4: 躾けに必要なモノ

 

 

——–あの、うちの子、全然言う事を聞かなくて。

 

 そう言って俺に相談に来る飼い主は、ともかく多い。それは、現代でも、このソードクエストの世界でも同じだ。

 

 俺が今まで出会った犬の中で最もヤバかったのは、部屋中のありとあらゆるモノを破壊し、家電製品の殆どを噛み壊した犬だった。あとは、目の前で少し手を動かすだけで、ノールックで噛んでくるヤツなんかも居た。

 

——–もう、どうすれば良いか分からないんです。

 

 そこまでくると、犬以上にヤバイのは飼い主の方だ。

 噛まれるかも、吠えるかも。そんな恐怖と緊張感のなか生活していると、近い将来必ず犬に手を上げ始める。いや、むしろ既に上げている事も多い。

 

 でも、そうなってしまった犬をどうにかするのに一番てっとり早い方法がある。それは――。

 

「ウォォォォン、ウ゛ゥゥゥッ!」

「……」

 

 ハウスに入れる。ただ、コレだけだ。

 

「クゥゥゥッ!」

 

 俺はゲージの中で暴れ回るくつしたの傍で、静かに本を読んでいた。吠え始めてどのくらいになるか。そろそろ疲れてきても良い頃合いだが、ゲージに入れてからずっと吠え続けている。子供の癖に凄い体力だ。

 

「キャンキャンキャン!グゥゥゥゥッ!」

「……」

 

 吠えるだけでなく体全体を使って暴れ回るせいで、ケージ自体がガタガタと激しい音を響かせている。普通なら、そろそろご近所から苦情の一つや二つ飛んできてもおかしくない頃だが。

 

「はいはい、吠えたいだけ吠えろよ」

 

 心配はいらない。なにせ、俺にご近所さんは存在しない。俺の家は、城下町の外れにある森の中にある。完全なるポツンと一軒家状態なのだ。

 

「ウォォォォンッ!」

「……」

 

 だから、どれだけ吠えても俺は一切反応しない。してやらない。

 これが、くつしたへの最初の躾だ。

 

——–ハウスに入れるだけ、ですか?

 

 みんな最初はそれだけでいいのか?と半信半疑な顔をする。

 ただ、これは簡単なようでいて、けっこう難しい。それまで家の中を好き勝手動き回っていた犬にとって、突然狭いゲージに閉じ込められるというのは相当なストレスがかかるからだ。でも、それは飼い主にとっても同じである。

 

「キャンキャンッ!ウゥゥゥッ!ッガァァァ!」

「……」

 

 悲鳴のような鳴き声と、暴れ回る獰猛な姿に、先に飼い主の方が音を上げる事が多い。こんな狭い場所に犬を閉じ込めて、こんなの虐待じゃないのか、と。

 

「……ちがう」

 

 その思考回路が、まず間違っている。犬も狼も、本来、暗くて狭い場所を好む生き物だ。それを人間の感覚に当てはめてはいけない。

 

「犬と人間は……別の生き物だ」

 

 そんな事はわかっている、と多くの人は言うだろう。でも、俺からすれば分かっていない。だって、長年この仕事に就いている俺ですら忘れかけてしまうのだから。

 

——–くぅん。

——–なんだよ、くつした。お前、慰めてくれてんのか。

 

 辛い時に心配そうな目で寄り添ってくれる。嬉しい時に一緒に喜んでくれる。こちらを「大好き」という目で見てくれる。無性の愛を注いでくれる。

 犬は、確かに人間の言葉や様子を見てこちらの事を「理解」してくれている。だから、人間側が勘違いするのも無理はないのだ。

 

「自分と同じ事をしてやれば、犬もそれが幸せだって」

 

 しかし、犬にとって家中を好きに動き回れるという事は、家全体が縄張りになる事と同義だ。そうなると、電話や来客、それどころか家主に対しても牙と警戒心を露わにする。なにせ、縄張りを他者から侵されるというのは、狼にとって最も許せない事なのだから。それが「噛む」「吠える」「あばれる」という事に繋がっている。

 

 犬にとって、人間の家は広すぎるのだ。

 

「……お?」

 

 パラパラと本を捲っていると、いつの間にか鳴き声が止んでいた。どうやら、やっと鳴き疲れたらしい。

 

「よしよし、良い子だ」

 

 俺は本を脇に置くと、革製の手袋を装着した。すると、それまで体をペタンと床につけていたくつしたの耳がピンと立ったのが分かった。

 

