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◇◆◇

 

 

「おいっ!なにこんな所で寝てんだよっ!」

「っ!」

 

 目を開けた瞬間。目の前に綺麗な男の子の顔があった。同時に、フワリと、コーヒーの濃い香りが、鼻孔をくすぐる。あぁ、良い匂いだ。

 

「……く、つろぎ君?」

「そうだよ。なに、寝ぼけてんの?ってか、なんでこんな場所で寝てんだよ。風邪ひくぞ」

「えっと……」

 

 寝起きの霧のかかったような思考が少しずつ晴れていく。そうだ、俺は仮眠を取ろうと思って店に戻ってきて、いつの間にかカウンターで寝てしまったのだ。

 時計を見れば、時刻は八時を過ぎていた。寛木君がいつも来る時間と比べると、少し早い気がする。

 

 と、未だにぬるま湯に浸ったような頭で現状を把握していると、こちらを見ていた寛木君が、怪訝そうな顔で俺を見ていた。

 

「マスター。アンタ、もしかして泣いた?」

「あ、え……?」

「目が赤い。涙の痕もある……何があったの?」

 

 言葉も表情もいつもより酷く厳し気だ。それに対し、俺はと言えば涙の痕と言われ、思わず目元に触れた。まぁ、触っても涙の痕なんてわかりはしなかったが「泣いていた」と言われれば、なんだかスルリと納得できた。

 

「えっと」

「顔色も悪い。昨日様子が変だったから少し早く店に来てみれば、こんな寒い場所で寝てるし」

 

 寛木君の手が俺の目元のある一点に触れる。あぁ、そこは俺の〝アレ〟があるところだ。

 

「何があった。言えよ。誰かと会ってたんだろ?」

「え、いや」

 

 いつからだったか分からないが、俺は気付いた。寛木君は、何かにつけて俺の泣き黒子を目で追っている、と。あとはよく触ってくる。今もそうだ。冷え切った体に、寛木君の温もりを帯びた手がジワリと染み渡る。

 

「もしかして、コージーってやつ?」

「あ、え?なんで……」

「俺とミハルちゃんが来年の三月で居なくなるから、ヨリでも戻そうって?」

 

 なんで、寛木君がコージーの事を知ってるのだろう。いや、むしろなんでこのタイミングでコージーの名前が出てくるのか。それに、なんで寛木君はこんなに怒っているのだろう。分からない。何も分からないが、寛木君が俺の目元を撫でる手だけは、酷く優しくて妙に胸がドキドキして仕方がなかった。

 

「っは、お生憎様。起業ってのは一度上手くいかなかった相手とは、後から何をしたって上手くいかないんだよ。悪い事は言わない。やめときな」

「……あ、えっと」

「っていうか、もう断られた後か。泣いてるのもそのせい?アンタってほんとに何やらせても間違うね。いい加減にしろよ。少し考えたら分かるだろ」

 

 いや、全然分からない。分からないけど、ともかく俺は、物凄く怒られている。理由はイマイチよく分からないが、多分俺が悪いのだろう。俺はバカだし、よく勘違いを起こすし。ともかく甘いらしいから。ちゃんと反省しないと。

 

「おい、聞いてんのかよ!」

 

 ただ、やっぱり目元を撫でる寛木君の手が気持ち良くて、彼の言葉はちっとも俺の頭の中に響かなかった。ともかく、気持ちがいい。

 俺は寛木君の言葉の意味を理解するのを諦めると、その気持ち良さに従って彼の手にすり寄るように頬を寄せた。気持ちが良くて、思わず目を閉じてしまう。あぁ、まだ少し寝たりない。

 

「きもちい」

「ぁ、ちょっ……!」

「あったかいなぁ」

 

——–おれ、おとなになったらこのホクロ取る!コレ取ったら泣き虫じゃなくなるんだ!

 

 幼い頃の俺の声が、どこか遠くに聞こえた。でも、あの頃の俺に言いたい。

 

「取らなくてよかった」

「……は?」

「寛木君が好きでいてくれるなら、泣き虫でもいいや」

「っ!」

 

 大人のくせに、みっともないけどね。うっすらと開いたぼんやりとした視界の先には、真っ赤な顔でこちらを見つめる寛木君の姿があった。