17:付記1「古より、星は常に闇夜で光り輝くことから夢や希望の象徴とされている」

 

 

 ループが死んだ。

 突然、自らの首を掻き切った。そう、あれは誰がどう見ても自殺だった。

 

「ループ、どうしてっ」

「なんで、こんな事に……」

「ループが居なくて。私達、これからどうすればいいの」

「どうするったって……そんなの」

 

 勇者を失った俺達に、魔王は倒せない。なにせ、魔王は光の聖剣エクスカリバーでしか倒せないのだから。呆然自失とする仲間達を後目に、俺はどんどん腕の中で温もりを失っていく亡骸を見つめながら、未だにループの死を受け入れられずにいた。

 

「……いや、違う」

 

 俺はループの死を受け入れられないんじゃない。どちらかと言えば——。

 

「なんで、俺は生きてるんだ」

「……カミュ?」

 

 俺のすぐ隣で、最後までループの回復に努めていたセゾニアが怪訝そうな目を向けてくる。しかし、俺にとってはそれどころではなかった。

 

 そう、今この瞬間俺は「生きている」。

 これまで何度も繰り返してきた不条理な物語の中で、こんな事は初めてだ。カミュという人間は、勇者ループを魔王討伐への意志を強固にする為の捨て駒に過ぎない存在だった筈なのに。

 

——カミュ、今度こそ……お前が先に進む番だよ。

——大丈夫だ、絶対に次こそ。お前を未来に連れて行く!

 

 ここにきてループの言葉が頭を過った。あの時は何の事だか分からなかった。違和感はあったが、ループは普段から意味の分からない言葉を口にしていたから気にしていなかった。でも、あの時のループはいつもと明らかに雰囲気が違っていた。まるで何かを決意するような、覚悟したような、そんな目で俺を見て。

 

101

「ひゃく、いち……?」

 

 ループの頭上に浮かんだ星の隣に映し出された数字に、心臓の音がドクリと激しく高鳴る。

 この数字は、俺に対する「好感度」だった筈だ。そして、好感度の上限値は「100」。しかし、ここにきて数字の横に浮かぶ星マークが異様な存在感を放ち始めた。

 

「このマークは、一体なんだ?」

 

 そうだ、他の人間にはないそのマークがループにはあった。もしかすると、この数字が示すのは「好感度」ではないのかもしれない。だとすると、これは一体。と、巡らせた思考の中で、一つの可能性が浮かび上がってきた。

 

「待て、待ってくれ。俺は……これまで一体何回やり直してきた?」

 

 分からない。途中までは数えていたが、あまりの徒労感に数えるのを止めた。数字なんかに囚われると狂ってしまいそうだったから。

 でも、この数字は今しがたループが息を引き取った直後に更新した。好感度ではある筈のない上限値の100を超えて。

 

 認めたくない。でも、認めざるを得ない。

 

「っはぁ……っは。っぁぁぁ……まさか、まさかっ」

「カミュ、ちょっと!」

 

 これはループの「やり直してきた回数」だ。

 俺だけじゃない、ずっとループも同じ時を繰り返してきていたのだ。そう、悟ったと同時にループの頭上の数字が薄くなっていくのが見えた。完全にループの存在が〝此処〟から消えていくのを感じる。

 

「っはぁ……っぁぁ!嘘だっ!待って、待ってくれ!ループっ!」

「カミュ!つらいのは分かるけど、しっかりしなさい!」

 

 セゾニアが俺の肩を揺さぶってくる。その声につられ、仲間達の視線も俺へと向けられる。

 

「あぁ、カミュ……!」

「カミュ、落ち着け!」

「そうだ、まずは街に戻ろう!」

 

 一体何だと言うんだ。なんで、コイツらはループが死んだのにこんなに平然としていられるというんだ。意味が分からない。それに、今から街に戻って何になる。

 

「お前らっ、ループを置いて行くのか!?」

「違うっ!でもここに居たってどうしようも……」

「そうやって、〝次どうするのか〟を考えて、結局はループを置いて行くつもりだろうがっ!」

「カミュ、いい加減にしなさい!つらいのはあなただけじゃないのよっ!」

 

 セゾニアの言葉に体中から熱が引いていくのを感じた。先ほどまで高鳴っていた心臓も、怒りに震えていた感情も凪いでいく。

 

「みんな同じだって?」

「ええ、そうよ!ループを亡くしてつらいのは……あなただけじゃないっ!」

 

