「アウトさ、この真冬に、毎日水のシャワー浴びてんだよ」
「…………は」
余りにも予想外なバイからの台詞に、思わず呆けたような声を上げた。
今度は、俺ではない。ウィズだ。
そんなウィズに、バイは両手を自分の顔の横に上げ、わざとらしく肩をすくめてみせる。バイは急に一体何の話をしているのだろう。
「真冬にずっと水のシャワー浴びて、髪乾かさないで寝てやがんの。しかも、寝衣はボロボロのスレスレの、なんか、凄くみっともないヤツを着てる。あれじゃあ、いつ風邪を引いて高熱出してもおかしくないよねぇ」
「あ゛」
普段では余り聞く事の出来ない、ウィズの唸るような、獣のような声に俺はヒュッと呼吸の間隔が崩れるのを感じた。
何故だろう。先程ウィズから掴まれた腕が、ギリギリと非常に攻撃的な痛みを与えてきているのだが、気のせいだろうか。
「いでででで!!いだい!痛いよ!?ウィズ!!」
いや!気のせいじゃなさそうだ!
腕へと与え続けられる鈍い痛みに、俺が悲鳴を上げる中、バイは眉を寄せつつ、今度はその手を自身の眉間へと移動させた。
移動させ、どうやら俺を助けようなどとは毛頭思っていない、しかも、ウィズの怒りを加速させるであろう“余計”な事を言い続ける。
「あれ、なんだろうなぁ。あの寝衣。なぁ、アウト。あんなみっともない寝衣、一体どこで売ってるんだ?俺、今まで一度も見た事ねぇけど。しかも、アレ何年モノ?もう本気で酷いから捨てた方が良いと思うケド」
「っし、失礼な!あれは高等学窓で使う運動着だ!入学するとき買わされて、た、高かったんだぞ!だから生地は丈夫で寝る時にはちょうど……でででで!だから!痛い!痛い!ウィズ!?腕!俺の腕へし折れるよ!?」
寝る時の格好は何でもいいだろ!どうせ誰も見ちゃいないんだし!
しかし、その俺の心からの叫びは、ウィズから与えられる、俺の腕をへし折らん勢いの力によって、表に出てくる事はなかった。
「お前はっ!?以前も店に、髪を濡らして来た事があったが、もしかしてあの時から水を浴びてたんじゃないだろうな!?いつからだ!?」
「えっと、よく覚えて……な」
「今年の秋終わりに俺が泊りに行った時には、もう熱結石は壊れて水だったぜ」
急に部屋の入口から、面白がるような声が聞こえて来た。
アボードだ。
アボードは部屋の入口で壁にもたれながら、ニヤついた顔をこちらに向けてきている。
そして、俺はこの腕に走る激痛が更に激しくなった事により、ハッキリと察した。今、俺の弟も、バイ同様、非常に余計な事を言ってしまったのだという事に。
そして、それもきっと俺に対する“復讐”なのだ。
いや!トウをお父さんって呼んだのは!お前の責任だろうが!?
「秋終わり……だと。お前、俺の店に初めて来た時には、もう、毎日水を浴びていたのか……?」
「えーっと。ドウダッタカナ。もう前過ぎて、あんまり覚えて……」
「この愚か者が!!!」
その瞬間、ウィズの顔が勢いよく激変した。
あの雷のような怒りを放っていた時が終始無表情だった事を考えれば、今のウィズはとても元気だ。
いや、元気という言い方は語弊があるのかもしれないが、どうしたって元気としか言いようがないくらい“元気”なのだ。どうやら、満身創痍ではなくなったようで安心したが、これはこれで、いつものウィズらしからぬ感情の発露に、俺は戸惑うしかない。
「こんな真冬に毎日水浴びなど!?何をどうしたらそんな事になるんだ!?あり得ない!お前は本当にどこまで、愚かで軽骨で愚劣で癡鈍でっ!!!しかもっ!寝衣が高等学窓の運動着!?お前今いくつだ!?」
「先日26歳になりました……」
「なったのか!?もう!?何故なった!?なぜその時言わない!?」
「えぇえええ!?」
俺はもう一体何をウィズに怒られているのだろうか。
真冬に水のシャワーを浴びていた事だろうか。それとも髪を乾かさずに寝ている事だろうか。いや、何故か学窓の運動着で寝ている事も、俺が26歳になった事にも怒っているように見える。
26歳に関しては放っておいても成ってしまうのだから、仕方がないだろう!
混乱してきた。あぁ、そりゃあもう完全に訳が分からない。
ぎょうかんも何も読めたモノではない!俺は!“おろか”で“きょうこつ”で“ぐれつ”で“ちどん”なのだから!
「俺はっ!!一体ウィズが何でそんな事で怒ってるのか、ぜんぜん分からない!!っていうか!なんでウィズは俺がここで汚物と吐物をまき散らした事も、その世話をさせられた事も何も言わないんだよ!普通怒るならソッチだろ!?なんで、怒らないんだよ!それなのに、そんなワケの分からない事で怒って!わからないっ!!」
「あぁぁぁ!クソっ!何故わからない!?お前はどうしてそうも理解力がないんだっ!それに、俺がお前の吐物や糞尿如きで怒る訳がないだろうが!なぁ、どうしてわからない!?逆に何故分からないのかを説明してみせろ!」
「っ!ふっ、糞尿って言うな!恥ずかしいだろ!?」
「何を今更!そんな事が一体何だと言うんだ!」
「そんな事……!?汚いだろうが!そんな他人の汚いモノの世話なんてさせられたら!普通みんな嫌いになるだろうが!嫌になるだろうが!」
叫びながら、俺はやっと理解した。
もちろん、ウィズの気持ちを、ではない。あぁ、そうさ。俺はウィズの気持ちなんか、さっぱりわからないのだ。
分かったのは、そう“俺の気持ち”だ。
この時になって、やっと俺は自分の“ぎょうかん”を読む事が出来たのだ。
どうして俺は、ウィズに対し、純粋な感謝だけを抱けなかったのか。
純粋な感謝だけを抱けないのは、全ての汚にまみれた姿をウィズにまるごと見られてしまった羞恥心によるものか、それとも別の何かか。
答えは“別の何か”だった。
「俺は迷惑を掛けたっ!勝手な事をして……たくさん吐いたし、も、漏らしたしっ!汚かっただろ!?臭かっただろ!?ウィズはもう俺なんか嫌いだろ!?」
俺はウィズに嫌われたのではないかと思って、ただひたすら怖かったのだ。そんな世話、小さな子供ならまだしも、親ならまだしも。
そうなのだ。俺は子供でもないし、ウィズは親じゃない。“そんな事”してもらう理由が俺にはない。
それに俺は――。