番外編8:今日こそ、きっと2

 

 

 と、思ったのだが!

 

「……くぁ」

「テル、大丈夫?」

「……なん、だよ。別に、怪我なんか、してねぇよ」

「ちがう」

 

 セイフからの問いかけが、一体何を「大丈夫?」と指しているのかきちんと分かっているにも関わらず、敢えてはぐらかした。そうしないと、どっぷり頭から襲ってくる眠気に、耐えられそうになかったのだ。

 あぁ、そうさ。俺は眠くなんてない。

 

「ねむい、なら。寝てよかよ」

「……だいじょうぶだ」

 

 ウソだ。死ぬほど眠い。

 

「テル」

「……ねむくない、ねむくない」

 

 まるで赤ん坊がぐずっているようではないか。ただ、そんな自分を恥ずかしいと戒める事の出来るほどの判断力が、今の俺には一切なかった。

 

「せいふ、かえろ」

 

 俺とセイフは低ランクのクエストをギルドから受注し、今しがたやっとの事で達成条件を満たしたところだった。明け方近くに出たのに、敵の数が多すぎて、酷く手間取ってしまった。

 でも、やっと終わった。今日こそは、帰ってセイフとセックスをするんだ。

 

「テル、寝てよかけん。俺がおんぶする」

 

 俺の前で背中を見せて膝を付くセイフに、俺は眠いのを堪えて首を振った。

 

「……だめだ。ギルドに、ほうこくして、金、もらわねぇと」

 

 セイフは全身甲冑だし、あまり他人と会話をしたがらない。だから、こういう窓口は俺がしなければ。

 

「だいじょう。ねむく、ない」

「テル」

 

 俺は必死に背中を向けてくるセイフに首を振った。

 ともかく金は貰わないと。なにせ、俺達には金が要る。家のローンを払わなければ、なんて現代の家庭持ちのサラリーマンのようだが、それはソードクエストの世界でも変わらない。なにせ、この世界は弓使いの矢、一本一本にきちんと金がかかる世界だ。家にも、もちろん莫大な金がかかる。

 

「あした、支払いの日、だし」

 

 そのために、一度手放した武器屋防具をわざわざ買い戻して、クエスト消化で金を稼ぐ事になった。俺とセイフにとって一番効率良く稼げるのは、皮肉なことに〝冒険者〟なのであった。

 

「テル、おんぶだけ」

「……おんぶ、だけ?」

「ん。ついたら。起こすけん」

「……わかった」

 

 しかし、全身に感じる疲労と眠気に俺は屈してしまった。目の前にある広いセイフの背中に、吸い込まれるように体を預ける、甲冑ごしなのに、その背中は温かい気がした。

 

「せいふ、ごめ。ぎるど、ついたら……おこして」

「ん」

 

 フワリとした浮遊感と共に、ユラユラと体が揺れる。この揺れがまた堪らない。幼い頃、休みの日にテーマパークに連れて行ってもらった帰りの車の中と似ている。

 抗いようのない眠気に、俺は必死に意識だけは手放さないようにセイフの首元に頬を寄せた。

 

「きもちぃ」

 

 寝ちゃだめだ。寝ちゃダメだ。

 ねちゃだめだ。ねちゃ、だめだ。

 

 あぁ、あったかくて。いいにおい。

 

◇◆◇

 

「ぁれ?」

 

 目覚めると、そこはベッドの上だった。ふかふかの布団に包まれる横から、固いモノがピタリと俺にくっついている。

 

「セイフ」

 

 隣を見ると、そこには深い青い髪の毛を首元に纏わせ、ジッと無言でこちらを眺めるセイフの姿が見えた。

 

「テル、おはよう」

「セイフ」

 

 最後に見た時は、全身甲冑姿だった。でも、今は全てを脱ぎ捨て素顔のままで俺の前に居る。ベッドの中だ。そりゃ鎧も脱ぐだろう。キラキラと光る金色の瞳がまばたきによって、星の瞬きのように見える。やっぱり、セイフは綺麗だ。

 

「……いや、そうじゃないだろ」

 

 何考えてんだ、俺。セイフが綺麗な顔をしてる事に現実逃避してんじゃねぇよ。

 

「テル?どうしたと。体がきつかと?」

「セイフ」

「ん?」

 

 セイフが心配そうな表情で覗き込んでくる。俺の背中に回されていた腕がスルスルと俺の体を撫でた。俺は、とても大事にされている。いや、されすぎている。

 

「違う、きつくない」

「よかった」

 

 むしろ絶好調だ。これは十分な睡眠をとった後の、頭も体もスッキリした状態そのものだ。

しかも、服も着替えさせてもらっている上に、体の不快感もない事から、風呂まで入れてもらったとみえる。

 

「ごめん、セイフ……俺、また寝ちまった」

 

 昨日あれだけ夜は起きてるから!と啖呵を切っておいてこのザマだ。まるで背中に背負われて、風呂まで入れてもらって。まるで赤ん坊じゃないか。情けなくて仕方がない。

 そんな俺に、セイフはと言えば小さく首を振る。

 

「テル、起きとったよ」

「……そういうフォローはいいよ」

「起きとった」

「……そっか」

 

