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「へぇ、ここがアウトの中かぁ!広い広い!すっごい!これ、普通に“世界”じゃん!」
「……ここが、アウトの」
俺の隣で、ヴァイスがはしゃぐように草原を駆け回る。その姿は、あまりにも彼の見た目に合っており、元々この世界の住人なのではないかと思えてくるから不思議だ。
「美しい」
広い、広い草原。風にざわめく草木の向こうには、見慣れぬ城。様々な建築様式を誇る民家の集まり。
そして、遠くからは、波打つ海の音まで聞こえてくる。
アウトの中。
ここは本当にマナの中なのだろうか。ヴァイスの言う通り、まるで“世界”そのものじゃないか。
「おい、飲んだくれ。普通、マナの中というのは、どんな風になっているものなんだ」
「僕も完全に誰かの“中”に入ったのは、これが初めてだから分からないよ。普通、こうもアッサリ他人を自身のマナの器に招き入れるなんて、人はしない。お前だって、そういうのはよく分かるんじゃない?」
そう、下から顔を覗き込むように見つめられ、問われれば、確かにその通りだと言わざるを得ない。
「そうだな」
俺は誰であろうと、自身の中になど他人を受け入れたりしない。
この己の醜い、薄汚れたような感情や、気持ちを、他人に見せるなんてあり得ない事だ。見せるだけではなく、ましてや招き入れるなど、言語道断。
「……俺の中になど、絶対に誰も入れたくない」
「でしょう?“普通”は、だから無理なんだよ。自分の好き勝手できる空間を、自分の中に最大限持ってるのが人間さ。そうやって、外界の様々な苦悩との狭間で、自我を保っていきている」
そう、そうなのだ。
誰も自身の中に入れたくない。けれど、それは“俺”が特別だからではない。皆、普通はそうなのだ。他者に見られたくない自身の在り様など、誰もが持っている。
マナの中、心の中は、皆が皆、自由気ままに生きている。
「じゃあ、アウトはどこで、自由に生きている?」
「さあね。とりあえず、アウトの異端さを知るには、まず先へ進まなきゃ」
鍵と言霊があったところで、こうもアッサリと他人を受け入れるなんて。それは、まるでアウトらしい。アウトらしくもあったが、納得は出来なかった。
アウトが生命維持に必要なマナを最低限しかもっていなかったのも、この世界の異様な在り様が原因としか思えない。
「ねぇ、ウィズ」
「なんだ」
草原の先。城や民家の立ち並ぶ場所を目指し歩き始めた俺に、ヴァイスが何気なく声をかけてきた。
「お前、体に変化はない?」
「……ない。今のところ、アウトに拒絶されてはいないようだ」
そう。それだけが気がかりだった。あんな事を言って傷付けた俺が、アウトのマナから跳ね返される事は十分考えられる事だったのだ。
「アウト、お前は」
けれど、こんな俺でさえ、アウトは弾かずに受け入れる。それにホッとする自分と、拒絶を知らないアウトの心に不安も過るのだ。誰も彼も、受け入れるアウトの、俺はただ一人に過ぎないのだと、言われているようで。
どんなにおこがましいと言われようが、俺は、アウトの“特別”になりたいのだ。
「僕はそういう事を言ってるんじゃないんだけどなあ」
「……じゃあ、なんだ」
「アウトがお前を弾かない事は、僕には分かっていたからね。僕が言いたいのは、お前の体に変化とか違和感はないかってことさ」
「変化?意味が分からん。そういう、回りくどい言い回しは腹が立つ。もっとはっきり言え」
ヴァイスの問いかけの意図が読めない。俺の体に変化?そんなモノは何もない。俺はこうして普通に立っている。痛みもなければ、苦しみもない。
「じゃあ聞くけど。何か抜け落ちたような感覚はない?お前、覚えてる?僕がお前は2つに分かれてるって言った事」
