6:狼ランク

 

 このソードクエストの世界には、使い魔のランクというモノが存在する。

 

「へぇ、今年のSランクは北部勢が総取りか」

 

 発売されたばかりの「オオカミ倶楽部」という雑誌をめくりながら、俺はボソリと呟いた。季刊誌であるソレは年四回発行される。狼テイマーにとっては必須の情報誌だ。

 

「……良い狼だな。見に行きゃ良かった」

 

 S・A・B・C・Dという、全部で五つの階級ランクがあり、Aランクまでは各使い魔協会の決めた試験に合格する事で、階級を上げていく事が出来る。

 

 ただ、その中で唯一、試験の合格の有無では決まらないランクがある。それがSランクだ。

 

——–うちの子を、シュテファニッツ大会の表彰台に連れて行ってくれたまえ。

 

 年に一回。春に開催が予定されるシュテファニッツ大会。最も優れた狼の使い魔を決める世界大会だ。

 

 と言っても、コレは「強さ」を競う大会ではない。あくまで「使い魔」としての優劣を競う大会である。即席追及・服従・防衛という三種の総合得点で順位が付けられ、表彰台に上がれるのが三頭のみ。

 Sランクは、その表彰台に登った使い魔だけが得られる、稀少なランクなのである。

 

「まぁ、こんなランク。完全に人間のエゴでしかねぇんだけどな」

 

 でも、こういった人間の決めたランク付けこそが、俺達テイマーの腕を相対的に評価するランクになるのだから、声高にバカにしてもいられない。

 

「……今年のはぐれの殺処分数。去年より増えてるじゃねぇか」

 

 ただ、使い魔の中にはこのランクに収まらない種が二つ存在する。

 

 一つは「はぐれ」。

 「はぐれ」とは、元々使い魔として従えられていた個体が野良化したモノだ。前世の日本でもそうだったが、飼い主に捨てられるとそうなる。「はぐれ」になると、途端に討伐対象となるので、使い魔にとっては最も悲劇の道だ。

 

「捨てるくらいなら、最初から飼うなよ。クソが」

 

 その憤りは前世も今世も変わらない。はぐれを駆除するより、はぐれにさせた飼い主を駆除しろよ、とまで俺は思っている。本気だ。なにせ、はぐれを駆除しても、はぐれは消えない。生み出す人間の方をどうにかしない限り、この数はゼロにはならないだろう。

 

 そして、もう一つ。

 

「ん?グラスラートの森でホーラントの目撃情報?」

 

 唯一人間の手から完全に離れた希少種。それが――。

 

◇◆◇

 

「マジかよ」

 

 俺が依頼人から引き受けた狼は、紛れもないホンモノの【神獣】だった。

 

「ははから、にんげんふぜいの、まえでは、ぜったいに、はなすなーと、おしえられた」

「……そうか」

 

 どこかたどたどしい、間延びした喋り方で俺に向かって話しかけてくるのは、仔狼の「くつした」だった。そう、俺は昨晩、素で「犬がしゃべったぁ~!?」という、漫画の第一話のようなセリフを吐いて……現在に至っている。

 昨晩、混乱の中、くつしたが喋ったのは夢だったのだと、自分に言い聞かせて眠りについた俺。それを叩き起こしたのは「おきろー、くつしたは、おなかが、すいたぞー」という、高い子供の声だった。

 

「くつしたは、おなかがすいているー」

「……夢じゃなかった」

 

 いくらここがゲームの世界とは言え、通常の使い魔は人間の言葉を話したりしない。

 あくまで「心と心で通じ合っている」みたいな、そういうイマジナリー的な……その。

 

「つまり、狼は喋らないんだよっ!!」

「くつしたは、しゃべれるー。かしこいからー。そだろー?」

「……そだね」

 

 いくら、剣と魔法の世界とは言え現代で考えられていた不思議現象が日常茶飯事的に行われるワケではない。俺はこちらでも十数年テイマーとして何百頭もの狼の使役を行ってきたが、それでも神獣に出会ったのは初めてだった。

 

「じゃあ、お前たちは、普段は神獣である事を隠して生きてるのか?」

「そー。にんげんふぜいに、くつしたのこえは、もったいないからだろなー」

 

 いや、違うだろ。

 きっとくつしたの母親は自分達が神獣だとバレた時のリスクを鑑みて、子供にそう教えているに違いない。でも、まだ幼いコイツはその辺を理解できていないのだ。

 

「お前の母親って、大神ホーラントか?」

「そー」

「じゃあ、母親はどうなったんだ?まさか、討伐されたのか?それとも人間に捕まった?」

「さー」

 

 いや、さぁって。

 子供のコイツが捕まったという事は、ハンターによって捕まえられたか、下手をすると戦闘になり殺された可能性もある。神獣はその稀少さから高値で取引される。用途は様々だが、基本は見世物や金持ちの愛玩用、研究用に使われる。

 ただ、神獣は「使い魔」には決してならない。なぜなら、彼らは神だ。人間に懐くような、そういう生き物ではないのだ。

 

「おれはー、りっぱだからー。すーぐにひとりだちしたー」

「いや、それ絶対お前が勝手に親元飛び出しただけだろ」

「ちがうー。くつしたはー、もーおとなー」

 