 頑なに俺が起きていたと主張するソレは、完全にセイフの不器用な優しさだ。起きてない。そんなの俺が一番分かってる。だって俺には、ものすごーーーく気持ち良く寝ていた記憶しかないのだから。

 

「……ごめん」

「テル、おきとったとに」

「ん、ありがとな」

「起きとった」

 

 少しだけ不満そうな声を頭上に聞きながら、俺はセイフの固い胸板に頭を押し付けた。今日こそは絶対にセイフとセックスをして、俺が気持ちよくしてやろうと思ったのに。

 ただ、クエストの任務に出かけるのにも、少し時間がある。この起きがけの時間に少しでも〝そういう時間〟を作っても良いのだが――。

 

「テル、ごはんば食べよ。昨日、食べとらんけ」

「ぅん」

 

 妙にすがすがしい顔をしたセイフに、朝からセックスをしよう!なんて言えるほど、俺も羞恥心が無いわけではない。それに、俺も「今セックスをしたいか?」と聞かれれば、睡眠の質が良かったせいかスッキリしてそんな気になれない。

 やっぱり、ちょっといやらしい事をするなら〝夜〟が良いのだろう。

 

 俺はベッドから起き上がり、トストスと台所へと向かうセイフの背中を見ながら再び決意した。

 

「今日こそ、きっと……」

 

 絶対にセイフとセックスをする!

 セイフ結婚する前から、俺に対して性的欲求を抱いているのは知っていた。

 使い魔だからと、俺を舐めてくる(物理的に)度に下半身が反応していたし。一緒にシャワーを浴びている時なんて、ゴリゴリに目の前で勃起されていたし。あまりにも、体に見合ったサイズ過ぎて、ビビって反応が出来なかった。そのせいで、旅の間は、セイフの下半身は触れずに流すのが日常だった。

 

「まだ。二十代だもんな。性欲あるよな……」

 

 こんな俺に興奮してくれているだけでも驚きなのだが、もっと驚くのが、それでもセイフは絶対に俺に無理やり何かをしてこようとしない事だ。あの立派な体躯だ。本気で俺に何かしようと思ったら、俺は多分何も抵抗する事も出来ずに、セイフの好きに出来るだろう。

 でも、セイフは絶対にそんな事はしない。待てのできる忠犬……いや、どこまでも優しい夫だ。

 

——–俺は、テルに怒鳴ったりしない。

 

 昨日のセイフの言葉が頭を過る。

 

「そんなの分かってるよ」

 

 セイフはいつも俺を最優先に考えてくれる。でも、俺達は夫夫なのだ。

 せっかくのヤりたい盛りの夫を前に、眠気に負けてなにもしてやれないのは不甲斐ない。それに、俺もセイフとシたい。最後にヤったのはこの家を買ってすぐだったか。

 

「え?もう三カ月くらい経ってるんじゃ……」

 

 もう完全にセックスレスの夫婦のソレじゃねぇか!俺達は、まだ結婚して一年も経ってない新婚なのに!

 俺はベッドから飛び降りると、台所に向かったセイフの後を追った。

 

「セイフ、鍋は俺が見てるから。顔洗って来い」

「ん」

「セイフ!」

「ん?」

 

 部屋に充満する美味しそうなスープとパンの焼ける匂いに、俺は冴えわたるスッキリとした思考の中、こちらを振り返るセイフに向かってハッキリと言い放った。

 

「俺、今日は絶対に寝ないから!」

「……ん」

 

 ワンテンポ遅れて、セイフから戸惑いを帯びた返事が返される。同時に、微かに腰に違和感を感じた。

 あれ、なんだろう。腰、というか下半身にジワリと重い感覚が走る。

 

「一応、体は十代なんだけどな……あれ?もう二十歳になったんだっけ?」

 

 どっちだっけ。まぁ、もう何歳でも腰をヤるには少し早すぎる。

 

「寝すぎ、か?」

 

 そうやって、俺がひたすら腰をさすっていると、セイフがジッと此方を見つめていた。

 

「テル。あの……大丈夫?」

「あぁ、別に何ともねぇよ。ほら、顔洗って来い」

「……ほんと?」

「セイフは優しいなぁ。何ともないから、心配すんな」

「ん」

 

 セイフは最後まで心配そうな目で俺を見つめると、チラチラと此方を振り返りながら洗面所へと歩いていった。そんなセイフの姿に、俺は思わずギュッと胸を掴んだ。

 

「……セイフは、どうしてあんなに優しいんだ」

 

 俺よりデカイ同性ではあるのだが、でもやっぱり思う。

 

「セイフは、本当に良い子だなぁっ」

 

 うん、本当に可愛い良い子だ。そんなセイフに、少しくらい良い思いをさせてやりたい。だから、絶対に、今日こそはセックスをする!俺がセイフを気持ち良くしてやるんだ!

 

「よしっ!今日は絶対に寝ない!今日こそ、きっと!」

 

 そう、毎日のように意気込みながら朝を迎えるのだが。しかし気付くといつだって俺は――。

 

「むぅ、せいふ……」

 

 セイフの背中で寝ているのであった。