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「ラティ殿下、言いつけ通り参りました」
「ど、どうぞ!」
どんなに鞭に打たれた日も、ケインは毎晩僕の部屋に来てくれます。友達のウィップに会う為に。……いいえ、これは都合の良い僕の解釈ですね。王太子からの「言い付け」で、ケインは今日も僕の部屋に来てくれました。
僕は次期国王。尊い存在なので、誰も僕の命令には逆らえないのです。その事に、僕はホッとしつつも、たまに虚しくなります。僕が次期王でなければ、ケインは僕の所になど来てくれない事は「弁えて」おかねばなりません。
「あぁ、ケイン。来てくれてありがとう」
「ラティ、また泣いてたのか」
「……そんなワケないじゃない。僕も、もう子供じゃないよ」
「ふーん、どうだか」
僕は部屋に入ってきたケインに駆け寄ると、軽口を叩き合いながら、いつものように二人でソファに並んで腰かけます。そして、ケインの肌に付いた傷を見て、改めて自分の出来の悪さに辟易してしまうのです。
「ケイン……ごめんね。ごめん。僕のせいで。こんなに赤くなって……痛い?」
「毎日同じ所を叩かれるから、全然良くなんねーよ。昨日の訓練で出来た傷も治ってねぇのに」
「……ごめん」
ケインは、ただ事実を述べているだけなのに、その言葉にジワリと涙が込み上げてきそうになります。僕が泣くなんて、お門違いも甚だしい。僕は泣きそうなのがケインにバレないように少しだけ俯きました。
「ごめん、ケイン……ごめんね。ごめんなさい」
「あーぁ、俺はいつまでラティの代わりに鞭を打たれなきゃなんねーのかなぁ」
そうやって、ただただ謝る事しか出来ない僕に、ケインの深い溜息が漏れます。その溜息に僕は、情けないやら申し訳ないやら。そんな事を思っていると、ケインの口から最も聞きたくない言葉が聞こえてきました。
「あーあ。フルスタ様付きの鞭打ちなら、俺もこんなに鞭に打たれずに済んだろうに」
「っ!」
フルスタ。
それは僕の腹違いの弟の名前です。僕の母は四歳の頃に病気で亡くなってしまいました。その為、僕のお父様……国王陛下はすぐに、次のお后様を迎え入れられたのです。その二人の間に出来た第二王子の名前が「フルスタ」です。確か、今は十二歳だった筈です。
「弟に聞いたけどさ、フルスタ様は一切問題を間違ったりしないそうだ。むしろ、家庭教師の間違いを指摘するそうだぜ」
「そ、そうなんだ」
僕にケインが付いているように、フルスタにはケインの弟が付いています。なので、最近はよくケインの口からフルスタの名前が出てきます。少し……いや、かなりサイアクな気分です。
「むしろ、家庭教師が鞭に打たれた方が良いって皆で笑ってるらしい」
そう言って、ソファにゆったりと腰かけウィップをパラパラとめくるケインの姿は、出会った頃とは異なり、今や立派な大人の男の人です。
可愛らしかった顔つきはシャープになり、切れ長の目から覗くエメラルドグリーンの瞳は、ケインの精悍な美しさをより際立たせています。ただ、お星さまのようにキラキラと輝く金色の髪の毛は、あの頃のまま。あぁ、とてもきれい。
「しかも、家庭教師が勘違いをして、まだ教えていない部分まで質問してきても普通に答えちまうみたいでさ。そのせいで家庭教師が範囲を間違っている事に気付けないから、むしろ、うちの弟の方が答えられなくて困るって言ってた。な?笑えるだろ?」
「……」
楽しそうに話すケインに、僕は心の中だけで答えます。「そんな話、ちっとも笑えないよ!もう止めて!」と。でも、僕はそれをケインには言えません。言ったら、出来損ないの兄が、たった十二歳の弟に嫉妬している事がバレてしまう。それこそ笑えないからです。
「そ、そうだね。すごく……すごく、おもしろい!」
