グギャァァァッ!
そこには全身甲冑に身を包んだ戦士が、たった一人で巨大なドラゴンと対峙していた。
「マジかよ。……だから、このダンジョン。Sランクだったんだ」
Sランクにしては敵が弱いと思った。しかし、あんな巨大なドラゴンが居るのであれば話は別だ。あんなのと戦ったら確実にタダじゃ済まない。
「やっべぇ……逃げねぇと」
俺が息を殺し、再び来た道を戻ろうとした時だ。
ガャァァァッ!
「っぅ!」
再びドラゴンの激しい咆哮が鼓膜を震わせた。巨大な翼が空を切り、激しく吐き出された炎のせいで、周囲の空気が一気に熱を持つ。
「あっつ!」
離れた距離で受けた熱波ですら、ジリと肌を焼くようにダメージが入る。だとしたら、一番近くであの攻撃を受けていたあの戦士はどうなったのだろう。そう、俺はとっさに視線をフィールドへと向けた。
すると、そこにはフラつく事もなく、未だにしっかりとその場に立つ戦士の姿があった。
「す、すげぇ。あんな攻撃くらっても、普通に立ってられんのかよ」
一体、どんな防御力をしてるのだろう。しかも、かなりデカい。あれは、きっと名のある戦士に違いない。そう思ったところで、俺は一つの大きな違和感に気付いた。
「ちょっ、アイツ。なんで攻撃しねぇんだ?」
しかし、怒り狂うドラゴンを相手に、戦士は一切攻撃を加えようとしない。ただ、手にしていた盾で一方的に繰り出される攻撃を必死に受け続けているだけだ。
だったら他に仲間が居るのだろうと、周囲を見渡してみるが、パーティメンバーらしき人影は欠片も見当たらない。
「嘘だろ。アイツ死ぬぞっ」
どうやら持っていた盾も限界にきているようで、形が変形し始めている。鎧もボロボロだ。
「も、もしかして……怪我してる?」
いや、どうするもこうするもないだろう。選ぶコマンドは【逃げる】の一択だ。
だって、ただの通りすがりの弓使いでしかない俺が、アイツを助けてやる義理も力もない。そう、無いのだがっ……!
「あぁぁぁっ!クソッ、いらん事に気付くんじゃなかった!」
パーティの居ない、ソロプレイヤーの戦士。しかも、何故か攻撃を受けるだけ受けて、反撃しようともしない。
そう、このまま見捨ててしまったら、確実にあの戦士は死ぬ。ソロで戦うという事は、まさにそういう事だ。
なにせ、ソロってのは言ってしまえば、ただの〝ボッチ〟でしかないのだから!
「ったく、ボッチでドラゴンに挑んでんじゃねぇよ!」
俺は傍にあった一本の木に手をかけると、素早く足場に出来そうな高い枝まで登り切った。その瞬間、視界が開け、一気に戦況が把握しやすくなる。木の上に登ったからこそ分かる。ドラゴンの大きさ。そして、強靭さ。
弓使いの俺に、勝てるはずもない。けど――。
「今は、あの戦士も居る」
もちろん、弓使いである俺一人では絶対に倒せないが、前衛を任せられる〝戦士〟の居る今なら、倒せる可能性だってゼロではないはずだ。
「あの竜を倒せたら、絶対に報酬は半分貰うっ!」
なにせ、こっちは金がいくらあっても足りないのだ。勝機があるうちに、少しくらい危険な橋を渡るのも、悪くない賭けだ……と信じたい。
俺は一番高い枝の上から、ドラゴンに向かって弓を構えた。足場は安定しているとは言い難い。俺は軽く足を開くと、下腹部に力を込め、体幹を安定させた。
深い呼吸の後、一気に矢を引き絞る。
「っふーーー」
狙うはドラゴンの目。その一点のみ。
目はどんなに固い生き物でも、必ず急所になりえる。的が小さかろうが、狙うならそこしかない。
ヒュンッ。
「……当たる」
放った瞬間、確信する。
矢が空を切り、ほぼ無音のままドラゴンの目を貫いた。
その瞬間、それまで戦士を前に臨戦態勢を崩さなかったドラゴンの動きが、ピタリと停止する。しかし、次の瞬間俺の鼓膜を激しい悲鳴がつんざいた。
ギャァァァァッ!
