5:[ハイジニーナとは]【検索】

 

 

 今日は気合が入っている。

 なにせ、今日は今年最後の推しの舞台だ。

 

「タローさん。店の都合のせいで、ずっと遅くなってましたけど、今日からVIOに入りますね」

「はい!」

「今日も一緒に頑張りましょうね?」

「はい!」

 

 俺は優し気な笑顔を向けてくれるアオイさんに、今にも合掌せん勢いだった。でも、合掌したら完全におかしなヤツなので、ひとまず元気に返事をしておくことにする。

 

「タローさんにはずっとご迷惑をおかけして。予約日の曜日を変えてくださったり、他のお客さんの予約の兼ね合いでコースの日程を変更して貰ったり。VIOだって本当は他の箇所と同時にやる筈だったのに」

「いいんです。あの、俺、全然急いでないので」

 

 むしろ、長引く方が嬉しいし!

 俺は申し訳なさそうに口にするアオイさんに、首が引き千切れん程横に振った。今年一年、アオイさんのお陰で凄く楽しかった。一カ月半に一回も推しの舞台に足を運べるなんて、どんなアイドルの舞台だよ。最高過ぎる。

 

「えっと、タローさんの希望は……本当にハイジニーナでいいんですか?」

「はい!」

「そうですね。確かに清潔感は一番ありますし。それに……」

 

 それに、と言ったっきりアオイさんは何も言わなくなった。

 あれ?ハイジニーナって何だっけ?

 でも、確か一番料金が高くて期間が長いヤツを選んだ筈だ。これが直接アオイさんの懐に入る訳じゃなくても、何らかのカタチで彼に還元して貰えるといいなと思って、脳直で選んだ。

 

「じゃあ、今から施術を始めますね。処理は済んでますか?特にOラインなんてやりにくかったんじゃないです?」

「頑張りました!」

「じゃあ、下を脱いでこの紙ショーツを穿いて、横になって待っててください」

「はい!」

「じゃあ、それまで外で準備をしてますので」

 

 と、ここまでは良かった。

 というか、ここまで俺はすっかり意識から抜け落ちていたのだ。

 

「あれ、脱ぐ?」

 

 俺は元々、予定も何もない「もしも」の時を想定して脱毛サロンに来たのだ。

 

——–セックスが、死ぬ程気持ちい。

 

 そう、「もしも女の子とセックスをした時に、下の毛で引かれないように」と。だから、前回言われた通り今日は下の毛は全部剃った。お尻の穴の毛も、正直剃りにくかったけどアオイさんからのお願いなので、ポーンとやってのけた。やってる時は無我の境地だったけれど。

 

 でも、待て。これから俺は……。

 

「準備出来ましたかー?タローさん」

「っは、もう少し待って、ください!」

 

[ハイジニーナとは]

【検索】

——–

デリケートゾーンのアンダーヘアを全て脱毛してツルツルの状態にすること。

——–

 

 推しにちんこを晒すのか?

 

 

        〇

 

 

 俺が選んだコースは「全身脱毛コース」だった。だってそれが一番高かったし、一番長く通えるコースだからだ。

 なので、これまでも上半身裸になったり、腕を上げて脇を晒したりもしてきた。まぁソレも恥ずかしくなかったワケじゃないが、でも、ソレとコレとはワケが違う。

 

「タローさん。少し恥ずかしいかもしれないんですが、照射漏れがあったら意味がないので、一緒に頑張りましょうね」

「は……はい」

 

 いつもの施術台。

 俺は何やら紙で出来たパンツみたいなのを穿いて、ゴロンと横たわった。そんな俺に、アオイさんはいつもの優し気な笑顔を向けてくれる。あぁ、今日も俺の推しは素敵だ。でも、でも。

 

「VIOそれぞれで、ちょっと体勢を変えないといけないので。その都度お伝えしますね」

「は、い」

「タローさん。俺の体感での話なんですけど、髭よりは痛くないと思いますから」

「は……い」

 

 俺は今、どんな顔をしているのだろうか。いや、多分いつも通り無表情なのだろう。良かった。あんまり顔に出るヤツじゃなくて。ここでビビっていたら、アオイさんに気を遣わせてしまう。

 

「でも、場所が場所なので、急に動かないようにしてください。危ないので」

「は、はい」

 

 でも、体勢を変えるってどういう事だろうか。もしかして、直接触られたりするのだろうか。お、お、お、俺の、ち――。

 

「じゃあ、まずはVラインから始めますね。ちょっと触ったりしますけど、大丈夫ですから」

「っ!」

 

 今、触るって言った!言ったよね!?アオイさん。

 ここへきて、やっと俺は「ここは脱毛サロンなんだ」と、認識を改めた。

 そう!ここは舞台でも、コンサート会場でもない。アオイさんはアイドルでも何でもない。彼は、脱毛サロンのスタッフさんじゃないか。

 

「タローさん」

「は、い」

 

 それまで俺の目を合わせて喋っていたアオイさんが、完全に俺の局部を見ていた。紙のパンツがソッとズラされる感覚。アオイさんが、俺のちんこを見てる。全部、見られている。