僕は必死に面白い“フリ”をしていますが、大丈夫でしょうか。ちゃんと笑えているでしょうか。
「だろ?だいたい、うちの弟もバカなんだよ。不足の事態に備えて少し先を予習くらいしとけって話だ」
「う、うん」
どうやらバレていないようです。ケインはウィップから顔を上げると、僕の方をジッと見つめながら、そりゃあもう嬉しそうな顔で微笑みました。フルスタの話をする時のケインはいつも以上に楽しそう。あぁ、苦しいです。
でも、僕は頑張って笑い続けます。だって、僕はただでさえ出来損ないなせいでケインに迷惑をかけているのに、その上性格まで悪いなんてバレたら、本当に嫌われてしまいます。
「ほ、本当に……フルスタは凄いね」
「あぁ、最高に立派な御方だよ」
あぁ、もう我慢できません!こういう時は話を変えるのが一番です。
「ね、ねぇ。ケイン!そういえば、金軍の左軍の指揮隊長に昇格したんだって?」
「あぁ、聞いたのか」
「うん、凄いね!十六歳で指揮隊長に任命された人は初めてだって聞いたよ!」
僕はつい先程部屋守の兵士から聞いた話をケインに振りました。これで、ケインの口からフルスタの話を聞かなくてよくなります。あぁ、良かった!
「やっぱりケインは凄いよ!」
「別に凄くなんてない。今、バーグとの関係が悪くなってるから、いざって時の為に先に人事を動かしただけだろ」
「……あ」
「戦争になったら、左軍である俺はまっさきに戦場に行く事になる。……ま、別にいいけど」
「ぁ、あ……えっと」
「戦争になったら、俺は死ぬかもな?」
「っっっ!」
あぁ、僕はなんて事を言ってしまったのでしょう!そうです。今は隣国バーグとの関係がとても悪化しています。その中での軍での昇格なんて、ただ危険が増すだけなのに。僕は、本当に愚か者の出来損ないです。
「せ、戦争になんてならないよ!きっとお父様が……陛下がなんとかしてくれるから」
「確かに陛下は名君と言われる方だけど、国の威信もあるし……こないだの会談で話し合いも決裂してる。それとも、次期国王陛下であるラティ王子には、戦争を回避する何か良い案でもあられるんですかね?」
ケインがスッと目を細めながら僕を見ます。その問いに、僕は何の答えも持ち合わせていません。僕は自分には何の能力も無いのに、全ての問題を父に丸投げして無責任な事を言った自分を恥じました。
僕はどこまで愚かなのでしょう。ずっと目の奥に滲んでいた涙が、少しずつせり上がってきます。堪えなければ。
「……フルスタ様が言っていたそうだ」
「へ?」
俯く僕に、ケインの口から再びフルスタの名が漏れ聞こえてきました。ダメ、ダメです。ただでさえ、泣く事を堪えるのに必死な今の僕に、ケインの口から「フルスタ」という言葉を聞かせてはいけません。いけないのに……っ!
「バーグから、ラティゴ金山の返還を要求するには、領土の一部割譲か、もしくは、それに見合う対価が必要になるだろうって」
「そ、そうだね。バーグも似たような事を言ってきたらしいよ。だから、陛下はそんな横暴には応じられないって怒って……」
「フルスタ様は“それに見合う対価”として“自分”をバーグに人質として送ってはどうかと提案しているそうだ」
「っ!」
それは初耳です。まさかフルスタがそんな事を言っていたなんて!
「もちろん、陛下はそんな事はさせられないと却下したそうだ。ただ、フルスタ様は自分の身一つで国や民への犠牲が最小限に抑えられ、国の安寧が守られるのであれば、公共の利益の為に喜んでこの身を差し出せないかと考えているんだそうだ」
「……ぁ」
なんという事でしょう。まだ、たったの十二歳の弟が、そんな立派な事を考えていたなんて。僕はケインの口から発せられた弟フルスタの言葉に、呼吸が苦しくなりました。
—–ウィップ。僕は王太子になんて生まれたくなかったよ。
—–スピルの国民の為なんて言われても、頑張れないよ!
