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「ミハルちゃん、SNSの更新は一旦ストップで」

 

 認めた瞬間、なんだか胸のつっかえがとれた気がした。

 

「え?なんで?せっかくフォロワーもちょーっとだけ増えてきたのに。金平亭は見た目はレトロー?だから、女の子にも人気あるんですよー!」

「今は、SNSで世界に発信すべき段階じゃない。世界のどこに居るか分かんないミーハーな女の子達にフォローされるより、今、〝ここ〟に居る人間に、まずは店を知ってもらうことが先決なの」

「じゃあ、どうするんですか?」

「まぁ、イロイロ?」

「いろいろ……なんか楽しそうっ!」

 

 こちらを笑いながら見上げてくるミハルちゃんに、俺はやっぱりこの子と居るのは楽だと、心底思った。

 そんな風に思えるのは、俺の中で他人に一番知られたくなかった部分を、彼女がいとも簡単に受け入れてくれたからかもしれない。

 

——–ゆうが君はゲイですよね?何もヘンな事は無いです!

 

 正しい事が良い事とは限らない。でも、それが救いになる事がある。

 

「楽しいっていうより、多分大変だろうけど」

「大変な方が楽しいよー!」

「言うじゃん」

 

 決して恋愛感情ではないこの感覚を、一体どう表現して良いか分からない。強いて言葉にするなら、この子とは、来年の三月以降もたまにあの店で会えたらいいな、とは思う。

 

「ま、そう言うなら明日から色々やるから。ミハルちゃんもダンスのレッスン無い時は手伝って。なにかと忙しくなるだろうし、時給は変わらずやっすいだろうけど」

「ダイジョーブです!私、ますたーもお店も好きなので頑張れます!」

 

 満面の笑みを浮かべてそんな事を言うミハルちゃんに、俺はふと彼女についても妙に心配になった。

 

「ミハルちゃーん?俺が言うのもなんだけどさ、やりがい搾取されないように、今後気を付けながらオトナになるんだよー」

「やりがいさくしゅー?」

「そ。本人の〝やりがい〟を盾に、馬車馬のようにこき使ってはゴミみたいにポイ捨てしてくるクソみたいな会社も多いから。ダマされないようにねってコト」

「ふーん」

 

 特に、ダンスの世界で生きて行こうとしてる時点で、将来不安定そうだし。そう俺が頭二つ分くらい下に見えるミハルちゃんの顔に目を向けた時だった。

 

「やりがい払って夢が叶うなら、私いくらでも払いますよ!」

「……そう」

 

 単純に「ヤバ」という二文字が頭に浮かぶ。正直、俺にはちっとも気持ちが分からない。

 でも、「やりがい」を搾取していると思っているのは周の人間で、もしかしたら本人達は喜んで支払っているのかもしれない。

 

「そういう世界、俺は無理だなぁ」

 

 そもそもそんなに自分を賭けられるモノなんて、俺には無いし。そんな夢みたいな事を言ってられるほど、子供でもない。

 

「いや、でも年齢は関係ないのか」

 

 なにせ、そんな十八歳の彼女と同じような気持ちで働くオトナが、あの店には居る。

 

——–おでの、ごーひー、おいじいぐない?

 

 〝安定〟を買う為に、社会の歯車として企業に就職するのが大多数の中、不安定な世界へとわざわざ足を突っ込む。

 ただ、客に美味いコーヒーを出して、自由になれる場所を作りたいが為に。

 

「普通か……」

 

 普通じゃないヤツは除け者にされるし、イヤな奴は嫌われるだけかと思っていた。でも、俺みたいなヤツの事を必要としてくれる人間もいるのだ。

 

「じゃあ、ゆうが君!私は帰るので、ますたーの所に行って来てください!」

「……いや、行かな」

 

 「行かないし」と最後まで言おうとして、やめた。

 

「わかった」

「そうしてください!私が居ると、女の子は早く帰りなさいとかお父さんみたいな事言ってくるので!」

「っは、確かに」

 

 ミハルちゃんの前では、なんかもうどうでも良い気がした。既にこれまでも、色々と変な場面を見られてきたのだから。

 

「じゃ、また明日」

「はーい!ゆうが君。また明日―!」

 

 そう、賑わう商店街の中でミハルちゃんに背を向けた時だった。

 

「ゆうが君!」

「なに?」

 

 振り返った先には、底抜けに明るい笑みを浮かべてこちらを見つめるミハルちゃんの姿があった。

 

「卒業してバイト終わっても、たまに金平亭で遊ぼうねー!」

「え」

「じゃあねー!」

 

 俺の返事を聞く前に、ミハルちゃんは駅の方へと駆けて行った。まるで、返事など聞かなくとも答えは分かっているとでもいうように。ひょこひょこ揺れるポニーテールの後ろ姿が、なんともご機嫌で、思わず笑いが込み上げてきた。

 

「っは、青春かよ」

 

 それが、ミハルちゃんに向けられた言葉なのか、はたまた自分自身へと向けられた言葉だったのか。俺にも分からない。

 ただ、そういう口先だけの「卒業しても遊ぼうね」という約束を、未だかつて、過去の人間関係で果たした事はなかったが、今回は果たしてみたいと思ってしまった。

 

 そして、その為には「金平亭」が存続していなければならない。

 

「なんつーか、あそこ以外で、ミハルちゃんと会ってるイメージがつかねぇんだよな」

 

 ただ、俺は額に浮かんでいた汗を手の甲で拭うと、そのまま金平亭へと走った。あの店には、俺みたいなイヤなヤツを必要とする大人が、ずっと一人で働いている。

 

 

◇◆◇

 

 

 喫茶金平亭は未だに煌々と明かりが灯っていた。

 窓から中を覗くと、一人の人間が客席の一つに腰かけている姿が見える。しょぼくれた姿はいつもの事だ。

 

「店の収支、そんなにヤバいんだ……」

 

 そろそろ、無理にでも収支を開示させてもらった方が良いかもしれない。確かに、自分は一介のバイトに過ぎないが、そんな事は言ってられない。

 

「数字は、アンタみたいなお人好しに担当出来る領分じゃねぇだろうが」

 

 俺はそれだけ呟くと、まだ煌々と明かりの灯る金平亭に表から乗り込んでやった。別に問題ない。なにせ、「クローズド」の看板が表に出ていなかった。どうやら、出し忘れていたようだ。

 

 カラン。

 

「あの、開いてますか?」

「あ、もう閉店して……って、寛木君!」

 

 すると、一人ウジウジとパソコンを叩いていたマスターが、慌てて目を擦りながら、こちらを見てきた。

 

——–あーぁ、ゆうが君のせいでますたー、今頃お店で泣いてるかもー。

 

 まさか、本当に泣いているとは。俺はミハルちゃんの声をどこか遠くに聞きながら、気が付けば勢いよく店の中を横切り、マスターの前へと立っていた。

 

「ちょっと見せて」

「っあ、ちょっ!ダメ!」

「言ってる場合かよ」

 

 いつもは隠されている店の収支だが、さすがに泣くほどの赤字なら確認しておかなければ、と思ったのだ。

 

「は?ナニコレ」

「あっ、えっと。それは……違くて」

 

 ただ、そのパソコンに映し出されていたモノは【店の収支】などではなかった。