 

「始めますね」

「っは、い」

 

 施術が始まった。

 普段、自分でも殆ど触れない場所を信じられないくらい丁寧に触られる。次いで機械の触れる感触。緊張し過ぎて、痛いかどうかなんて分からない。いや、ちょっと熱いかも。

 

 あぁ、いつもよりアオイさんも静かだ。

 

「タローさん。触りますね」

「っ!」

 

 ソロリと、俺のちんこに何かが優しく触れる感触が走った。これは、アオイさんの手だ。何度も、何度も写真で見た、あの。

 

——–オシノテダ。

 

「っぅ」

 

 触られた。触られた。触られた。

 しかも、ちょっとなんかではない。きちんと触られている。しっかり触って、持ち上げられて、左右に動かされる。こんな風に他人にちんこを触られた事なんか一度も無い。だって、俺、童貞だし。

 体中の血液が一カ所に集中していくのを止められない。

 

「大丈夫ですよ、タローさん」

「っふぅ」

 

 囁くような声で呼ばれる名前に、背筋がビリビリした。アオイさんの声にも、いつもより上擦っているように聞こえる。そりゃあそうだ。アオイさんは仕事中で真剣にやっているのだから。余計な事を考えたらダメだ。

 

「っふ」

 

 それなのに、声が漏れるのが止められない。俺はアオイさんに気付かれないように、片方の手を口元へと添えた。

 手袋をしたアオイさんの手の感触と、機械の無機質な感覚が交互に局部を襲う。少しだけ息が上がる。視界が揺らぐ。

 

 ヤバイ。コレは、本当にヤバイかもしれない。

 

「タローさん。次は右足を開いてください」

「っう、ぇ!?」

「これからIラインに入るので」

 

 予想外の指示に驚きの声を上げてしまう。

 すると、それまで局部に向けられていたアオイさんの優しい視線が顔の方へと向けられた。ニコリと、擬音が聞こえてきそうな程のいつもの笑みの後に、真っ黒な瞳がハッキリと俺を捉える。アオイさんの額には微かに汗が滲んでいた。

 

 俺も、スゴく熱い。この部屋、暖房が効き過ぎているんじゃないだろうか。

 

「痛くしませんから。さぁ、タローさん」

 

 そう言って俺の瞳を見つめながら俺の太腿に手を這わせる。その手に導かれるように、俺は右足を開いた。

 

「は、ぅ」

「良い子」

 

 ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。

 そんな風に言われたらもう、ダメだ。勃起する。

 でも、いや、もう本当は――。

 

「ごめ、な、さい。あおい、さん」

 

 ずっと勃起してた。

 震える声で、やっと謝罪の言葉を口にした。そう、最初にアオイさんに触られた時から、ずっと俺のちんこは反応していたのだ。何度も画像で見ていたアオイさんの手だって思ったら、なんだかもうどうしようもない気持ちになって。もう、ダメだった。

 

「大丈夫ですよ、タローさん」

「っふぅ」

 

 でも、アオイさんはその事に全然触れてこなかった。それは、今もそう。完全に勃起してて、きっと気持ち悪いって思ってる筈なのに。十個も年下の彼に、子供みたいに下半身を触られて「大丈夫ですよ」だなんて。

 俺はもう恥ずかしくて、両腕で顔を覆い隠した。

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

「……っぁ」

 

 それでも、思わず声が漏れる。何やってんだ、俺。気持ち悪い声を出すな。推しに……アオイさんに迷惑だろうが。

 

「左を開きますよ。出来ますか?」

「は、い」

 

 今度は左足を開く。昨日の夜、下の毛は全部剃ってしまっている。だから、いくら顔を隠したところで、本当に恥ずかしい場所を隠してくれるモノは何もない。全部、アオイさんに見られてる。

 

「上手ですよ、タローさん」

「っはぁ」

 

 他人に触って貰うって、気持ちいい。アオイさんの声が心地良い。

 そう、本能の赴くままに頭の中が快楽で満たされた時だった。勃起したちんこの裏筋を、下から上に指でツと撫で上げられるような感覚が走った。

 

「つ、っあ――……!」

 

 その瞬間、真っ暗な視界の中に火花が散った。そして、気付けば。

 

「はぁっ、はぁっ」

 

 俺は射精していた。

 

「……あ。うそ、だろ」

 

 「うそだろ」と、驚愕に満ちた声が頭の上から降って来る。そりゃあそうだ。施術中に、その相手が射精するなんてきっと初めての経験だろう。だって、アオイさんにとってはただの仕事なのに。いや、俺にとってもコレはただの「脱毛」という行為でしかない筈なのに。

 

 それなのに、俺ときたら一人で勝手に気持ち良くなって。

 

「……ご、ご、ごめなさ」

「っあ!い、いえ!今のはタローさんに言ったんじゃなくてっ!」

 

