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「あー、ねむ」
俺は夜行バスの停留所前で騒ぎまくるゼミのメンバーを横目にジワジワと襲ってくる眠気と必死に戦っていた。 どうしてこう大学生という生き物は夜にテンションが高い生き物なのだろうか。
俺は普通にバイトさえ無ければ、夜10時には眠くなる。
故に、21時30分現在。
普通に眠くなってきた。
あの怒涛の修羅場的なものを乗り越えた後、俺は下がりに下がったテンションのまま2泊3日分の大きな荷物を抱え、駅前のバスターミナルへと走った。
時間に余裕があると思い、途中洗濯やら風呂掃除やら、2人への2日分の食事の準備やらをしていたら、まさかの時間ギリギリになってしまっていた。
お陰で、"走った"とは表現的に"向かった"という意味合いではなく、マジでそのままの意味で激走するという意味を体現する羽目になってしまった。
そして今に至るのだが、先ほども言ったように、夜の大学生を舐めたらいけない。しかもそれが十数人集まったとなれば若さと体力と怖いもの知らずと、その他諸々パワーによって誰にも止められない、もの凄い熱いうねりを作り上げるのだ。
要するに、めちゃくちゃうるさい。
俺はぐったりと、自分の持ってきたキャリーケースに寄りかかると、うっすらと目を閉じた。
しかし、もちろん眠れる筈もない。
外で、しかも立ちっぱなしで、更には周りのこの騒がしさときたものだ。
そろそろバスが来る頃なので、バスに乗り込んだら速攻で寝る事にしよう。
なにせ夜行バスだ。移動中は静かに寝ないといけない。
幹夫の喘ぎ声であれば、気にせず安らかな眠りに付けるのに、やっぱり俺は他の騒音では眠れないらしい。
「おーい!あっきー!何立ったまま寝てんだよ!」
「本日のあっきーは終了しました」
「大学生が夜の9時30分で終了しないでー!」
「赤ちゃんのようにねむりたい……」
「誰か―!この人にベビーカー持ってきてあげてー!」
ぎゃはははと盛大にやかましい声で俺の隣に居座ってきたゼミメンバーの一人である木田に、俺は激しめに肩を叩かれた。
木田はうちのゼミで声デカいランキング1位を叩き出す猛者だ。
まぁ、俺の中だけの話だけれども。
通行人も俺達の集団を迷惑そうに横目に見ながら過ぎ去っていく。
バスに乗り込むまでは、切に他人のフリがしたかった。
「あらららら、あっきー?もしかして来る直前、彼女と激しくお楽しみ中だったとか?」
「……は?」
俺が怪訝そうな顔で木田を見ると、木田はニヤニヤと笑いながら俺の首筋を指差した。
まさか。
「めっちゃついてんぞ、キスマーク」
「…………まじ?」
全く気付かなかった。
油断も隙もあったものではない。
俺は未だに明彦の事を思い出すとモヤモヤが湧き上がってくるため、キスマークがついていると思われる場所を爪でバッテンにしてやった。
これは蚊に刺された時と同じ対応である
この感情の最中に居る俺自身が言うのも何なのだが、喧嘩とは、こんなに時間が経っても強い感情を生むものだとは知らなかった。
喧嘩ってすごい。
そして、感情が揺れるという事なかなかに疲れる。
あまり率先してやりたいものではないな。
「てか、お前彼女居たのかよー!紹介しろよ!どこの子だよ!草食系のフリしてやることやってー!マジで羨ましい!」
「彼女じゃないし」
「いや、隠さなくていいって!どうりでなぁ、お前のケータイに電話しても全然出ねぇから、おかしいと思ったんだよ。マジ、お前いっつも授業も遅刻して来るから、心配で何回も電話したってのに……ったく、心配して損したわ!」
「は?電話?そんなの知らないけど」
「何言ってんだよ。3回くらいケータイにかけったっつーの。ちょっと前に」
ちょと前。
それは俺が、家を慌てて飛び出しこのバスターミナルまで爆走していたあの時間を指すのではないだろうか。
俺は、一瞬にして血の気が引くのを感じると着ていた服のポケットを触り、挙句キャリーケースの中をひっくり返した。
ない。
「木田。ちょっと俺のケータイ鳴らしてくんね?」
「あ、別にいーけど」
「……………」
「………鳴らしてるんだけど」
「みたいだな」
しかし、俺の側で携帯の鳴る音は何も聞こえてこず、やはり聞こえてくるの周りで騒ぎ散らかす若者たちの声だけだ。
これは完全に家に忘れてきてしまっているようだ。
「お前バカだなー、ヤるのにばっか夢中になってるから遅刻しそうになったり、ケータイ忘れたりすんだよ。ばーか!」
「……はぁ」
木田の言葉に反論する気すら沸いてこない。
別に携帯がなくとも俺自身は特に問題はない。特に様々な事に興味もないのでSNSの一つだってやってこなかったのだから。
ただ、連絡手段としては無いと少し困る。
大学生の一人暮らしの部屋に固定電話が繋がっているわけもなく、それではこの合宿中にあの二人とどうやって連絡を取ればいいのか。
特に急ぎの用があるわけではない。
ただ、変な別れ方をしてしまった手前心配させるかもしれない。
心配を。
「いや、それはないな」
「……携帯、もっかい鳴らすか?」
木田の声が少し大人しくなった。
どうやら俺が相当ショックを受けていると思っているらしい。木田は声がうるさいが基本的には良いやつだ。
「いや、いいよ。無くても困らないし」
「そうかー?彼女と連絡とれねーじゃん」
「……別に、少しの間連絡とらなくても問題ないさ」
言いながら、俺は何を先ほどまで焦っていたのかと心底おかしくなった。
幹夫は俺に「出ていけ」と言ったのだ。あんな裏切りのような場面を見せつけられて、心配などしよう筈もないのに。
明彦は言わずもがなである。
もしかすると、俺は居ない方が今は二人にとっては好都合かもしれない。
悪いがどんなに邪魔者扱いされても、俺は2日後にあの家に帰らせてもらう。
なんといっても、あの家の家主は俺なのだ。
幸いなことに、冷蔵庫には2日分のメシはきっちり用意してきてある。
ひとまず、二人はアレを食べていれば問題ない。
黙り込んだ俺に、木田は俺が落ち込んでいると思ったのか少しオロつくと「2日くらい彼女と連絡とれないくらいどって事ねーって!」と背中を叩きフォローしてくる。
本当に良いヤツだ。
痛いしうるさいが。
「ていうか、彼女じゃないし」
居るのは同性愛者でワガママな幼馴染兼同居人とその恋人の美少年だけだ。
「それはもういいっつーの!ま、とりあえず今は旅行を楽しもうや!」
「そうだな」
俺が頷いた瞬間、通りの向こうから目的の夜行バスがやってきた。
さて、これでやっと眠れる。
今日は本当に色々あって疲れた。
俺は、木田と並んでキャリーケースを引きずりながら、心の中小さく謝っておくことにした。
ごめん、幹夫。
お土産買って帰るから。
明彦と二人で食べられるような、美味しいやつ。
そんで、帰ったらお前の買ってきたはちみつでカフェラテ作ってやる。
ごめんな、って謝りながら、いつもよりはちみつを多めに入れて。
そしたら、アイツ、意外と優しいヤツだから、きっと
きっと、許してくれるだろう。