『大豆君?彼、一年前に辞めたわよ?』

 

神が当たり前に存在してくれるなんて、俺はいつからそんな甘い事を考えるようになったのだろうか。

個人のBL小説書きなんて、いつ消えてもおかしくない事は、百も承知だったのに。

 

「……俺は本当に腐抜けてしまったな」

 

俺は同じ部署の同僚達に「大豆亀太」という人物について尋ねてみた。俺と離れていた一年間、大豆先輩がどんな風に過ごしていて。

そして、何故仕事を辞めてしまったのか。

 

『大豆……?え、誰だっけ?』

『あっ、あー!ほら、居たじゃん……あのオドオドしてた子!会議の発表ですっごい課長に怒られてた』

『あっ、あの人か!毎回一緒に会議出るの可哀そうで見てられなかったよなー』

『なんで辞めたのか?うーん、私はあんまり仲良くなかったから知らないけど……あれは辞めたくなるのも分かるよ』

『大豆君と仲良かった人?知らないなぁ』

『彼、いつも必死にスマホ弄ってて、話しかけるなオーラが凄かったから』

 

大豆先輩について分かる事は、殆ど無かった。ただ、彼らの口から語られる「大豆亀太」という人物は、俺の知っている「大豆先輩」で間違いなさそうだった。もっとピンポイントに言えば「俺が出会ったばかりの頃の大豆先輩」だ。

 

周囲に頼れる人間の誰も居なかった彼は、ずっと誰にも心を開けずに過ごして居たに違いない。なにせ、彼は極度に怖がりで人見知りだったから。

 

「連絡、してみるか」

 

本当は最初からそうすれば良かったのだ。でも、出来なかった。

 

「……俺は、大豆先輩を傷つけた」

 

家を尋ねてきた大豆先輩を無視し、更新されてもなんの反応もせず、最後は目も合わせず別れた。

だからこそ、後ろめたくて、つい最近まで【まろやか毎日】を見る事も出来ずにいた。

 

——誰か悪者になってよ!誰でもいいから俺に責めさせてよ!なんで皆、仕方ないっていうんだよ!じゃあ、俺は一体どうすればいいんだよ!

 

俺は、確かに大豆先輩を傷付けていた。

【まろやか毎日】の最後の小説を読んだ瞬間、俺はその事実を目の当たりにした。

 

「俺が番に夢中になったせいで、貴方は書くのを辞めた。俺が、貴方に傷を負わせた……」

 

しかし、それを理解した瞬間、俺の中に浮かび上がってきたのは罪悪感より、愉悦だった。

 

「っはは、これだから大豆先輩、貴方は最高なんだ」

 

思わず高笑いが込み上げてくる程に。

それは、俺の中で大豆先輩が、再び“神様”に祀り上げられた瞬間だった。それなのに――。

 

「仕事を辞めてるって、どういう事ですか」

 

祀り上げられたと同時に、神様は俺の前から消えた。ただ、同僚たちから聞いた言葉の中で、一つだけ引っかかっている事があった。

 

「大豆先輩は……」

 

彼、いつも必死にスマホ弄ってて、話しかけるなオーラが凄かったから。

 

「今も書いてるんじゃないか?異動してからもずっと……BL小説を」

 

周囲に頼れる人間の居ない環境。慣れない事を無理にさせられるストレス。

そんな中、彼が唯一心の癒しとして求めたモノ。それこそ、「BL小説を書く」事だったに違いない。

 

—–全部消して、今度は別の人に、構ってもらうから。

「……そうだ、貴方は確かにそう言った」

 

その瞬間、俺の中に一人の書き手の名前がハッキリと存在感を持ち始めた。

 

——

おいだき

はじめまして。お話を読んでくださりありがとうございます。感想などいただけると、とても頑張れます。よろしくお願いします。

——

 

 

「『おいだき』さん。SNSも小説投稿サイトで最初に小説を上げてるのも……全部2年前の5月からだ」

 

2年前、大豆先輩が東京に異動になったのと、ちょうど同時期。これは、偶然なのか。ただの俺の過度な期待なのか。

 

「いや『おいだき』さんは、大豆先輩だ。間違いない」

 

話を読めば分かる。文章のクセ、CPの好み、物語の展開のさせ方。

さすがに二年前とは雰囲気が少し違う所もあるが、それでも「おいだき」さんの小説の全てから「大豆先輩」を感じる。

 

俺がどれだけ、何年、大豆先輩の小説を本気で読んできたと思っている。気づかないワケがない。

 

「はぁっ、大豆先輩……やっぱり貴方だったんですね」

 

ただの俺の都合の良い予想でしかない。けれど、それは何故か非常に真実に近いような気がしてならなかった。

 

「……感想を、直接伝えたい」

 

