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◇◆◇

 

 

「爺ちゃんの夢見て泣くとか……どんだけガキなんだよ!」

「あはは。ごめん、ちょっと懐かしくて」

 

 俺はコーヒーを片手に呆れたような表情でこちらを見てくる寛木君に、後ろ手に頭を掻く事しか出来なかった。

 青山霧。今年で二十七歳。祖父の夢を見て、本気で泣いてしまう。とんだ泣き虫野郎である。

 

「ったく、心配して損した」

 

 あの後、徐々に意識のハッキリした俺は、自分がとんでもない事をしてしまっている事にようやく気付いた。気付いたものの、やってしまったものはもう遅い。アルバイト先の、しかも学生相手に想いを寄せている事自体がアウトなのに、本当に俺はバカだ。

 

「心配かけてごめんね」

「まぁ、別にいいけどさ」

 

 でも、幸いな事にそのことを寛木君からアレコレ突っ込まれる事はなかった。まぁ、正直な子ではあるが、根は優しい子なので敢えて触れてこないでくれているに違いない。

 

「でも、まさか寛木君からコージーの名前が出てくるとは思わなかったよ」

「……」

「田尻さんから聞いた?」

 

 俺からの問いに、寛木君はフイと視線を逸らすと小さく頷いた。その横顔は、どうも拗ねているように見えてとても可愛く見える。顔は綺麗で格好良いのに、そんな風に思うのがとても不思議だ。

 

「コージーねぇ。もう連絡先も分からないから、連絡したくても出来ないんだよ」

「……何それ、連絡したいわけ?」

「いや、全然」

 

 寛木君の問いに俺は即答した。俺は、今更コージーと金平亭をやりたいなんて欠片も思っていない。

 

「今時間を巻き戻せたとしても、俺はコージーとは上手くいかない自信があるね。多分、向こうも同じだと思う」

「へぇ」

 

 すると、俺の答えが意外だったのか、寛木君が目を瞬かせながらこちらを見てきた。心なしか言葉から先ほどまでの棘が消えた気がする。

 

「なんで。仲、良かったんじゃないの?」

「良かったよ。店やる前まではね。でも、寛木君の言う通り〝友達〟と起業なんかするもんじゃないよ。あれは大正解」

 

 俺は先ほど淹れたばかりのブレンドを口に含むと、深く息を吸い込んだ。コーヒーは良い。高ぶった気持ちを落ち着けてくれる。クリスマス用に作った深煎りのブレンドはほろ苦い割に、後味を引かない。これだと、コーヒーが苦手な人にも飲んでもらえそうだと考えて作ったブレンドだ。

 あぁ、やっぱりコーヒーは良い。

 

「確かにコージーが経営の事とか売上の事とか色々やってくれてたから、店が回ってたワケなんだけどさ……でも、今更会って『ほれみた事か』みたいな顔されるのも嫌だし」

「……まぁ、言われるだろうね」

「うん、だからイヤ」

 

 うん、想像しただけで腹が立つ。「ほら、俺の言う通りにしないからそうなるんだ」ってこれみよがしに言う姿が想像できる。

 

「それに、何よりさ」

 

 でも、きっと俺が今コージーを連れ戻しても、多分俺はまたコージーと喧嘩しそうな気がする。だって――。

 

「コージーって、炭酸のジュースしか飲まないんだよね」

「は?」

 

 そう、そうなのだ。コージーはコーヒーが飲めないどころか、炭酸飲料しか飲まないヤツなのだ。そんな俺の言葉に、寛木君の薄い色素の瞳が、大きく見開かれる。

 

「いや、別にいいんだよ!?何が好きでも!他人の嗜好にどうこういうつもりもないんだけど。でも、なんかさぁ……なんか!そういうヤツに、道具の事とか『そんなん何だっていいだろ』とか『豆なんてどこのも同じだろ』とか言われると……なんっか!正しい事言われてても言う事聞きたくないっていうかっ!単純に、ムカつくんだよね!?」

 

 これはもう完全に感情の問題だ。何が正しいとか正しくないとかではない。そういうモンなのだ。

 俺は机を勢いよく叩きながら寛木君の方に軽く身を乗り出した。

 

「コージーとは友達止まりにしとくべきだった。友達だったら、アイツが何飲もうが俺はどうでも良かったのに」

「友達止まりって……言い方。まぁ、別にいいけど」

 

 俺の言葉にどこか疲れたように肩をすくめる寛木君は、俺の淹れたコーヒーに口を付けた。その瞬間、表情がうっすらと柔らかくなったように見えたのは、俺の都合の良い勘違いではないと思いたい。

 

「だから、別に二人が居なくなったからってコージーに連絡しようなんてサラサラ思ってないよ」

「……ならいいけど」

 

 カツンと寛木君がコーヒーをテーブルに置く音が響く。俺は寛木君がコーヒーを飲む姿が好きだ。優雅で綺麗で、俺のコーヒーまで特別な何かに見えてくるから。

 

「あーぁ。最初から寛木君とやってたらよかったなぁ。金平亭」

「っは、面白い事言うね」

「本当だよ。寛木君の言う事なら、なんか俺。素直に聞けるし」

「コーヒーが飲めるから?」

「そんな事言ったら、最初は寛木君だって紅茶派だって言ってたじゃん」

「……じゃあ、なんで?」

 

 そう、微かに首を傾げながら問いかけてくる寛木君に、俺は思わず目を逸らした。やっぱりダメだ。変に意識してしまうと、恥ずかしくて顔が見れない。

 

「えっと……」

——–俺は別にマスターなんか好きじゃねぇし。つか、タイプから全外れだし。

 

 無駄で不毛な気持ちを、わざわざ抱きたくはなかった。でも、仕方ないじゃないか。好きになっても仕方ないくらい、俺は寛木君に良くしてもらった。思い出を共有しているワケでもないのに、同じくらいこの店を大事にしてもらった。

 

 だから言ったのに。寛木君は変な勘違いをされそうだから気を付けてね、って。

 

 この子はその辺を全然分かっていない。