 絞り出した声が、喉の奥で震える。

 最早聞き飽きたであろう俺の謝罪の言葉に対し、アオイさんはやはり動揺を隠せないようだった。

 その様子に、俺の体は更に震えた。

 

「あっ、あの、ごめ。ごめんなさい。ごめんなさいっ!」

 

 嫌われた。コレは絶対にアオイさんに嫌われてしまった。先程まで快楽の羞恥で昂っていた体から、一気に熱と血の気が引いていく。

 

「……っふぅ、うっ、うぇ」

「あの……違うんです。あの、タローさん。大丈夫ですから。泣かないで」

 

 そうやって必死に俺の背中を撫でてくれるアオイさんの手は、やっぱり凄く優しかった。こうして、施術中に泣くのは最初の髭の時と合わせて、三回目になる。しかし、今回のが一番みっともない涙だ。

 

「あ、おいさん」

「はい、あの。こういう事はよくある事なので。本当に、気にしないで」

 

 涙で揺らぐ視界の中、アオイさんの声が遠くに聞こえる。そんな中、俺はアオイさんの手から目が離せなかった。

 

「あ、ぁ……あ」

「タローさん?」

 

 アオイさんの手には、べったりと乳白色の体液が付着していた。何故か手袋越しではなく、地肌に直接。それは、まごうことなき俺の精液だ。そこで、改めて俺は自覚する。

 俺は、大切な“推し”に精液をぶっかけてしまったのだ。

 

「あっ、あの。手、手に俺のっ」

「タローさん、落ち着いてください。大丈夫です」

 

 ほら、と笑いながらアオイさんは脇に置いてあったタオルで自身の手を拭った。いや、拭うだけじゃダメだ。ちゃんと洗って、消毒をして……。

 

「タローさんのも拭きますね」

「じ、自分で拭きますっ!」

 

 まさか、アオイさんに俺の不始末の処理をさせるワケにはいかない!そう思っての発言だったが、アオイさんによって拭われたのは下半身ではなかった。

 

「もう、泣かないでください」

「ぁう」

 

 そう言って拭われたのは、精液ではなく涙の方だった。

 アオイさんのポケットから取り出されたハンカチが、俺の涙を優しく拭う。ハンカチからは、フワリとアオイさんの良い匂いがした。

 

「タローさん。施術中に射精される方って珍しいワケじゃないので」

「……」

「あ、そういえば!VIOの施術、タローさんはあんまり痛くなさそうでしたね。ちゃんと下半身も保湿されたんじゃないですか?エライですよ」

「……」

「あの、本当に……生理現象ですし」

 

 アオイさんが必死に俺を励まそうと声をかけてくれているのに、俺は何も返事が出来ない。

 生理現象でも何でもダメなモノはダメだ。だって、推しに迷惑を……いや、精液をかけるなんて。もう極悪人だ。死刑だ。

 

「タローさん、次は」

「ア、オイさん。おれ、今日は、もう帰ります」

「えっ、でも。まだ……」

「全部、した事にして貰って……いいので」

 

 俺は体の上にかけられたタオルを握りしめながら、吐き出すように言った。アオイさんと、目を合わせられない。今日はもうダメだ。もし、また触られて勃起でもしようものなら取り返しがつかない。

 

「タローさん」

「あの……本当に、ごめんなさい」

 

 また涙が視界を揺らす。そんな俺に対し、アオイさんは再びハンカチを向けてくれた。でも、それよりも先に俺は自分の腕でゴシゴシと涙を拭った。

 

「ぎょうは、ありがとう、ございまじた」

「……」

 

 今年最後の推しの舞台は……いや、施術の日は最悪のカタチで幕を閉じた。

 

 

        〇

 

 

 これは、正月も明け、休みボケもようやく落ち着いてきたかという頃合いの、とある会社の喫煙室での会話である。

 

「最近、アオイさんレポ更新されねぇな」

「もう、アオイさんレポ言うとるわ」

「……宮森さんも年末から明らかにテンション下がってるし。あれは確実に何かあったな」

「ここまできて、VIOの結果が分からないまま終わる事になるとは。クソ、気になるな」

「……まぁ、予想が出来ないワケじゃねぇけど」

「なんだよ、飯島。お前、何か分かるのか?」

「VIOの時、射精したんじゃね?」

「はぁっ!?」

「いや、ネットで見たけどたまに居るらしいんだわ。確かにアレはガッツリ触られるから、前日にヌいて行ってもキツい時があった」

「ま、マジか」

「ああ。だから俺。敢えて脱毛は男性スタッフじゃねぇ普通のサロンを選んだし」

「お前……」

「そんな顔すんなよ。いや、だってもう男相手に勃起するくらいなら、潔く女性にしてもらった方が気が楽なんだよ」

「……確かに、そうかもな」

「宮森さん、アオイさん相手に射精しちゃったかー」

「どんまい」

 

 こうして、まさか会社で自分の置かれた状況をドンピシャで当てられているとは思っていない宮森タローは、自分のデスクで、ジッとスマホの画面を眺めていた。

 明日、木曜日。宮森タローは有給だった。