僕はいつもそんな事ばかり考えていたというのに。それに引き換えフルスタは……。
ドクドクとウルサく鳴り響く心臓に、僕は深く呼吸をします。ダメだ、ダメだ。泣いてはいけない。自分の事しか考えていない僕に、涙を流す資格など無いのだから。
「まったく、あれでまだ十二歳だってんだから驚くよな」
「……フルスタに会ったの?」
「ああ、丁度授業が終わった後、中庭を歩いていたらたまたまな」
フルスタの事を思い出しているのか、ケインの表情はとても嬉しそうです。なんで、フルスタに会った事を嬉しそうに話すのでしょう。モヤモヤする。イライラする。とても、イヤな気持ちです。
「……しゃ、しゃべった?」
「少し。スピルの未来を、どうか頼みますって頭を下げられたよ。弟にはもったいないぜ。俺もあぁ言う人にお仕えしたかった」
「っ!」
あぁ、もう……ダメです、我慢できません。
ケインの言葉が僕の心をポーンと崖底に落っことしてしまいました。僕は零れ落ちてくる涙を抑え切れず、手で口元を抑え込みました。
「っぅ、っふ……ぅえ」
「ん?なに泣いてんだよ、ラティ」
未だにどこか嬉しそうな声色で尋ねてくるケインに、僕は急いで涙をゴシゴシと腕で拭います。今ならまだ間に合う。まだ、涙を止める事が出来る。
「……ううん、なんでもっ。ないよ!」
「何でもない?」
「うん!ちょっと……目にゴミが入っただけ!」
言いながら必死に目を擦る僕に、ケインが突然ヒヤリとした声で言いました。
「ラティ。お前、俺に嘘吐くのか?」
「あ、いや……」
「友達に嘘は吐かないって言っておきながら……俺に嘘をつくのか?だとすれば、俺はお前にとって友達じゃないって事になるな?」
「あ、あっ!違う!ちがうよっ!」
そう、どこか冷たい目で見てくるケインに、僕は必死に首を振りました。その瞬間、後から後から滲んできた涙が次々と零れ落ちてきます。あぁ、もうダメです。今更どうしても、この涙は止められそうにありません。
「ち、ちがう!あ、あの……ぼく、あの……情けなくって!フルスタが、立派なのに……僕はこんなだから……!」
「それで泣いたのか?本当に?」
ケインの切れ長の目がスッと細められ、僕の心をスルリと捕らえます。その、全てを見通すような美しい瞳に、僕はとうとう観念しました。ケインには、きっと僕の恥ずかしい部分などまるきりお見通しなのだと思います。
「けっ、ケインが……フルスタばかりをっ……ほめるからっ!」
「へぇ、俺がフルスタ様を褒めると、何でラティが泣くんだ?」
「けっ、ケインは……僕の、ぼくのっ……友達なのにっ……ぼくのっ……ぼくのなのにぃっ」
「それで?」
涙で目の前がまるきり見えなくなりました。ただ、鼻をすする僕の情けない声の向こうから聞こえてくるケインの声は、どこか楽し気です。
「でも、ぼぐはっ、フルスタみたいに、立派じゃないから……ケインを、とっ、とられたら、いやだよぉっ……」
「へぇ。つまり、ラティは俺がフルスタ様を選ぶんじゃないか心配になって……嫉妬したって事か」
「う゛んっ」
見事ケインに言い当てられた醜い心の内に、僕はもう涙と共に頷くしかありませんでした。
「ラティ、お前ってホントにすぐ泣くのな」
「っうぇ……ごめぇん」
それまでと違い、柔らかい声色になったケインに僕はホッとしました。ケインは、まだ僕を友達だと思ってくれている。だって、ケインが他の人と話している時、こんな声になっているのを、僕は聞いた事がありませんから。
ケインの優しさは、まだ僕だけのモノです。それが、僕が「スピル王太子」だからだとしても、それでも良い。
ケインは僕のモノです。他の人にはあげたくない。