※今回は「お喋り」ではなく「小説形式」です。
茂木の独白の為、お喋りにできませんでした……。
では、どうぞ!
————
——2年後。
大豆先輩が異動してから、俺は完全に腐抜けてしまった。
番が出来た事で、俺の生活の中心は完全に番中心になっていたのだ。
それこそ、大豆先輩のBL小説に出会ってから、生活の全てを捧げてきたように。今度は「番」に価値観の全てが持っていかれてしまったのである。
最後にBLを読んだのはいつだっただろうか。
大豆先輩を見送った時には、既に腐抜けかけていたので3年近くになるかもしれない。
そんな時だった。
「茂木君、とうとう東京行きが決まったわね」
俺にもとうとう異動の辞令が下った。
「一年目から見てたから、なんか息子が一人立ちする気分で寂しいわ」
「野田さん、今まで色々とありがとうございました」
「色々不安かもしれないけど、向こうには大豆君も居るだろうし。何か分からない事があったら聞いて……なんか、逆に茂木君が大豆君に教えてあげてそうだけどね」
東京本部。
しかも、二年前に大豆先輩が行ってしまった部署と同じ場所に、俺も行く事になったのだ。
「茂木さんは、これを機に結婚されるんですか」
「……いや、向こうも仕事があるので、しばらくは俺だけ東京行きです」
「まぁ、最近はオメガも抑制剤使ってバリバリやってる人も多いですからね」
そう言って笑うのは、三年前から嫌味なくらい何も変わらない“十勝”だった。
しかし、二年間一緒に仕事をしてきて思った。十勝は……十勝さんは、本当に優秀で優しい人だった。大豆先輩が一緒に居た時は、妙に張り合ってしまっていたが、競争心の無くなった今、ただただ十勝さんは普通に尊敬できる先輩になっていた。
「大豆に会ったらよろしく伝えてくれ。もしかしたら、来年は俺もソッチに異動してるかもしれないし……二年も経ったんだ。もう、気まずくはないだろ?」
「……はい」
「じゃあ、頑張ってくださいね」
こうして、俺は広域異動による引っ越し作業に伴い、3月の半ばには慣れ親しんだ事務所を後にした。
◇◆◇
「はぁ……疲れた」
東京に来た。
念のため、いつ番を受け入れる事になっても良いようにと、広めの部屋を借りたせいで、荷解きをしても部屋はスカスカだった。
「これで、片付けは全部済んだな」
番からは「仕事が落ち着いたら自分もソッチに行く」と言われている。オメガにしては自立心が強く、俺はそういう所も好ましく思っているところだ。
ただ、そういう性格もあって「仕事」が落ち着くのはいつになるかは分からない。親からも周りからも「結婚」は「子供」はと、色々言われるが、全てはタイミングの問題だ。
出会ったばかりの頃は、互いに理性も何もない程求めあったモノだが、それも慣れてくると「日常」と化してくる。そう、いくら「運命」と共にあっても欲望のままに求めあってばかりもいられない。なにせ、俺達には「生活」があるのだから。
最近は、向こうの仕事にも順調なようで、毎日楽しそうだ。
「一人なんて、久しぶりだ……」
ただ、こうしてまるきり番いと離れて生活するのは、本当に出会って以来初めてだ。そ
れまで、生活も気持ちも全てをパートナーに傾倒していた俺は、一人になった途端、どうしたら良いのか分からなくなった。
「……さて、どうしたものか」
有給を使って早めに引っ越してきたせいで、4月1日の異動日までにあと一週間近くある。
もう少し自分の手際の良さを考慮して動くべきだったと微かな後悔の念が過る。こんな事なら、もう少し番と居る時間を増やせばよかった。
「暇だ」
これまで、俺は時間が空いた時何をして過ごしていただろうか。いや、だいたい部屋には番いが共に居て、相手のしたい事に全力を注いて過ごしてきた。
じゃあ、番に出会う前は?