 こんな感覚、生まれて初めてだ。自分が死ぬ瞬間ですら、こんな事は無かったというのに。

 

「セゾニア、思い上がるのも大概にしろよ」

「え?」

 

 自分でも聞いた事のないような、低く、憎悪に満ちた声が漏れた。セゾニアの肩がビクリと揺れるのが見える。

 

 これ以上は言うな。言ってどうなるワケでもない。

 あぁ、大丈夫だ。こういう時、物語の進行に言及するような事を口走ろうとすると、世界が止めてくれていた。さぁ、いつものように、俺から自由を奪ってくれ。

 

「一度も置いて行かれた事もないお前が、分かったような口をきくな……早々にループの回復を諦めたくせに」

「っぁ……あぁ、あ……そ、れは」

 

 セゾニアの瞳に、絶望と後悔の色が浮かぶ。

 あれ、どうしてだ。なんで、いつもみたいに俺の言葉を奪ってくれない?指先が氷のように冷え切っていく中、周囲で他の仲間達が俺に食ってかかる。

 

「カミュ、やめろ!セゾニアに当たっても仕方ないだろう!」

「こ、混乱してるのよね。ループがこんなになって……」

「もう、いやっ!なんなの、なんでこんな事になったのよ!」

 

 あぁ、どいつもこいつもうるさい。何も知らないくせに。こいつら、全員。ただの一回目のくせに。

 溢れ出すドス黒い感情が、腹の底からとめどなくせり上がってくる。

 

「……黙れよ、この薄情者共が」

 

 やめろ、やめろやめろ!頼むから、俺を止めてくれ!コイツらは別に悪くない!一番悪いのは——。

「この中で、本当にループの死に絶望しているのは」

 

 俺だけだ。

 

 仲間達から向けられる悲しみと後悔、そして軽蔑の目。それらから逃げるように、俺は視線を逸らした。

 腕の中のループに目をやると、そこには数字も星マークも消えた正真正銘のただの抜け殻がある。もう、この世界(ここ)にループは居ない。おかしなものだ。あれだけ「生きたい」と願っていた望み先に居るというのに、あるのは絶望だけだった。

 

「——————」

今度は、お前が俺の為に死ねよ。

 

 ループを嫌って……いや、憎んですらいた筈だったのに。なんの事はない。俺は最初からループを助けたかっただけなのだ。世界の強制力という不条理を言い訳に、自分のつらさをループへの怒りで包み精神を保っていた。

 

——俺は昔からカミュ贔屓だ!

「……昔から、お前は俺を置いて行ってなんかいなかったんだな」

 

 心臓が痛いほどに強く脈打ち、喉の奥が熱くなる。握りしめた拳が白くなるほど力を込め、爪が掌に食い込んでも気づかないほど、心が引き裂かれる。

 

「……こんなの、無理だ」

 

 俺はループだったものから手を離すと、そのままゆっくりと立ち上がった。

 

「ループ、会いたい」

「カミュ……ちょっと、あなた。なにを」

 

 セゾニアの声が聞こえる。いや、別の誰かか。もう、今の俺にはソレすら分からない。

 死ねば、きっとまたループに会える。だってずっとそうだった。死んで、再び「俺」の意識が覚醒した時には、あの見慣れたボケッとした笑顔が目の前にあったから。

 今度こそ、本当の意味で。世界に喜んで縛られながら生きられる。不条理なんかじゃない。俺の望みの世界が。

 

「これで、ぜんぶ……また、会える」

 

 俺はすぐ傍にあった崖の際に立った。視界の果てまで、垂直に落ちる絶壁が連なっている。ここから落ちれば、全てが終わる。少しの風でバランスを崩しそうな足元に、じっとりと汗が浮かぶ。

 

「……っは、ぁ。な、んでだよ」

 

 ここから飛び降りれば、望みの世界に迎える筈だ。それなのに、俺の足は一歩も動かなかった。胸の奥が締め付けられ、全身が緊張で固まり、指先さえも動かない。

 これは世界の強制力か。いや、違うちがうちがうちがう。

 

「あぁぁっ……るーぷ、るーぷ」

 

 俺はその場に座り込むと、掌に残るループの血を見ながら自分自身に絶望した。

 

「しぬのが、こわい」

 

 ループの為になら、あんなに簡単にその一歩を踏み出せたのに。俺は、絶望の中でループに会いたいと望みながら、死ぬことも出来なかった。

 

 こうして、この世界から「勇者」は居なくなった。