第8話:平凡と問題

 

 

「本村君、キミ最近生徒と個人的な事を話し過ぎじゃないかな」
「え?」

 

 講師控え室で突然肩を掴まれた俺は、耳に飛び込んできた声に一瞬、自分の顔が歪むのを感じた。
 それを自覚した俺は、すぐにその表情をひっこめ普段の顔に戻した。

 

「……どう言う事ですか、有岡先生」

 

 有岡講師。
 俺は、彼が心底苦手だった。
 それは、多分あちらもそうだろう。
 まぁ、俺と違って彼の場合は“嫌い”と言って差し支えないレベルであろうが。

 

 俺は、この人に嫌われている。

 

 そう、俺がハッキリと感じ始めたのは、今年の夏期講習が始まる直前からだった。

 

 彼がいつからこの塾に居るのかわからないが、今の大学4年の先輩達よりも長くこの塾に居るらしい。
 故に、有岡講師は最低でも5年以上前からこの塾に在籍している事になる。

 年の頃は多分20代後半だろうか。
 ハッキリしたところは分からない。

 見た目は感じの良い好青年で、勉強においては誰もが手の回らない高校理系全般を手にしている。

 

 そのせいか、彼は塾の誰からも頼りにされ、生徒からの信頼も厚かった。
 授業も分かりやすいと評判の“良い講師”である。

 

 しかし、何故だろうか。
 いつの間にか、俺は彼から嫌われてしまっていた。
 何が原因か、考えても考えてもわからない。何か気に障る事をしたなら、俺だって素直に謝る。
 しかし、覚えがない為そうする事もできない。

 

 会う度にチクチクと言われる嫌味。
 どう改善して良いのかわからずに悩む日々。

 それは少しずつ、少しずつ俺の気持ちを圧迫していった。

 

「言った通りの意味だよ。キミはね、先生なんだよ。年齢が近いからって彼らはキミの友達じゃない」
「………はい。そこは、俺もわかっているつもりです」
「つもり、じゃ困るんだよ。今日……キミは生徒の志村さんの恋愛相談に乗っていたね」
「っ!聞いてたんですか!?」

 

 俺は目の前で涼しげな表情で俺を見てくる有村講師に、酷い気持ち悪さを覚えた。

 

 この人が今日担当していた席と、俺が担当していた席は、1階と2階で別れていた筈だ。
 しかも、俺が2階で、有村講師が1階。

 

 教材や生徒のデータ管理を行うパソコンは、全て1階の教材室にある。
 2階の講師が1階へと下りる事はあっても、1階の講師が 2階へ上がってくる必要性は皆無だ。

 それなのに、どうして授業中に乗った生徒からの相談内容を知っているんだ。

 

 なんだ、これは。
 どういう事だ。

 

「たまたま、ね。ちょっと2階に用事があったからさ……そんなに慌てるなんて、何かやましい事でもあるんじゃないのかな」
「そんなんじゃありません!俺はただ、生徒の相談に少し乗ってあげただけです!」

 

 俺は有岡講師の余りに横暴な意見に、俺はつい声を荒げた。
 その声が俺と有岡講師しか居ない、シンとした講師控室に妙な音を持って響く。

 

 そんな俺に対して有岡講師は「はぁ」と呆れたように溜息を洩らす。
 その彼の行動に俺は思わず、自分より大分高い位置にある彼の目を睨みつけてた。

 

 心外だ、心外だ……!

 

 俺は、ただ授業以外でも少しでも生徒達の気持ちを軽くできればと思って接しているだけだ。
 そこが凄く微妙なラインで、俺達講師が絶対に踏み込んではならない場所が存在する事も俺は分かっている。
 だから俺はその距離は充分守った上で、彼らが少しでも気持ちよく勉強が出来ればいいと思っているのだ。

 

 少し年上の近所のお兄さん。
 そんな先生であっても俺は良いのではないかと思う。
 勉強をするだけの場所なら、彼らは学校だけで充分じゃないか。

 

「キミはそうでも、生徒はそうじゃないかもしれない。キミは普段の授業でも、関係のない事をベラベラと喋り過ぎだ。何か問題があってからでは遅いんだよ」
「…………っ」

 

 この人は、いつも俺の授業を監視しているのだろうか。
 俺の授業では駄目なのだろうか。
 俺は“講師”として、失格なのだろうか。

 

「本村先生、いくら生徒から慕われているからと言って、勘違いだけはしないように」
「……はい、すみません、でした」

 

 そう、絞り出したように口を出た謝罪の言葉に、有岡先生は満足げにニヤリと口角を上げると、講師控室から出て行った。

 

 それと同時に、教室に居た他の講師達がガヤガヤと控室へと入ってくる。
 他の講師に向ける有岡講師の態度は普段と変わらない。

 先程までとは全然違う態度。

 

 監視し、従わせるような目。
 あぁ、きもちわるい。

 残された俺は、講師控え室で力一杯拳を握り締めた。

 

 頑張れ、俺。
 次はもっと頑張ればいい。
 有岡先生が認めてくれるくらい、もっと、もっと

 

 頑張れ、俺。

 

 しかし、何故だろうか。

 俺は最後に見た有岡先生の笑みに、嫌な予感が募るのを抑えられなかった。

 

 

 

本村 洋
19の秋、背後に迫る嫌な予感に身震いす。

 

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