そう思った時、気まぐれにスマホを手にしていた。
「……そうだ。BLを読んでたんだった」
ずっと、読んでいた。そりゃあもう数えきれない数のBL小説を。漫画も読んできたが、移動中もいつでも気軽に読みやすいのは、やっぱり小説の方だった。それに、文字の方が色々と妄想しやすくて、自分には合っていた。
「久々に……何か読むか」
完全に腐抜けた俺が今更BLを楽しめるのかは分からないが、ともかく時間さえ潰せればいい。そう思って、本当にただただ気軽に、再び、俺はBLの扉を開いたのだった。
◇◆◇
「……え、もう朝?」
腐抜けた2年で、俺はすっかり忘れてしまっていた。一度腐った食べ物が、また新鮮な状態に戻る事などないという事を。
そして、沼に落ちる時は一瞬だという事を。
「……ヤバイ、面白過ぎる。これで、読んでいない作品がまだ山のようにあるなんて。待てよ。一週間で読み切れる筈がない。これだから投稿小説サイトはヤバイんだ。全部無料っておかし過ぎるだろ!!」
荷解きが終わった夜7時。
そこから俺は徹夜で投稿小説サイトにあるBL小説を読みあさっていた。
しかし、2年間も腐抜けていた事もあり、読めていない名作。新しく生み出される作品の大群のせいで、正直時間がいくらあっても足りなかった。しかも、その詰みブックマークの山の中、更に最悪で最高なのが。
「……これは、ヤバイ」
“推し作家”が出来てしまった事だ。
「あぁ、この『おいだき』さんって人……良いなっ!」
「風呂の?」と、一瞬問いかけたくなる独特なHNのネーミングセンスはさておき、作風は完全に俺好みだった。文体も、カップリングも、読後感も、全て俺好み。妄想もかきたてられるし、何はともあれ……最高に萌えた。
「完全に癖を突かれてしまった……堕ちた」
久々のBL沼に、俺はベッドの上で額に手を当てしみじみと感じ入った。
「あぁっ……最高だ!」
ジワジワと腹の底から満たされるような、番から受けるモノとは全く異なる充足感。
そうやって、程よい疲労感と多幸感に包まれつつ文字を追いながら、ふと思った。「おいだき」さんの小説には一点だけ引っかかる点があったのだ。
「……大豆先輩の書き方に、似てる」
そう。3年前、俺に番が出来た事で疎遠になってしまった職場の先輩の文章の書き方に、妙に似ている気がするのだ
「もしかして……大豆先輩なのか?」
大豆先輩。当時のHNは「豆乳」さん。
彼は、俺の全青春をかけてハマった作家であり、俺の癖を形作った……神そのものだ。その神に「おいだき」さんは、よく似ている。
「いや、でも待て。おいだきさんのSNSは、どう見ても大豆先輩のモノとは思えない」
そう。俺は「おいだき」さんの小説をいくつか読んだ時点で、この作者のSNSアカウントにも飛んでみたのだ。するとどうだ。フォロワーの多さといい、発信の仕方といい、一切大豆先輩のソレではなかった。
ありていに言えば、「おいだき」さんは非常に社交的で明るかったのだ。しかも、既に商業でも何冊も本を出版している。
「……人見知りの大豆先輩に、コレは無理だ」
そうやって、否定して「おいだき」さんの別の作品を読み進めても、ふとした瞬間に大豆先輩の顔が過る。文章表現の癖や、展開、カップリング。そして何より。こうして俺自身が夢中になってしまっている事が何よりの証拠のように思えてならなかった。
「そういえば【まろやか毎日】はどうなったんだ」
俺は、それまで延々と入り続けていた投稿サイトの画面を閉じると、久々に懐かしいブックマーク先へと飛んだ。
「……あった」
画面に映る【まろやか毎日】というサイト名に、思わずホッとした。あんな別れ方をした後だ。もしかしたら、閉鎖されているかもと一瞬のうちに思ってしまっていたのだ。
けれど、そこにはあの頃と変わらぬままの姿の【まろやか毎日】が映し出されている。
当時、大豆先輩への罪悪感で訪れる事のなくなった懐かしい場所が、そこには変わらずあった。
「最終更新履歴は……“あの日”が最後か」
——
更新しました!(完結です!)
—–
いいね0
俺が大豆先輩を避けている間、その中でも粛々と更新され続けていた……大豆先輩の唯一の未読作品。サイトの更新履歴は、その作品の完結を示す2年前の表示から止まったまま動かなくなっていた。
「……やっぱり、こうなったか」
以前もそうだった。
あの時も、俺が感想を送らなくなった事を機に大豆先輩は更新を辞めてしまった。だから、今回もそうなるだろう事は予想していたし、だからこそ俺は【まろやか毎日】にも行かなくなったのだ。更新履歴が、俺を責めているように見えたから。
「SNSも……更新されてないか」
———–
異動になったので、皆が買ってきてくれました!
花束を貰うのも、緑色の花束も、全部初めてで嬉しかったです!