「ほら、おいで」

「っわふ!」

 

 ゲージを開けると、勢いよくくつしたが飛び出してきた。同時に、俺はくつしたに向かって干し肉を投げてやる。

 

「ぐぅぅっ」

「くつした、良い子だ!」

 

 必死にかぶりつくくつしたに、俺は出来るだけ盛大に笑ってやりながら褒めてやる。

 さて、次に進もうじゃないか。

 

「くつした。お前は本当に良い子だな」

 

 干し肉を食べ終わったくつしたに、俺はソッと下から手を伸ばしてみる。すると、どうなるか。

 

「がうっ!」

「……っぅ」

 

 見事に噛みつかれた。ここまでは、予想通りだ。それに、厚手の革製の手袋をしているせいで、怪我をすることはない。ないのだが……。

 

「っふーーー」

「ぐぅぅぅぅ!」

 痛いは痛い。つーか、死ぬほど痛い!しかも噛みながら引っ張ってくるから更に痛さが増す。一体どんな顎の力をしているんだよ、コイツ!

 これで子供だというのだから、くつしたが本当に並みの狼ではない事を思い知る。ただ、どんなに痛くとも表情には出さない。声も上げない。反応をしない。

 ここで俺のやるべき事は、さっきの檻の隣で本を読んでいた時と同じ〝無反応〟だ。これ以外にない。

 

「……」

「……ぐるるるっ」

 

 噛み癖のある子は、相手が派手に痛がる反応を「遊んでもらっている」「楽しい」と感じてしまっている。だから、噛む。

 さっきの檻の中での吠え癖もそうだ。あの鳴き声に人間の方が耐えかねて外に出してしまえば、犬は学習してしまう。「吠えれば、外に出してもらえる」と。だから、その反射を子供のうちに矯正してやる必要があるのだ。

 

「……っぅ」

 

 にしても、やっぱ痛ってぇな!おい!

 

「……」

「……ぐぅ」

 

 そうやってくつしたに手を噛まれたまま数十秒が過ぎ、互いに見つめ合う。ただ、それだけ。すると、次第にくつしたの口からフッと力が抜けていった。次いで、そろそろと相手の牙と口が俺の手から離れていく。

 

「っし!」

 

 こうなるのを、ずっと待っていた。

 次の瞬間、俺は深く息を吸い、しっかりと口角を上げた。

 

「よし、良い子だ。くつした」

「わふ?」

 

 未だに噛まれていた手がズキズキと痛む。ただ、こういうのはすぐに反応しないといけない。俺は腰のポケットから再び干し肉を取り出すと、ひょいと投げた。

 

「わんっ!」

「良い子だ。お前は本当に賢い子だな、くつした」

「ぐぅぅぅ」

 

 犬の……いや、狼の躾はコレの繰り返し。

 矯正したい行動に対して無反応をきめこみ、大人しくなったところを全力で褒める。この学習を繰り返す。

 

「くつした、くつした。えらいえらい」

「わふっ!」

 

 犬は楽しい事が大好きだ。飼い主が楽しそうな姿が好きだ。だから、犬を叱ってはいけない。犬は決して「恐怖」では縛れない。彼らを縛るなら「大好き」と「楽しい」で縛らなければ。

 

「くつした、まだまだこれからだからな!」

「ぐるぅぅ」

 

 干し肉にかぶりつくくつしたに、俺は高らかに宣言した。いや、これはどちらかといえば自分に対する宣言だ。つまるところ、犬の躾けに必要なのは人間側の忍耐力。ただ、それだけだ。

 しかも、このくつしたは本当に普通の狼とはワケが違う。

 

——–そんじょそこらの使い魔の狼と一緒にされては困るよ?

 

 腹の立つ声が耳元で聞こえてくる。でも、確かにあの金持ちの言う通りだった。

 

「……予備のゲージ、持ってこねぇと」

 

 たった三十分ほど入れただけで半壊しかけたゲージ。革の手袋の中で真っ青なあざを作る己の右手。その他にも、家の中はコイツが暴れたせいで様々なモノが破壊され、どこもかしこもボロボロだった。

 

「くぅ?」

「さて、またハウスしてもらうかな」

 

 正直、気が重い。でも、やるしかない。やるしかないのだ!

 

「くつした、ハウス!」

「グルルルルルッ!」

 

 前世も今世も、俺の体はどこもかしこもボロボロだ。