 どうやら、好奇心旺盛過ぎて一人でフラフラしていたところをハンターに捕まったらしい。まったく、母親の苦労が窺える。今、どれほど心配しているだろうか。

 

「なぁ、母親の所に帰りたくないのか?」

「なにをいうー。くつしたは、りっぱな、おとなのおすだから、もう、ははのとこ、は、かえらないー」

「あ、そう」

 

 まぁ、帰りたいと言われても返すワケにはいかないから、助かったと言えば助かった。こうなった以上、くつしたは人間社会の中で生きていくしかない。

 

「くつした。母親から喋るなって言われていたのに、どうして俺の前で喋った?」

「くつしたはー、じぶんのしたいことをするー。それだけー」

 

 背筋を伸ばし、ピンと立った耳。幼いが、凛とした様子で口にされた言葉に、俺は自然と眉がヒクつくのを感じた。

 

「なぁ、くつした」

「なんだー、にんげんふぜいがー」

「俺以外とは絶対に喋るな」

「くつしたはなー、にんげんふぜいの言うことはきかなーいなー」

「……」

 

 これはヤバイ。このままだと、くつしたは普通の使い魔としての一生すら送れなくなる。

 金に目のくらんだ人間は、この何も知らない神獣の仔に、どんな悪魔の所業だって平気でやってのけるだろう。人間ってのは、ともかく最低な生き物なのだから。

 

「俺が、コイツを調教(テイム)しねぇと」

 

 子供ながらに神獣としてのプライドの高さを纏ったその姿は、それでもただの仔狼となんら変わらない。ピンとした背筋に反して、後ろでユラユラ揺れる尻尾はどこまでも正直で無邪気だ。

 俺の調教如何で、この子の人生は大きく変わる。幸か不幸か。一年は傍に居てやれるのだから、何かは出来る筈だ。でも。

 

「……俺、神獣の調教経験なんて、した事ねぇよ」

 

 何百頭もの犬や狼を躾けてきた。それが俺の自信を支えてきたし、今の俺を形作っている。でも、神獣となれば話は別だ。人間から隠れて生きてきた稀少な存在なのだから、資料もあまり残されていない。

 むしろ、神獣などおとぎ話の存在だと思っている人間も少なくない程だ。コイツが喋るまで、俺もそう思っていた。

 

「……先生、どうしよう」

 

 こちらの世界に来ても尚、やっぱり俺の先生は前世の彼女だけだった。そんな情けない声と共に、俺が再びくつしたを見た時だった。

 

「ん?」

「……」

 

 微かに開いた口の隙間からペロリと舌を出したくつしたの姿が、そこにはあった。

 

「いや、おやつはあげないぞ」

「……」

 

 ペロ。

 

「だーかーらー、やらねぇって」

「……」

 

 ペロ。ペロ。

 いくら「あげない」と言っても、くつしたは舌を出したままジッとこちらを見てくる。しかも、何のアピールなのか舌を出し入れまでし始めた。

 

「っふ、ふふ。なんだよ、ソレ」

 

 その姿は、何度見ても昔飼っていた「くつした」の姿そのものだった。

 

——–聞きな。私達が相手にしてるのは「犬」じゃない。目の前の「その子」だよ。

 

 遠くに先生の声が聞こえた気がした。

 

「もー、ほんっと。くつした、お前ってやつは」

「……」

「可愛すぎ!」

 

 俺はジッとこちらを見て舌を出すくつしたの顔を両手で挟むと、ぐしゃぐしゃと思い切り撫でてやった。

 

「ウ゛ーーー」

「可愛い可愛い!可愛くてえらいなー!」

「う゛ーーー」

 

 「う゛ー」と言いつつ、くつしたは俺の撫でを噛みつくことなく受け入れてくれた。これまでの躾の成果がしっかり出ている証拠だ。今も念のため、革製の手袋をしているのだが、そろそろ外しても良い頃だろう。

 そうだ。俺は、間違ってなかった。

 

「いいよ、くつした!お前はお前の好きにしろ!俺も俺の好きにするから!」

「うーー?」

 

 あぁ、もう。この子が神獣でも何でも構わない。俺がやる事は一つなのだから。

 犬も狼も、そして人間だって相手を「恐怖」では縛る事は出来ない。心を通わせられる生き物を縛る唯一の方法。それは〝楽しい〟と〝大好き〟だけなのだ。

 そして、この子と俺は間違いなく心を通わせられている。

 

「くつした」

「なんだー」

 

 だって、俺が名前を呼べばこちらを見てくれる。俺の呼んだ名前で、しっかりと自分を認識している。

 

「おまえ、自分の事が〝くつした〟だって知っててエライな!」

「そだろー。くつしたはエライだろー」

 

 俺は他人が見たら完全に引かれる程の笑顔を浮かべると、ひょいと干し肉を投げてやった。その瞬間、くつしたは目を輝かせて肉に飛びつく。

 

「これ、くつしたのー!」

「あぁ、くつしたのだ」

 

 俺は食べるくつしたの頭をよしよしと撫でてやりながら、ふと思った。

 

「そういや。夢、叶っちゃったな」

 

 そう、俺には夢があった。自分の犬を飼う事。そして――。

 

「くつした、おいしいか?」

「おいしー」

 

 犬と、喋ること。