今まで、応援してくれたり、助けてくれてありがとうございました。
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大豆先輩のサイト用の鍵アカウント。
フォローもフォロワーもそれぞれ1。俺と大豆先輩しか居ないそこも、最後のあの日のままピタリと時を止めていた。
「……どんな、作品だったんだろう」
2年前は一切興味の湧かなかった大豆先輩の作品に、俺の興味は再び頭をもたげた。再び腐の沼に舞い戻った俺にとって、そこにあるのは推し作家の未読作品である。
自分のせいで更新を止めてしまった相手に対する良心の呵責も、確かにある。けれど、それを遥かに上回る「読みたい」という読者としての欲求。
「……これを読んだら、寝るか」
俺は懐かしい個人サイトの作品一覧にアクセスすると、そのまま止められない欲望に突き動かされるようにページをめくっていった。
◇◆◇
「……はぁ、おわった」
一時間後。
俺は言葉にならない感情に襲われていた。手にしていたスマホを、枕の脇に置き、両手で顔を覆う。
「おもしろい……おもしろかった。やっぱり、最高でした。大豆先輩」
やっぱり、大豆先輩の……豆乳さんの作品は最高だった。
読み始めてから、けっこうな長さの話だったにも関わらず一気に読み終わってしまった。
「けど、これは」
俺は顔を覆っていた両手をどけると、再びスマホを手にした。
その作品は、それまでの大豆先輩の作品とは一線を画していた。そして、物語の佳境のページを再びめくる。
——誰か悪者になってよ!誰でもいいから俺に責めさせてよ!なんで皆、仕方ないっていうんだよ!じゃあ、俺は一体どうすればいいんだよ!
作中の主人公は、攻めとは結ばれなかった。
最後の更新作品は、完全なるバッドエンドで幕を閉じたのだ。
「……やっぱり、怒ってたんですね」
この主人公の叫びは、完全にあの時の大豆先輩の気持ちそのものだろう。
「平気そうな、顔をしてたじゃないですか」
器用な人で無かった筈だ。
それでも大豆先輩は、あの時、俺に対して直接何も言ってはこなかった。毎日顔を合わせる度に笑顔で「茂木君、おはよう」と笑いかけてくれていた。
けれど、やはり大豆先輩は小説を通して俺に伝えていたのだ。
—–茂木君!なんで、俺にかまってくれないの!
「バッドエンドなのに面白いって、どういう事なんですか。大豆先輩」
普通、後味の悪くなりがちなバッドエンドにも関わらず、その話は妙に読後感が良かった。ただ、やはり切ない事には変わりなく、静かな波打ち際のような感情が押しては引いてを繰り返す。
やっぱり、大豆先輩の作品は最高だ。
「……会ったら、感想を伝えていいだろうか」
嫌がられるだろうか。今更遅いと怒るだろうか。
けれど、伝えたかった。なにせ、大豆先輩は感想を伝えると、照れながらもそれはもう嬉しそうに受け入れるから。
——ふふ、茂木君は褒め過ぎだよ。
俺は、またあの顔が見たいと思ってしまった。
あの嬉しそうな目で見つめられたかった。
作品の感想。それを与えてくれる相手が、創作者にとってどれほど代えがたく尊い存在か、俺は大豆先輩を見ていてハッキリと理解している。
創作者の承認欲求は、いくら自分を見捨てた相手のモノだとしても抗えるモノではない。
「……伝えたら、また書いてくれるかもしれない」
大衆向けに書かれる「おいだき」さんの作品も俺の「癖」には変わりない。けれど、大豆先輩は「俺」にだけ作品を書いてくれる。今、こうして再び俺がBLの世界に戻って来れたのは絶好のタイミングだった。
あの頃のよう身も心も捧げる事は出来ないが、ファンとして構い倒す事は出来る。そうしたら、また「あの頃」のように戻れるかもしれない。
「昔の作品も、読み直すか」
どうせ、一週間後にはまた会える。
俺は、寝るつもりだったにも関わらず、その後も結局昼過ぎまで大豆先輩の小説を読みながら過ごした。
こうして、異動日までの一週間。
俺は、それまでの腐抜けた毎日を取り戻すかのように腐った時間を謳歌した。再び大豆先輩に会える日を、心のどこかで楽しみにしながら。
俺は確信していたのだ。大豆先輩なら、俺の感想にまた応えてくれる、と。
だから、俺は忘れていた。
「大豆君?あぁ、確か居たわね。そんな子」
「え、居たとは……?」
「彼、一年前に辞めたわよ?」
「は?」
——今度俺の前から消えたら、全部消してやる。
そう、確かに“あの日”大豆先輩に言われた。
——全部消して、今度は別の人に、構ってもらうから
いつかの大豆先輩の恨めしそうな声が、リアルに俺の耳に木霊した。
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茂木のターンが完全に独白が多すぎて、いつものお喋りに出来ず!!!
普通の小説になってしまいました!!
次で……終わりたいです!(祈り)