幕間19:クリアデータ7 07:50

 

 

「あー、毎回の事はいえこれまで関わった各キャラとの振り返り会話って……ジンとするわ」

 

 栞はクリプラントの城下町や、城の各々の場所に点在する見知ったキャラのアイコンに向かって走りながらボソリと呟いた。トゥルーエンドの確定した今、後は城に居る本命のイーサに話しかければ物語はラストに向かって進み始める。しかし、それでは余韻も情緒もあったモノではない。

 

「あぁ、もう全員と話し終わっちゃう……」

 

 栞は画面を見つめながら、減っていく仲間達のアイコンに名残惜しさを感じて仕方がなかった。

 【セブンスナイト】シリーズは、ジャンルの分類的には“恋愛シミュレーションゲーム”という位置づけになる。

 しかし、実際にはRPG要素も強く練り込まれている為、戦闘やサブイベントを経た攻略キャラ以外の他キャラとの関わりも濃密なのだ。それ故、サブキャラへの思い入れも尋常ではない。

 

「もう、マティックったら。泣かさないでよ……本当に“終わり”って気がしてきたじゃない」

 

 そんなサブキャラ達との“最後の会話”によって、プレイヤーはこの物語の終わりをゆっくりと受け入れていく準備に入る。それが【セブンスナイト】のラストにおける“お約束”だ。

 

「あー、やっぱ今回もソレかー!って思うモノを渡すのね。まぁ、エーイチは眼鏡だろうなって思ってたけど」

 

 その中で、もう一つラストを飾るなんとも粋な演出がある。それが――、

 

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【マティック】

シオリ、ありがとう。貴方は、この国に“素晴らしい王”を与えてくれた。

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 主人公から各キャラへの“贈り物”だ。

 栞はジワリと緩む涙腺を抑え切れず、ズズと鼻をすすった。そして、眼鏡を外し手の甲で目を擦る。

 

「……はぁっ」

 

 やっとハッキリした視界で再び画面を見てみれば、そこには変わらず美しいグラフィックが映し出されている。マティックのスチル画像は、攻略キャラと遜色ない美しさを誇っている。

 そのせいだろう。栞は今回「マティックエンディング」を攻略したのではないかと、半ば本気で勘違いしかける程の感動を覚えていた。最後の会話をしている場所が、満開の花の咲き誇る庭園である事も、そう思わせる要因の一つだ。

 

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【マティック】

さぁ、そろそろイーサ王の所へ行ってください。貴方が居ないと、王は大変不機嫌になられる。戴冠式前に王のご機嫌を損ねては堪りませんからね。

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「……ヤバイヤバイ。進みたくない。だって進んだら終わっちゃうじゃない。イヤイヤイヤ無理無理無理!!」

 

 画面に映るマティックが、その類まれなる美声で栞に物語を先に進めるように促してくる。栞は持っていたコントローラーを床に投げ置くと、再び滲む涙を隠すように膝を抱えて丸まった。

 

「いやだ……イーサと会話したら物語が終わっちゃう。そしたら、このセブンスナイト4は完全に終わっちゃうじゃない」

 

 ゲームには、必ず終わりがある。

 それは当たり前の事だ。これまでも栞は、ゲームクリアの為に必死にプレイし数多のゲームを「終わらせて」きたのだから。それは、このゲームも変わらない。同じだ。

 

「終わらせたくない。だって、終わったら、終わらせちゃったら……」

 

 しかし、それが栞にはどうしても耐えきれなかった。完全にロスを恐れていた。と、同時に、栞にはどうしても耐えられない事実があった。

 

 それは、今日が日曜日であるという事実。

 

「つまりは、明日からまた一週間が始まるって事じゃない」

 

 有休を使ったまるまる一週間の休みも、あと数時間もすれば終わりを迎える。栞は腕の中に埋めていた頭を上げると、今度はベッドの上に勢いよく頭を叩きつけた。すぐ傍には「ちょっとヨーロッパあたりをウロついてきまーす!」と、口から出まかせを言って通販で買った、海外のお菓子の箱が散乱している。

 

 あぁ、会社の人間達へのアリバイ工作の為に偽造土産をポチッていたあの頃に戻りたい。栞はそう思わずにはいられなかった。

 

「あの時は、幸せだったな……」

 

 大好きなシリーズの、数年ぶりの新作。

 雑誌のインタビューや、発売前にネットに飛び交う意見に不安や期待を覚えつつ、予約開始した段階で予約特典付きの完全受注生産盤を脳直で予約した。

 大型の有給使用については半年前から、課長や課内のメンバーにそれとなく伝え、何があっても休みを阻害されないように仕事の整理に励んだ。この有給の前は、仕事も積んで大変だったりもした。

 

 しかし、今思えばそれらすべてが幸福だったと思える。

 

「戻りたい」

 

 無理だ。

 時間は元には戻らない。先にしか進まない。その事実が、どうしても辛くて仕方なかった。

 

「しにたい……」

 

 大袈裟か。いや、大袈裟なんかでは決してない。

 栞は現在、本気でそう思ってしまっていたのだ。しかし、このままゲームを終わらせなくとも確実に明日はやってくる。でも、出来れば全てを終わらせる前に、何か一つでいい。明日からの一週間を生き抜く為の“希望”が欲しかった。

 

「……やるか」

 

 そう、栞は自身の脳裏に過った甘えを振り払おうとした時だった。

 

ブブブ

 

 傍にあったスマホが震えた。

 

「……誰?」

 

 ゲーム中であれば決してスマホなど見なかっただろう。しかし、今の栞は絶賛現実逃避中だ。終わらせる事を少しでも先延ばしにする為の逃避の一環として、スマホへと手を伸ばした。

 すると、そこには見慣れた、しかし少しばかり久しぶりの“元カレ”の名があった。

 

「……善?急にどうしたんだろ」

 

 坂本 善(さかもと よし)。

 それは栞の高校時代に付き合っていた男の名だ。受験を前に栞の方から別れを告げたのだが、まぁ、腐れ縁という事で未だにこうして付き合いが続いている。

 画面を見れば、そこには一言だけのメッセージ。

 

ヨシ{いま、少し話せる?