のたうちまわるドラゴンのせいで、足場にしていた木が大きく揺れた。俺はあわてて木の幹で体を支えると、その瞬間、ドラゴンの前に立つ戦士に向かって力の限り叫んだ。
「今だっ!ソイツにトドメを刺してくれっ!」
戦士は兜をかぶっているせいで、俺と目が合っているかは分からない。ただ、声は聞こえているのだろう。俺とドラゴンを交互に見つめては、慌てたようにその場でパタパタと動き回っている。
「おいっ、どうした!?毒矢じゃねぇから、アレじゃドラゴンは倒せないぞっ!」
そう、なにせ毒は高いから買えないのだ!くそっ、なんでこう弓使いは金ばっかりかかるんだよ……じゃないっ!
あの戦士は、一体どうしたんだ。さすがのドラゴンも目を一発射抜いたくらいでは、倒せないというのに。あの軽快な動きを見るに、酷い怪我があるようにも見えない。
「おいっ、今の内にトドメを……って、えぇぇっ!?」
ここにきて、俺はようやく理解した。なぜ、戦士がトドメもささずその場で立ち尽くしているのかを。
「はぁっ!?なんで、剣持ってねぇんだよっ!」
そうなのだ。よく見てみたら、戦士は悠々と巨大な盾を片手で持ってはいるものの、もう片方は手ぶらだったのだ。もちろん、腰に剣らしきモノも見当たらない。
そんな中、どうしていいのか分からないのだろう。今や棒立ちの状態で、ジッと俺の方を見上げている。
「おいおいおい!!やべぇぞ」
そうこうしているうちに、先ほどまで痛みで呻いていたドラゴンの咆哮がピタリと止んだ。そして、痛みと怒りに満ちた目がハッキリと俺を捕らえる。その瞬間、ひゅっと呼吸が乱れた。
同時に「死」という言葉が脳裏を過った。まさか、こんな誤算で死ぬ事になるとは。
「……こんなん、犬死にもいいところだ」
俺はこちらに向かって羽ばたこうとするドラゴンに、残りの一本を打ち込むべく弓を構えた。無駄な悪あがきだという事は分かっている。でも、何もせずに死ぬのは御免だ。
「……くそっ」
でも、手が震えて的が絞れない。その瞬間、耳元で俺をパーティから追い出したリチャードの言葉が脳裏を掠めた。
——–前衛の俺は、お前らを守る為に必死に前で戦ってんのに。お前はいいよな。いっつも安全な後ろから攻撃出来て。
「確かに、敵が間近に自分を狙ってくんのは……怖いな」
でも、だ!
「それはお前が勝手に突っ込んで行くからだろうがぁぁっ!」
俺は、最後の最後で苛立ちまぎれに叫ぶと、そのまま最後の矢を手から放った。しかし、放った瞬間。既に結果は分かっていた。
「……やっぱりな」
俺の弓はドラゴンの分厚い羽根に阻まれて、何も果たせずその役目を終えた。完全に無駄撃ちだ。
ソロの弓使いは百発百中である事が大前提だ。
ソレは何の自慢にもならない。なにせ、俺達は敵の攻撃を受け、耐えきるほどの防御力が無いからだ。
俺はこちらに向かって火を吹こうとしてくるドラゴンに、静かに目を閉じた。
「さすがに、もう死んでもやり直せないんだろうな」
なにせ、ゲームとはいえ、矢がちゃんと消耗品の世界だ。ゲームオーバー(死亡)したからと言って【続きから】なんて選択肢は現れないだろう。
ここは現実と何も変わらない。そう、俺が覚悟を決めた時だった。
ぐぎゃぁぁぁぁっ!
何度目になるか分からない、ドラゴンの悲鳴が聞こえた。そのあまりにも悲痛な叫び声に、森全体が揺れるのを肌で感じた。再び立っていた木の幹が激しく揺れ、体勢を崩しそうになる。
「なっ、なんだ!?」
とっさに目をあけると、再び信じられない光景が広がっていた。