第10話:平凡とあなた

 

 

 

 

 何で俺はあんな事を書いてしまたんだろう。

 

 

 俺は手紙を書いて自宅アパートに帰った後、ひどく後悔した。

 家の戸を開けた瞬間、何故だか我に返ってしまったのだ。

 何で俺はあんな愚痴じみた事を書いてしまったのだろう、と。

 

「……はぁ」

 

 そう、俺は昨日書いた手紙の内容を冷静に考え、居ても立ってもいられなくなってしまっていた。

 いくら親しくなってきたとは言え、相手は手紙でしかやり取りをした事のない相手だ。

 

 それを俺は突然あんな愚痴染みた事をダラダラと書いて。

 俺は一体どうしたかったのだろう。

 何を期待していたのだろう。

 彼だってきっと困ってしまった筈だ。

 

「……あぁ」

 

 手紙でしか交流のない相手からの突然の悩み相談。

 引かれてしまったかもしれない。

 いや、絶対そうだ。そうに決まっている。

 

「……ふぅ」

 

 あぁぁもう!何やってんだ、俺。

 

 今日、塾に行って手紙の返事が置かれてなかったらどうしよう。

 いつものあの席に、いつもの手紙がなかったら。

 変な、気持ち悪い奴だと思われていたら。

 

 あぁぁぁ!!不安過ぎる……!

 

 そんなモヤモヤとした気持ちを抱えながら、俺は塾へ向かう道のりを足を引きずるように歩いていた。

 いつもの塾への道のりが、やけに険しく感じる。昨日までのワクワクとしたあの道のりと今あるいている道が同じだなんて信じられない。

 気が、重い。

 

 そう思っていても着実に時間は流れ、俺の踏み出す重い一歩は確実に塾へと俺を運ぶ。

 そして、いつも通り、いつもと同じ時間に辿りついた、いつもと同じ塾の入り口。

 

「はぁぁぁぁぁ」

 

 俺は塾の前で一際大きな溜息をつくと、ぼんやりとその場に立ちつくした。

 

 あぁ、そう言えば今日も有岡先生シフト入っている日だ。

 そう、塾の前で俺は一瞬あの嫌みたらしい有岡講師の姿を思い出した。

 そして次の瞬間、俺は、あれ、と首を傾げた。

 

「……俺、だいたい何に悩んでたんだっけ」

 

 本来ならば俺の悩みの中心は有岡講師の筈だ。

 その筈だった。

 そう、過去形である。

 確かに、昨日のバイト終わりまで俺の気持ちの中心に居座り、俺を憂鬱にさせていたのは有岡講師だった。

 

 しかしどうだ。

 現在、俺の気持ちの全てを占めているのは、名前も顔も知らない俺の文通相手ではないか。

 昨日、手紙を塾に置いて家に帰った後から俺は、眠りにつくまでの間ずっとその事ばかり考えていた。

 

 あぁ、正直に白状しよう。

 眠った後もずっと名も知らぬ彼は俺の中心に居た。

 夢にも出たのだ。

 

 どんだけだよと他人からは思われるかもしれないが、見てしまったのだ。

 何も置かれていない机の上を目の前にする自分の夢を。

 夢なのに、もうあの時は息が止まるかと思った。

 あの起き抜けの、夢か現実か理解できていない、寝ぼけた朝の時間は本当に恐怖だった。

 

 だから、俺は今の今まで有岡先生の存在をすっかりと忘れていた。

 俺自身、自分の中で、あの手紙の存在が俺の中でこんなに大きくなっているとは全く思っていなかった。

 

 現実世界で俺と直に会話を交わす有岡先生よりも、見たことも会った事もない彼の方が俺の中で大きなものを占めている。

 だからこそ俺は不安なのだ。

 

 彼との手紙のやり取りが終わってしまうのではないか。

 彼に嫌われてしまったのではないか、と。

 不安で不安でたまらない。

 

 こんな気持ちになるなんて思わなかった。

 こんなに大きな存在になるなんて思わなかった。

 

 でも、何故だろうか。

 俺は自分の気持ちの大部分を占める不安の中に、ほんの少し。

 本当に、ほんの少しだけ淡い期待のようなものが存在するのを確かに感じていた。

 顔も名前も知らない相手なのに、何故か俺は、彼ならこんな自分も受け入れくれるのではないか、と言う甘い期待を抱いている。

 

 まぁ、圧倒的に不安の方が大きいが。

 

 俺はそんな都合の良い自分の考えに苦笑すると、大きく深呼吸をし、やっとの事で塾へ足を踏み入れた。

 

 いつもの教室、いつもの紙の匂い、いつもの光景。

 俺はカウンターでパソコンに向かう塾長に軽く挨拶をし、荷物を持ったまま息を吐いた。

 タイムカードを推し、今日の生徒を確認し、事前に予習したプリントを確認する。

 名札に三色ボールペンを引っかける。

 

 授業へ向かう準備はできた。

 あとは、あの席へと向かうだけ。

 俺は他に何かする事はなかったかと思案し、やめた。

 準備は万端だ。俺はもう一度深く呼吸をすると、迷いを振り切るように歩を進めた。

 

 いつもの、あの席へ。

 

 

 

 

 

 

 

あった。

 

 

 

 

 俺はいつものように机の上に置かれた白い紙を見つけると、飛びつくように手紙へと駆け寄った。

 

 

 

 

「……………っ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凄いなぁ、あなたは。

 俺は手紙を見つめたまま、思わず手に力を込めると、自然と笑みが込み上げてくるのを抑えられなかった。

 本当に、あなたは凄い。

 さっきまであんなに落ち込んでいた俺を、彼はたった1枚の手紙でこんなにも嬉しくさせる。

 勇気をくれる。

 

 

——

俺はあなたを知っています。

——

 

 

 俺はこの時、改めて言葉の重みを知った。

 伝えようとする心が一緒に乗って伝わってくる。

 まるで、直接言葉を交わしているかのように。

 いや、それ以上のものを言葉はくれる。

 

 あなたの言葉で、俺はいつも一喜一憂するんだ。

 あぁ、もう。

 本当にあなたは凄い。

 

 名前も顔も知らないけど、俺もあなたを知っています。

 11時間前、あなたは確かにここに居た。

 

 俺も、あなたの事を知っています。

 

——

あまり、頑張りすぎないでください。

——

 

 そう、貴方は手紙の最後に書いていたけど、俺は。

 また、あなたのお陰で頑張ってしまいそうです。

 

 

 

 

本村 洋

19の秋、一時の安らぎを得る。