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「いーよねぇ。コネで内定持ってけるってさぁ。こっちが就活でどんだけ苦労したかも知らないで」

「アイツ、もう卒論も殆ど終わってるって言ってたぜ」

「はぁ!?ソレ暇だからでしょ。もー、マジでムカつく」

 

 ムカつく。と吐き捨てるように口にされた声は、本当に先ほどまで俺を旅行に誘ってきた相手と同じ人物とは思えないほど、軽蔑と不満に満ちた声だった。

 そうか、あの子コレが本性か。

 

「……ったく、どっちが嘘つきだよ」

 

 スッと一気に腹の底が冷えるのを感じる。その間も、教室の中は盛り上がり続けていた。むしろ、話し声が増えている気さえする。もちろん、話題の中心は俺だ。

 

「そうそ。アイツ、なーんか感じ悪いんだよなぁ。笑ってんのに、別に嫌なヤツなワケでもねーけどさ」

「あー、分かるかも。俺らなんてどうでもいいって気持ちが透けて見えてるっていうか。バカにされてる気がする」

 

 次々に加わってくる同級生達の声。そのどれもが、名前も曖昧な奴らだ。でも、声のおかげで顔は浮かんでくる。それが、むしろ厄介だった。

 

「自分じゃ、上手くやってるつもりなんだろうけどさ。バレバレだよな。笑顔も嘘くせぇし。無駄に顔が良いから腹立つし」

「ソレはただの嫉妬じゃーん。でもまぁ、そんな大した顔でもないけどねぇ?」

「お前だってさっきまでゴリゴリに誘いまくってたくせに、よく言うぜ」

「だってぇ、お金持ってそうだし。付き合えたら便利かなって」

 

 ゼミ合宿の時なんかは、何かと一緒に行動してまぁまぁ上手くやれてたかなと思っていたのに。

 

「……はは、フツーにバレてんじゃん。俺」

 

 これじゃ、高校の時とまるで変わらない。

 

「笑顔がウソ臭い、か。仕方ねぇじゃん。実際ウソだし」

 

 大学に入ってから、今度こそ周囲から浮かないようにと、毎日、鏡の前で笑顔の練習をしてきた。あとは、余計な事を言わないように、聞き役に徹して当たり障りのない事しか言ってこなかったはずなのに。

 

 どうやら全て無駄だったらしい。

 

「あーぁ。時間ムダにした」

 

 でも、別にこれは失敗じゃない。だって、あんなヤツらにどう思われたって、俺の人生に微塵も影響してこないのだから。

 

「……だから、俺は失敗なんかしていない」

 

 俺は自分に言い聞かせるように小さな声で呟くと、深く息を吐いた。うん、俺は冷静だ。

 

「バイト行こ」

 

 面倒はごめんだ。手間だが、プリントは取り忘れたと後から教授に直接貰いに行けばいい。そう思った時だ。

 

「俺、思うんだけどさぁ。寛木ってゲイなんじゃね?」

 

 それまでの冷めきっていた思考に、一気に火が付いた。

 

「……は?」

 

 背を向けていた教室の扉に、勢いよく振り返る。

 

「え、なんで?」

「あんなにモテるのに、誰とも付き合おうとしねーし。彼女が居るなんて話も聞かないしさぁ。それに、俺見たんだよ」

 

 心臓の音が早鐘のように鳴り響く。一枚扉を隔てた向こう側から、軽い笑いを含んだ声が聞こえる。

 

「なになに?男とホテルにでも入るトコでも見た?」

 

 今度は、あの女子の声だ。甘えていた時の声なんて微塵も残っていない。噂話にたかる下卑たハエの羽音みたいなキモい声。

 もう、喋らないで欲しい。マジで気持ち悪りぃから。

 

「いや、さすがにそんなんだったら、すぐに写真撮って報告してるわ!」

「まぁ、そーだよねぇ。じゃあ何?」

「別にヤバイって事はないんだけどさ。ただ、ゼミ合宿で一緒に風呂入った時あったじゃん?そん時、アイツ、スゲェ羽場の事見てたから」

 

 羽場。それは、俺がゼミの中で最初に名前を覚えた相手だ。そう、このゼミに入った時、最初に目を引いた相手。ずっと、俺が良いなと思っていた相手。

 

「何それ、キモッ!ちょっと、そういうガチのヤツやめてよー!やばー!」

「へぇ、だから寛木って女に興味無さそうだったんだー。納得だわ」

 

 教室の中が更に盛り上がる。俺は荒くなる呼吸を感じながら、口元に手を添えた。

 気持ち悪い。

 

「っは、っぁは」

 

——–男の人が好きな男の人は、けっこういっぱいいます!悪い事なんかいっこもないです!

 

 耳の奥で、ミハルちゃんの元気で無邪気な声が聞こえる。その声に、俺は無性に腹が立って仕方なかった。

 なんだよ、簡単に言いやがって。じゃあ、なんで俺は何も悪い事なんかしてねぇのに、アイツらからこんな風に言われてんだよ。それは、俺が「普通じゃない」からだろ。

 

「は、やく……バイト行かないと」

 

 そう、グラつく意識の中、俺が再び扉に背を向けようとした時だ。

 

「おい、羽場。お前は、気付いてなかったのか?」

 

「っ!」

 

 ヒュッと喉の奥で息が絡まる。

 そうだった。この教室の中には、アイツも……羽場も居るのだ。心臓の鼓動が、更に早まる。

 

「は?そんなん知るワケねーだろ」

「いやぁ、でもあれは結構ガチで見てたぜ。なんでかなーって、あん時は分かんなかったけどさ。でも、やっと今シックリきたわ。寛木のヤツ、お前の事好きなんだ!」

「ちょっ、はぁ!?ンなワケねーだろ!」

 

 扉の向こうが一気に騒がしくなる。俺はそれをどこか遠くに感じながら、ゴクリと喉の奥を唾液が流れ込んでいくのを感じた。暑いはずなのに、体の芯は冷え切っているような妙な感覚。

 

「やばー!私、ゲイって初めてかも!ねぇ、実はもしかして隠れて付き合ったりしてる?私達、別にヘンケンとか無いから、気にしなくていーのにぃ。ねぇ?」

「そうそう。言ってくれたら合宿だってお前らだけでも二人部屋にしてやったのにさー」

「おい、やめろって!」

 

 羽場の周囲を窘める声が聞こえる。

 あぁ、羽場にしてみれば、とんだとばっちりだ。可哀想に。でも、羽場だって気にする必要はない。いいじゃないか。別に言いたいヤツには言わせておけばいい。

 別に、何も悪い事なんてして――。

 

「男とかマジで気持ちワリィわ。つーか、ほんとに寛木がゲイなら友達なんてやってらんねーし」

 

 嫌悪に満ちた羽場の声が聞こえた。同時に思う。

 

「あー、ダル」

 

 そう呟いた瞬間、俺は教室の扉を開けていた。