「あぁ、確かにそんな事を言っていたな……っ!」
言われてハッとした。
痛みもなければ、苦しみもない。それが最大の変化だった。俺はアウトの中に入るまで、明らかに自身の中にある相反する2つの感情と欲望に、痛みすら伴うような苦しみを、常時抱えていた。
それが、ない。今、俺はとても静かだ。静かで、1つだ。
「今さ、僕らって外側……つまり体は、外に置いてきてるんだよ。すなわち、体はアウト同様、眠っている状態。だから、言うなれば僕たちのこの状態って、マナそのものなんだ。マナの中には、マナしか入れない。僕が見た限りじゃ、ウィズ。今、お前のマナは今までの半分に減ってる」
「……半分だけ、弾かれたのか?」
「違う。アウトには、お前の半分だけ、意図的に弾くなんて器用な事が出来る子じゃないよ。お前がここに入る時、どこかに落としてきたんじゃない?」
落として来た、だと。そんな事があり得るのか。そんなポケットに入れた財布のように、自身のマナを容易に落とすなど出来るものなのか。
外付けの装飾品ではなく、自身の一部である筈のマナを。
「逆に、落とせるのか……?」
「うーん、普通は自分のマナを落っことす間抜けは居ないけど、お前の場合、半分はもう、お前の言う事なんて聞いてなかったみたいじゃないか。だとすると、そうだねぇ」
「なんだ」
俺は明らかに減ってしまった自身のマナに、急に不安に襲われた。稀巣症候群という、マナが減っていく病もあるくらいだ。ここに来て何らかのマナの疾病を発症したとしても、おかしくはない。
もう、この際だ。俺が死ぬのはいい。いいが、アウトに会う前になど、死ねない。
「俺は、まだ!アウトに会うまでは、死ねな」
「家出でもしたんじゃない?」
「……は?」
俺が自身の死と、アウトへの想いを募らせた瞬間、ヴァイスの口から、余りにも場違いな言葉が飛び出した。
家出?家出だと?マナが?俺のマナなのにか?
「家出!?そんな事あるのか!?」
「知らないよ。僕を検索すれば何でも出せる万能の箱みたいに扱わないでよ。アウトもお前も、色々と異端過ぎて、僕も分からないんだ!」
「いや、それにしたって……」
「別にいいじゃないか。お前、普通に元気みたいだし。むしろ、半分家出したお陰で、お前の異様な“重さ”が減って普通に……」
減って、と言いつつヴァイスが俺をまじまじと見てくる。そして、じょじょにその表情は怪訝そうなモノに変わっていき、最終的には口角をヒクつかせ、引いたような顔になっていた。
解せない。表情だけなのに、どうしてこうも俺を苛つかせる事が出来るのだろう。
「うん。半分減ったのに、それでも、大分“重い”よ。キモチワル。家出してもらって良かったね。体に異常がないなら、お前らは分かれて……いや、別れて正解だったよ」
「重い重いと、一体俺の何がそんなに重いというんだ!?」
「想いだよ。重い想いこそ、お前の真骨頂だもんね。いいよ、いこいこ。きっとお前が嫌になって家出したんだろうし。好きにやるさ。ほっとこ」
そう、肩をすくめて先を歩み始めたヴァイスに、俺は頭を抱えたくなった。結局、問題提起だけして、放り投げられた。
半分居なくなってしまった俺のマナ。ヴァイスは家出だというが、だとしたら俺のもう半分は今、どこに居るのだろう。
「面倒な事をしていなければいいが」
そう、自然と口をついて出た俺のその言葉に、俺は少しばかり愉快な気持ちになってしまった。
その言葉が既に、俺にとっての“半分”が、既に“俺”ではないとハッキリ口にしている。もしかすると、ヴァイスの言う“家出”というのも、あながち間違いではないのかもしれない。
「まぁ、好きにするといいさ」
”お前”が居ると、俺は”俺”すら自由に動かせないのだから。
俺は身軽になった体を、風のように翻ると、そのままヴァイスの背を追って歩を進めた。