作品を褒めてあげた時の、あの笑顔が……また見たい。

俺は衝動的にメッセージアプリを開き、大豆先輩の連絡先を探す。

 

しかし、どうしてだろう。どれだけ探しても見つからない。

 

「は?どうして……?」

 

トークルームに大豆先輩の名前がキレイさっぱり無くなっていた。二年間連絡を取っていなかったので、随分下の方にある事は予想していた。けれど、さすがにコレは予想外だった。心臓が嫌な音を立てる。

 

「どうして……俺に怒ってトークルームから出た?いや……違う」

 

そもそも連絡先リストの中から大豆先輩は忽然と消えてしまっていた。ならば、と。俺は電話帳から大豆先輩の名前を探す。

 

「こうなったら、直接電話するしかない」

 

二年前から一切連絡を取っていなかった相手からの突然の着信。それは、怖がりな大豆先輩を驚かせてしまう事が容易に予想できたが、こればかりは致し方ない。俺はやっと見つけた【大豆 亀太】の名前をタップすると、一呼吸置いてすぐに「通話」ボタンを押した。

 

【おかけになった電話番号は、現在使われておりません】

 

通話ボタンを押して一拍の後、聞こえてきた機械音に、いよいよ俺は焦った。この感覚は、“あの時”と同じだ。

 

十代の頃、俺の出来心のせいで神様が、更新をやめた。あの時と同じ。

 

「なん、で」

 

こうなってくると、俺は大豆先輩に対する連絡手段の一切を失くしてしまった事になる。東京に来れば、嫌でも顔を合わせてしまう事になるだろうと、異動発表を受けた直後は少し気が重かった。

 

にも関わらず、今はどうだ。

 

「大豆先輩……俺の事を、避けてるのか?やっぱり怒っている?そうだろうな。俺は貴方を傷つけた。しかも二度も……っはぁ、そうか、やっぱり大豆先輩は俺に対して怒っている。うん、仕方ない……っいい」

 

大豆先輩と繋がりが完全に途絶えてしまった事に、俺は焦り同時に、腹の底から興奮してしまった。

神様が、俺に対して強い感情を向けている。

 

「最高」

 

しかし、興奮してばかりもいられない。

 

「あぁ、許しを乞わないと……俺は貴方にもう一度会いたい」

 

俺は興奮のあまり高ぶる感情を必死に落ち着かせながら、思考を必死に働かせた。

 

「十勝さんなら……」

 

そこから、俺は急いで十勝さんにも連絡を入れた。大豆先輩と連絡先取っているのか。もしくは新しい連絡先を知らないか、と。この時の俺は、再び大豆先輩と連絡を取る事など、造作もない事だと、心のどこかで思っていたのだ。

 

「え、知らない?」

 

しかし、ここにきて尚、やはり俺は見通しが甘かった。

十勝さんすら、大豆先輩の連絡先が無くなっている事にすら気付いていなかった。聞くところによると、異動当初は連絡を取っていたらしいが、次第に連絡をする事が減っていったらしい。

 

最初は大豆先輩から口留めでもされているのかと思ったが、十勝さん自体も大豆先輩の連絡先が消えてしまっている事に、ショックを受けている様子だった。

 

—–大豆、やっぱり俺にも怒ってたのか。

 

あの声は、どうしても嘘とは思えなかった。

 

「……今、どこに居るんですか。大豆先輩」

 

実家に帰ったのかもしれない。

大豆先輩は一人暮らしを出来るようなスペックは何もなかった。掃除も洗濯も何も出来ない。料理なんかもっての外だ。俺の家に泊まりに来ていた時も俺が料理をするのを「凄いねぇ、茂木君は」とニコニコ眺めていただけだった。

 

「貴方は、書く事だけしか出来なかったじゃないですか。俺が居ないと他はてんでダメで……」

 

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『少年週末紀行  おいだき』

 

その間も「おいだき」さんの更新は毎日欠かさず行われていた。

もちろん、SNSの更新もマメだ。

 

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@oidakiatiti

今日は編集さんといつもの喫茶店で打ち合わせでした。今書いてるモノについて、また皆さんにお披露目できるのが楽しみです~。

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「いつも、同じ店……か」

 

「おいだき」さんのSNS。

現実世界の繋がりを失ってしまった俺に残された大豆先輩への道は、このSNSの情報だけだった。

 

「ここは……どこだ」

 

そこから、俺は大豆先輩の居場所を探れないか調べてみた。

 

そこにはお気に入りの喫茶店なのか、毎度同じ店が登場する。ただ、いつ見ても店の名前は出てこない上に、画像に映り込む飲み物はブラックコーヒーのみ。これだけの情報では、店の特定は不可能に近い。

 

「でも「おいだき」さんが「大豆先輩」なら、絶対にどこか綻びがあるハズだ……」

 

