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◇◆◇

 

「あーぁ、ゆうが君のせいでますたー、今頃お店で落ち込んでるー」

「……うるさ」

「泣いてるかもー」

「は?さすがに、あのくらいで泣かないでしょ」

 

 店を閉めると言って外に出された時間は、いつもより大分と早かった。十月の七時。まだうっすらと夕日の色が空に残るその時間帯。店のすぐ傍にある商店街は、帰宅ラッシュのサラリーマン達が足早に家路を急いでいる。

 

「私をナメないでください!ますたーとはゆうが君より二年以上付き合いがありますからね!ますたー歴は私の方が先輩です!」

「なんだよ、その歴。マジでいらないわ」

「ふふ、羨ましいクセにー」

 

 そう言って、妙に腹の立つしたり顔でこちらを見てくるミハルちゃんに、再び手が鼻に伸びかけ……止めた。なんか周りから変にイチャつくカップルに見られてもキモいし。

 

「それに、こないだだって私の言う通り、ますたー泣いてたでしょ?」

「……まぁ、そうだけど」

 

 こないだ。

 それは、まさに値上げをして客からクレームを言われたというあの日だった。あの日「たまには大学の友達と遊べば」なんて余計なお世話を焼いてくるマスターに苛ついて店を出た俺に、夕方ミハルちゃんから連絡が入ったのだ。

 

≪ゆうが君。多分、ますたーが落ち込んでると思うので、お店に行ってあげてください≫

 

 そして、店に行ってみればミハルちゃんの言うとおり、案の定、一人でパソコンを前にしょぼくれていた。そして、泣いた。というか、泣かせた。

 

「ますたー、私の目の前じゃ泣かないように我慢してます。私が年下の女だから、きっと男のぷらいどが許さないんだと思います」

「……でも、普通にバレてんだからダセェわ」

「全然ダサくない」

 

 俺の皮肉交じりの言葉に、ミハルちゃんの凛とした言葉が商店街の喧騒を縫って俺の耳に届いた。ジッと俺の方を見る彼女の目は、いつもとは違い妙に大人っぽい。

 

——–ゆうが君はゲイですよね?

 

 ミハルちゃんはたまにこういう〝なにもかも分かってた目〟でこちらを見てくるからやっかいだ。

 

「ますたーは頑張ってます。だから好きです。私、来年の三月でバイト終わるけど、それまでにお客さんを増やしてあげたいです」

「……まぁね」

「別に、ブルームみたいにいっぱいじゃなくていいんです」

 

 そう言ってミハルちゃんがチラリと視線を向けた先には、マスターがいつも「いいなぁ」と眺める、人気のコーヒーショップ「コーヒーブルーム」があった。どうやら十月の新作の発売日らしい。店の中には若い客の長打の列が出来ていた。

 

「いっつも客でいっぱいだな、あそこ」

「そー。夜ご飯前なのに、みんなどうしてだろ」

「……さぁ。皆家に帰りたくないんじゃねーの」

「その気持ちはワカるかもー」

 

 つーか。あんな甘ったるい飲み物の、一体何が良いんだと言いたい。でも、これもまた客の価値観だ。正解はない。

 

「あーぁ。ますたーの事を好きって思って店に来てくれる常連さんが十二人くらい居てくれたらいいのになぁ」

「っは、何その十二人。どっからきたの」

 

 唐突に彼女の口から漏れた「十二人」という明確な数字に、俺は思わず鼻で突っ込んでしまった。明確な数値の割に、ミハルちゃんが口にすると急に「友達百人計画」みたいなノリになるのが笑えた。

 

「えっと、コージーさんがまずは十二人常連客が付くのを目指そうって、いつも言ってて」

「……コージー?」

 

 聞き慣れない固有名詞に、思わず腹の底に嫌な感覚が走った。コージー。明らかに男の名前だ。しかも、俺の知らない。

 

「コージーさんは、金平亭のもう一人のますたーです。でも、コーヒーとかは淹れられなくて、どっちかっていうとお金の事とか、どうやったらお客さんが来てくれるかって事を考える人で……そう、ゆうが君みたいな人でした!」

「は?」

 

 なんだ、ソレ。

 俺は突然ミハルちゃんの口から漏れた「ゆうが君みたいな人」という言葉に、腹の底にモヤついていた嫌な感覚が更に大きくなる。何それ、意味わかんねぇ。

 

「ソレ。俺、聞いてないんだけど」

「だってぇ、ますたーの前でコージーさんの名前を出すと不機嫌になるからぁ」

「……ソイツ、いつまで店に居たの」

「ちょうど、ゆうが君が来る少し前だったと思います」

 

「お店を辞めた」ではなく「出て行った」という言葉から鑑みるに、その「コージー」なる男は、金平亭の共同経営者か何かだと推測できる。

 

「コージーさんはますたーの友達で、一緒にあのお店を経営してた人なんです。でも最後の方はコージーさんは殆ど店に来てなくって。金平亭は開店した時からコージーさんとマスターと私の三人でやってたから、寂しかったなぁ」

 

 ミハルちゃんの口から語られる、俺が一切知らなかったあの店の過去。それは、あまりにもピンとこなさ過ぎて、本当に金平亭の事か?と疑いたくなった。というか、そうだ。

 

 信じたくなかった。

 

「コージーさんが居る時は、ますたーも泣いたりしてなかったんです。きっと、泣きごとはコージーさんに言えてたと思うから」

「……」

「でも、最後の方は二人共喧嘩が多くなって、お店の裏でマスターが泣く事が増えて」

 

 そりゃあそうだ。

 店でも会社でも、友人知人との共同起業は、必ずといっていいほど途中で上手くいかなくなる。友達とは起業するな。これは起業における定石だ。

 

「最後は、もう勝手にしろってコージーさんは居なくなっちゃいました」

「……へぇ」

 

 なにせ、いくら友人として仲良く出来ていても〝仕事〟となれば話は別。真剣であればあるほど、浮彫りになる互いの価値観の相違から、向かうべき道を違えてしまう。

 そして、その時点でその商いは上手くいかなくなる。失うのは金と時間と商売だけではない。

 

 大切な友人もまた、失う事になる。