 

「……これで、下らない事だったら絶対にご飯奢らせてやる」

 

 栞は素早く了承の旨を伝えるメッセージを打ち込むと、間もなく震え出したスマホの通話ボタンを押した。

 

「なによ」

『うわ、不機嫌だ。もしかして、ゲームしてた?』

「はい、週末ご飯奢って」

『なんでだよ!どういう因果関係だ!?』

「能書きを垂れないで。で、いつどこで何を奢ってくれるの?」

『……栞、お前。やっぱ凄いなぁ。高校の頃から全然変わんないの』

 

 どこか安穏とした調子で応える元カレの声に、栞は内心「この天然が」と吐き捨てるように思った。この男は本当に昔から変わらない。

 

『いいよ、どうせ食事に誘おうと思ってたし。なぁ、栞。もしかして、今やってるゲームって……セブン、セブンス、モーニング?ってやつか?』

「おい、コース料理奢れよ」

 

 わざとか。

 栞は通話の向こうから朝の情報番組のようなタイトルを口にしてくる元カレ相手に、電話に出た事を心底後悔した。時間の無駄過ぎる。

 

『善、セブンスモーニングじゃない。セブンスナイト』

『あっ、そっか!そうそう、夜だったな!』

 

 すると、通話の向こうから、もう一つ別の男の声が聞こえてくる。その声も、栞にとっては聞き馴染みのある男の声だった。

 

『最初、ナイトって聞いた時は騎士の方かと思ったけど、夜なんだーって確か思った気がする』

『善はウッカリしてるからな。可愛いよ』

 

「一も居たんだ……ま、分かってたけど。っていか電話口で惚気ないでくれる!?」

 

 池田 一(いけだ はじめ)。

 この男も、栞にとっては高校時代の知り合いに入る。こちらもこちらで腐れ縁だ。

 

『別に惚気てねぇし!っていうか、此処にいるのは一だけじゃねぇし!他にも二人居るんだからな!?』

「いや、ご機嫌なメンバーを一人ずつ紹介しなくていいわ。マジで興味ないから。てか、用が無いなら切っていい?奢って欲しい店は後で送るから。予約しといてね」

『ちょっ、ちょっと待ってって!だから!栞が今会社サボってやってるのって【セブンスナイト】ってゲームで合ってる?』

「……そうだけど。ちなみにサボってないから。有給だから」

『ははっ、やっぱそうだ!栞は昔からゲーマーだったもんな!ソードクエストの時も一週間学校休んでたし』

 

 なんなんだ、コイツ。

 栞は一向に話しの見えてこない元カレからの言葉に口角を震わせた。よし、そろそろ切ろう。このままでは、ゲームの感動の余韻が天然によって悪意なく一掃されてしまう。

 

 さらばだ、ひとまずお前は地獄に堕ちろ。

 そう、栞が最後の言葉を口にしかけた時だった。スマホ越しの元カレから、予想外の言葉が放たれた。

 

『中の人、会いたくないか?』

 

 時が止まった。

 

「……え?な、何?中の人ってそれって」

『声優さん、セブンスナイト7の』

「え?からかってる?最新作が4なんですけど。殺すぞ」

『善、4の声優だから。二人共』

『あ、栞。ごめん、4の人だった。二人共』

「ちょっ!!もう一に替わって!善じゃ話にならないから!?」

 

 栞は勢い込んで言うと、電話口の元カレを退場させた。これは、聞き間違いとか天然とかでは済まされない事態だ。

 中の人、というのが本当であれば……!それはきちんと確認する必要がある。

 

『栞、間違いないよ。一の天然で、勘違いなんかじゃない』

「まっ、マジ!?ほんとに!?」

『うん、俺の友達で声優目指してたヤツが居て。久々に連絡を取ったら、たまたまそう言う話になってさ。栞、ゲーム好きだしやってそうだなって』

 

 一の声だ。その声は栞を揶揄っている風でも、騙そうとしているワケでもなさそうだった。というか、一はそういう人間ではない。

 此処に来て栞はやっと全てを飲み込んだ。

 

「え、ウソウソウソウソ!嘘!?」

『うん、アレなら来週そのメシの時に一緒に……』

「奢らせて下さい!」

『え?』

 

 戸惑う二人をよそに、栞はゴクリと唾液を呑み下した。チラリとテレビ画面を見れば、そこには“終わり”を間近に迎えた大好きなゲームの姿。

 明日からは、再び“現実”と言う名の日常が始まり、今の栞には夢も希望も残されていない筈だった。

 なのに――。

 

「コースでも何でも、何十万だって払います!是非、よろしくお願いします!!」

 

 栞の声は明るく、表情も澄み切っていた。

 物語の終わり。まさかの栞は手に入れてしまったのだ。

 

「やったーーーー!これでまた明日から生きていけるーーー!」

 

 明日からの一週間を生き抜く為の“希望”を。