あの人は、ともかく迂闊だったから。

 

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@maroyakamainichi

新人の男の子から飴を貰いました。俺が電話にたくさん出ていたので、気を遣ってくれたみたいです。彼は、とてもしっかりした良い子です。

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≪捨てる時はシュレッダー!ゴミ箱はだめ!恥ずかしいから!絶対に言う!≫

 

あの時も、俺はSNSから大豆先輩を……豆乳さんを見つけ出した。だとしたら――

 

「今回も絶対に見つけてやる」

 

俺は2年前からの「おいだき」さんの発信をあらいざらいチェックした。「おいだき」さんは、「豆乳」さんとは違い、発信もマメなせいで全てを辿るのに相当な時間を要した。

仕事以外の時間は全て「おいだき」さんに費やす。それはまるで、俺の……高校時代の巻き直しのような時間だった。

 

「貴方は、どこまでも普通な癖に……いつも俺を夢中にさせてくれる。運命でもないのに……何ででしょうね」

 

そんな人間他に居ない。むしろ、大豆先輩もまた俺の「運命」とも言えた。

そして、「おいだき」さんのSNSをチェックし始めて一週間。

 

「見つけた……!」

 

俺は、彼が良く行く喫茶店を見つけ出した。そして、やっぱり「おいだき」さんは大豆先輩だった。

 

——–

@oidakiatiti

家だと集中できないので、ついつい外に出ちゃいます。作業机からベッドが見えてたらダメですね~。すーぐ寝たくなっちゃうので。

2年前

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2年前の発信。

その発信に添付されていた画像には、ガラス越しにうっすらだが店の看板が映っていた。おまけに、別の発信に添付されている画像には、飲み物に映り込む大豆先輩の顔もまた視認できた。拡大して解像度を上げれば簡単だった。

 

「……東京に居たんですね。大豆先輩」

 

その喫茶店は東京にあった。しかも、俺の自宅からもそう遠くはない。

良かった。実家に帰っていたらどうしようかと思った。さすがに、異動したばかりのこのタイミングで連休は取りずらい。

 

「画像に光の具合から……平日の午後2時から3時。眠くなる頃合いに外に出られる事が多いみたいですね。休日は客の入りが増えるから基本的に外に出ない。ええ、貴方らしい。他人の声の大きさにも怖がってましたもんね」

 

今週はまだ外に出ていないようだ。だとすれば、そろそろ、パソコンを持って外に出てもおかしくない頃だろう。

 

「明日あたり、午後外回りに出てみるか」

 

明日会えなくてもいい。会えるまで、通うだけだ。

俺は日々更新される萌えの源泉のような小説に心を滾らせながら、久々に会えるかもしれない神に体を熱くさせた。

 

「あの時言えなかった感想も、全部直接伝えますから」

 

それは、番を隣に感じる時のように激しい熱さではなかった。けれど、決して冷める事も、覚める事もない精神を掌握されるようなジワリとした温かさだった。

 

 

◇◆◇

 

 

午後二時、大豆先輩行きつけの喫茶店に来た。

一本路地裏に入った、長い歴史を感じさせるそこは平日の昼間は、外界と隔絶されたような静けさを漂わせていた。

 

「アメリカンで」

「はい」

 

店主も過度な干渉をしてこない。あぁ、確かに大豆先輩にはピッタリな店かもしれなかった。俺は、いつも大豆先輩が座っているであろう席に腰かける。発信されていた写真と、大豆先輩の性格を鑑みれば、ソレはすぐに分かった。

 

店の一番隅。壁際のテーブル席だ。

 

「ひとまず、一時間だけ待つか」

 

外回りで外に出て問題がない時間は……約一時間。その時間で会えなければ、また次の機会を伺うしかない。そう思った時だった。

 

カラン

 

「っ!」

 

店の扉が開く音がした。緊張でゴクリと唾液を深く飲み下す。勢いよく顔を上げ、入口を見た。

 

「……」

 

背中には大きなリュックを背負い、控えめに視線を俯かせながら店に入って来たその人物。店主の「いらっしゃい」という声に、相手は懐かしい声で「こんにちは」とだけ言うと、そのまま静かに顔を上げた。そして――。

 

「あ」

 

目があった。

今の「あ」は俺の声ではない。相手の……

 

「大豆、先輩」

 

大豆先輩の声だ。それは「茂木」という既知の相手に対して発された声なのか、それともいつもの自分の席を取られていた事に対する声なのか。その時の、俺には判断がつかなかった。しかし、すぐにその答えは出た。

 

「茂木君?」

 

大豆先輩が、俺の名前を呼んだ。まるであの頃と変わらない声と、そして姿で。

 

「大豆先輩、あの……お久しぶりです」

 

俺は、やっと俺の神様と再会する事が出来た。