第9話:不良と励まし

 

 

 

 

「かおるー。そういやお前、まだ掃除のバイト続けてんだってー?」

「……まぁな」

 

 その日、俺はいつものように無駄に俺の部屋に居座る幼馴染を横目にボソっと呟くように答えた。

 俺がこの腐れ幼馴染から悪意に満ちた職の斡旋を受けてから半年以上が経過していた。

 

 半年、つまり6カ月、つまり1年の半分。

 俺は高校卒業後初の快挙に自分で自分を多いに褒めてやりたい気分になった。

 いや、一つの事をこんなに長く続けられたのは高校卒業云々の前に人生初の快挙かもしれん。

 

 スゲェな、俺。

 

 そう、内心自信に満ち溢れ始めていた俺に、ヤツはやはり面白がるような目で俺を見てきた。

 

「うんうん、かおるにしては頑張ってんじゃん?」

「っは!どっかの誰かさんは俺が2日で辞めるとかほざきやがったよなぁ?」

「ははー。根に持ち過ぎだろ、かおるーキモイわぁ」

「っ!ぶっ殺すぞ!テメェ!」

 

 やっぱコイツはムカつく!

 何が何でも俺をイライラさせやがって!

 いつもと変わらぬヘラヘラ顔を俺にむけるコイツはやはり性根がクソだ。

 まぁ、昔から分かっていた事だが。

 

「まぁ、まぁ。落ち着きなよ、かおるー。腐れニートから腐れフリーターになれて良かったじゃーん」

「……っとに!ムカつくんだよテメェ!」

 

 いい加減我慢の限界だと、拳を振りかぶった時だった。

 今までニヤニヤと悪意の塊のような笑みを浮かべていたコイツが、突然、何の他意もないような、純粋な笑顔を浮かべた。

 その瞬間、思わず俺の拳が止まる。

 

 コイツのこんな顔、久し振りに見る。

 

「まぁ。俺は結構リアルに驚いてんだけどね。おっちゃんからも、なんかいい人を紹介してくれてありがとうってガチで感謝されちゃったしさぁ………かおる、お前マジでどしたの?」

「……別に、どうもしてねぇよ」

 

 何だよ、急に真面目になりやがって。

 お前こそどうしたんだっつーの、キモチワリィな。

 しかし、その気持ちわるさはまだ止まらない。

 

「いや、かおる。お前変わったよ。だいたい朝が弱いお前がさ、このバイト続けられてんのが、一番の証拠だよ」

「慣れればどって事ねぇよ、朝なんて。っつーか、お前なんなんだよ?しつけぇぞ」

「そうかもだけどさぁ……まぁ、かおるが楽しそうだからちょっと気になったんだよ」

 

 楽しそう?この俺が?

 俺が余りに微妙な顔をしていたせいか、コイツは堪えるようにクツクツと笑うと、ヤツにしては珍しく清々しい目で俺を見た。

 きもちわりぃな、マジで。

 

「ま、お前が楽しんで仕事やってんなら何でもいんだけどねぇ……それに、」

「あ?」

「続いてるっつっても朝の1時間だけのバイトだしぃ。偉くもなんともねぇし!ニートに毛が生えたようなもんだし!」

「だからっ!テメェはイチイチうぜぇんだよ!?」

 

 あぁ、クソ!真剣だったかと思えば急にもとに戻りやがって!

 何なんだよコイツは。

 

 ケタケタ笑う腐れ幼馴染を尻目に、俺は自然と溜息をもらした。

 しかしその瞬間、俺はポケットの中に入っている一枚の紙切れの存在を思い出した。

 

 楽しい……ねぇ。

 確かにコイツのお陰で退屈はしていない。

 名前も顔も知らない、俺の文通相手。

 

 あの日から始めた、小さな手紙のやり取りは、塾が休みの日以外毎日続けられている。

 

 そう、確かに俺は楽しい。

 紛れもなく、そう感じている。

 今のバイトが、たまらなく楽しいのだ。

 

 けど、だ。

 今日の手紙は……なんか変だった。

 

「…………」

 

 今は腐れ幼馴染が居るから、手紙を取り出す事は絶対しないが今日の手紙は明らかにいつものと違った。

 

 元気がねぇ。

 

 文字で元気かどうかなんて判断するようになった自分に俺は苦笑すると、ふと置いてあった手紙の内容を思い出した。

 

 

 

———

今日、俺はちょっとした失敗をして先輩に怒られてしまいました。

失敗ばかりの自分に嫌気がさします。

わかっていた筈なのに、俺はいつも失敗する。

愚痴みたいな事は書かないと決めていた筈なのに、結局書いてしまいました。

俺も貴方のように、しっかりと自分の仕事をやり遂げられる人間になりたいです。

 

今日も、教室を掃除してくださってありがとうございます。

———

 

 

 

 いつもと同じように「ありがとうございます」と締めくくられた、その手紙で、確かにコイツは落ち込んでいた。

 内容もそうだが、一番違ったのは字だった。

 

 いつもは、サラサラと1回で書き上げてしまったようなコイツ特有の筆圧の薄い文字。

 何でも力まかせに書いてしまう俺とは違う、流れるような綺麗な字。

 

 しかし、今日は違った。

 

 何度も、何度も。

 消しては書いてを繰り返したような字と紙。

 

 何度も考えて、書いて、そして、また考えては消して。

 そうして出来上がった今回の手紙に、俺は何故か熱いような、苦しいような、口では形容し難い気持ちを、その身に感じていた。

 

 あぁ、手紙越しじゃなかったらすぐにコイツが何に悩んでいるのか聞き出す事が出来るのに。

 俺みたいな半端な人間に、いつも「ありがとう」と言ってくれるコイツを、今度は俺が励ます事ができるのに。

 

 側に居れば、

 

 もっと近くに居たならば。

 

 

 

 

 

 ったく、本当に柄じゃねぇ。

 居ないものは仕方ねぇ。

 グダグダうぜぇな、俺。

 

 俺とコイツには手紙しかねぇだろうが。

 だったら、俺は手紙で支えてやるしかねぇんだよ。

 

 わかってんだよ。

 

 

 

———

俺も失敗ばかりです。

きっとあなたよりも俺は失敗を多く経験していると思います。

それに俺は、とても中途半端です。

あなたなら大丈夫です。

俺はあなたを知っています。

 

 

あなたはすぐ頑張り過ぎる人で。

他人の事ばかり考える人で。

落ち込みやすい人で。

 

だけど、あなたは強い人だ。

悩む事が出来るのは、逃げていないからだ。

俺は逃げてばかりいた。

悩むのが怖かったから。

 

俺の小さな仕事にあなたが気付いてくれたように、あなたが頑張っている事は俺が知っている。

俺は、あなたを知っている。

 

 

あまり、頑張り過ぎないで下さい。

———

 

 

 

 もどかしい。

 言葉にすると、気持ちや、考えがまとまる。

 その事を俺は手紙を書くようになって気付いた。

 

 しかし、それと同時に言葉の限界にも気付いた。

 

 伝えたい。

 

 伝えたいのに。

 

 言葉にした途端、それは伝えたい思いを的確には表してくれなくなる。

 

 もどかしい。

 もどかし過ぎんだよ 。

 

 

 

 畜生。

 

 

 

 

杉 薫

21の秋、言葉の限界に苛立つ。