(2)

 

◇◆◇

 

「う、わぁっ……!」

 

 庭園に足を踏み入れた瞬間、まるで夢の中に迷い込んだかと錯覚しました。そこには、光が乱舞するように咲き乱れる黄金のバラが所狭しと咲き乱れていたのです。太陽の光に照らされてキラキラと光り輝くその姿は、まるで——。

 

「ケインみたいっ!」

 

 思わず漏れた言葉に、僕は先ほどまでの妙に重苦しかった気持ちが急に晴れるのを感じました。

 

——ラティ、今日は庭園には行ってみたか?

 

 最近、幾度となくケインから尋ねられてきた言葉に僕は思わず呟きました。

 

「もしかして、ケインはこれを僕に見せたかったのかな」

 

 僕がバラを好きな事も、覚えていてくれたのかも。もしかすると、こうして金色のバラを植えるように計らってくれたのもケインなのかも。

 

「もしそうだったら、とても嬉しいなぁ」

 

 なんて、僕の頭はとても都合の良い想像ばかりをしていきます。まったく、何の役にも立たない癖にどれだけ厚かましいのか。

 でも、頭の中だけならどう思おうと自由です。少しくらい分不相応な事を思っても、口にさえ出さなければ何の問題もない。

 

 僕はこれまで、ずっとそうやって生きてたのですから。

 

「ここは黄金色の……ケインのバラ園だね!」

 

 僕は一気に気分が良くなるのを感じると、金色のバラの中を軽やかに駆け抜けていきました。

 

「っふふ、すごいすごい!あははっ!」

 

 普段は走る事なんて殆どありませんが、なんだかケインの中に居るみたいで、嬉しくて走り出したくなったのです。

 そうやって、どれくらい庭園を駆け回ったでしょう。

 

「っはぁ、っはぁっはぁ、っはぁ……っはぁーーっけほっけほ!」

 

 ……いいえ、「どれほど」というほど走れていません。

 普段から部屋に閉じこもってばかりの僕に、庭園中を駆け抜ける体力なんてあるはずがなかったのです。

 

「っはぁ、こ、んなに……体力が無くなってるなんて」

 

 吸っても吸っても空気を求めてくる体に、僕は必死に肩で息をしました。ドクドクと胸の中心で激しく鼓動が鳴り響き、まるで体全体が心臓になったみたい。

 

「たっ、たしかに。少しは……う、ごかないと」

 

 これでは、まるでお爺さんのようです。いくら大人になったとは言え、僕だってまだ二十四歳になったばかりだというのに。

 

「……っはぁ、っはぁ。ちょっと、休憩を」

 

 一旦、どこかに腰を落ち着けたくて、フラつく体に鞭を打ち必死に足を動かしました。

 

「はは。か、体に鞭を打ち……だって。鞭はこんなのよりずっと、痛いのにね。はは」

 

 ぼんやりしすぎて、ついには自分自身と会話を始める始末。 

 だからこそ、僕はうっかりしてしまったのです。僕が許されている場所は、この離れだけだというのに。 

 

「あ、暑い……」 

 

 気がつけば、高い日差しを避けるように木陰を求め、離宮を囲む木々の中へ足を踏み入れていました。

 

◇◆◇

 

 そうやって、どのくらいぼんやり歩いたでしょう。

 

「……あれ、ここは」

 

 見慣れない周囲の様子に、僕がやっと顔を上げた時でした。

 

「おいおいっ!そこで、何やってんだよ!」

「っ!」

 

 聞き慣れない……しかもとても大きな声に、僕はその場から飛び上がるほどビックリしてしまいました。

 

「あ、あの。えっと僕は……!」

 

 こんな僕でも、成人した王族です。

 本来なら他者に対しては「私」と自称しなければならないところを、とっさに「僕」なんて言っていました。でも、その時の僕にはそれを気にしている余裕も何もあったもんじゃありません。

 

「子供……?もしかして、新入りの使用人か?」

「っ、っぁ……っ!」

「おいおい、今はこんな子供まで働かせてんのかよ。うちはそんなに人手不足じゃないだろうに」

 

 そう言ってずんずんと近寄ってくる相手に、自然と視線は足元へと落ちました。僕は普段、ケインや決まった侍女としか言葉を交わさないので、こうして初対面の方と目を合わせて話すことすら、ままなりません。

 

「教えて貰わなかったのか?この先は決められた人間以外絶対に立ち入り禁止だ。見つかったらえらいめに合うぞ」

「あ、あの……あの」

 

 大きな体が降り注ぐ太陽の光を遮り、俯いた視線には泥で薄く汚れたゴツゴツとした革のブーツが見えます。

 どうやら、彼は訓練中の兵士のようです。

 

「そんなに怯えるなよ。まるで俺が虐めてるみたいじゃないか」

「あの、ご、ごめんな、さい。ぼ、ぼ、ぼくが……お、臆病で……!」

 

 彼はどうやら、僕を宮中で働く使用人――それも子供だと勘違いしているようでした。

 

「いや、俺も急に大声を出して悪かったよ。怖かったな」

 

 そう言いながら、彼の大きな手が僕の頭を撫でます。少し驚いたものの、不思議と見た目によらずその仕草に乱暴さは感じません。

 けれど――その瞬間、彼の太い腕の隙間から見えたものに、僕は息が止まりそうになりました。

 

「っ!」

「ん、どうした?」

 

 彼の風貌が、どこかケインに似ていたのです。そういえば、幼い頃にケインへ尋ねたことがありました。

 

——俺とそっくりのヤツを見た?あぁ、それは多分……