてくれる男を、ずっと欲していた。

 

 そう、ジェロームが静かに目を閉じた時だった。

 

「……いやだ」

 

 とっさに口を吐いて出た言葉は、まさかの否定だった。そして、それはまごうことなく“ジェローム・ボルカー”の発した言葉だ。なにせ、先程から自問自答と称した“同じ声の彼”は、一言も声を発していない。

 

「ハルヒコ、嫌だよ。俺はお前の犠牲の上にある可能性なんて、絶対に選べない」

「ジェローム!」

「それに、俺は……自己顕示欲が強い男なんだ」

「なに、を」

「俺の声は、出来るだけ多くの者に届けたい。お前一人じゃ、物足りないんだ」

 

 ジェロームは一気に言い切ると、ハルヒコの手を自ら離し、ずっと黙って此方を見ていた一人の人間に顔を向けた。

 

「お前は、そのための使者なんだろう?サトシ・ナカモト」

「ああ」

 

 自分と似た声。でも、先程までのように瓜二つではない声が頷いてみせる。そして、少しだけ揶揄かうような声で言った、

 

「なぁ、ジェローム。そんなに勇気が無いなら、いつでも俺が代わってやるよ」

 

 ニヤリと笑って口にされた言葉に、ジェロームは首を横に振った。

 

「いやだ」

「なんでだよ。どうせ俺とお前は同じ声なんだ。お前が日和ったら俺が代わりにお前の言葉を伝えてやる」

「いやだ。自分で言う」

 

 ここまで来てやっとハッキリした。声を聴いて貰えないのは嫌だ。でも、もっと嫌なのは――

 

「“俺の言葉”を取られるのは、もっと嫌だ」

 

 そう言ったジェロームの言葉に、サトシという人間の男は何故か堪え切れないとでも言うように吹き出した。

 

「っふふ。ジェローム、お前は俺とよく似てるよ」

「……そうなのか?」

「あぁ、よく似ている。諦めの悪いところも、変に自己顕示欲が強いところも。全部似ている」

 

 互いの目の前にあるコーヒーは湯気一つ立っていない。

 温いを通り越して、最早冷たくなったコーヒーを前に、ジェロームとサトシは互いにカップを持った。

 

 その時だった。

 

「ジェローム。覚えているか?」

「え?」

「以前、キミは俺の傀儡にならなってもいいと言った」

 

 静かな声と共に、ジェロームの目の前で黒光りのする見慣れた鉄の塊がカチャリと音を立てて掲げられた。

 

「……おい、ハルヒコ。やめろ。ダメだ」

「悪いようにはしない。ジェローム、責は全部俺が負う。もう、君が苦しむ必要はない」

 

 ジェロームの目に映ったモノ。

 

 

 それは、ハルヒコによって銃口を突き付けられたサトシの姿だった。