『あの、明日も来ていいですか』
そう、俺は次の日もあの酒場に行こうと思っていたのだ。本当に。
しかし、普通に行けなかった。
すっかり忘れていたが、次の日は夜勤だったのだ。あの男が俺を待っているとは思えないが、行くと言ってしまった手前かなりソワソワしてしまう。
まぁ、仕事だから仕方がないのだけれど。
「うーん、行ったら謝らないとな」
そう、俺は一人ごちると手元の記録用紙にサラサラと記録を取る。
俺の仕事は市外市内を含めた地下水道線の圧力管理だ。これは常に監視が必要な仕事である為、昼夜問わず数名のグループで数値を見守る。
正直、異常が起こることなど稀で、特にやる事はないのだが仕事は仕事だ。
自分の酒場を持つ為に、俺は早く金を貯めたいので真面目に謙虚に毎日取り組む。
そろそろ給金が上がらないかなぁなんて毎日毎日思っている。普通に上がらないけど。
「どうしたんですかー。アウト先輩」
「いやぁ、給金上がらないかなって」
「あは、それ私も思うー。毎日思うー」
ガラス越しに水流の色を確認する俺の隣には、同じように手持ち無沙汰に水流を眺めるクセ毛の強い女の子の姿がある。
彼女は名をアバブという。
まだ17歳で、成人が20歳のこの世界ではまだまだ子供だ。
まぁ、前世が当たり前のこの世界で“成人”の概念がどこまで意味を持つのかは、微妙なところだが。
俺がチラリと彼女の手元を見れば、雑に置かれた記録用の用紙がグシャリと皺を作っているのが見えた。中身はもちろん白紙だ。
「アバブ。紙グシャってなってるよ」
「うそー!アウト先輩。鏡もってないっすかー」
そういって、検討違いにも自分の癖の強い髪の毛を手で梳かし始めたアバブに、俺は訂正するのも面倒で「持ってない」と答える。
すると、アバブは水流を観察する為のガラス張りに必死に自分の姿を写し、観察し始めた。その顔は、まさに真剣そのものである。
——-なぁ、俺達の仕事は一体何だっただろうか。
「そーいえば、アウト先輩。こないだ言ってたデカ男には、まだ見つかってないんですかー」
「何だよその言い方。まるで見つかって欲しいみたいに」
「だってー、前世の幼馴染と勘違いして無理矢理アウト先輩を連れて行こうとするなんて、ボーイ・ミーツ・ボーイの真骨頂じゃないっすか。ロマンしか感じない」
「ぼーいみーつぼーい?何だ?ソレ」
アバブはよく訳のわからない言葉を使ってくる。
どうやら、彼女の前世である“日本”の言葉らしいのだが、そこそこメジャーな前世である筈なのに、基本的に彼女の使う言葉は意味不明だ。
なんでも、アバブとウチの弟の居た日本では時代に70年程の差があるらしい。この世界では、6つしか年が離れてないのに本当に不思議なものだ。
しかも、同じ国を前世に持つ癖に、アバブと弟は一つも被るところがない。
時代の差というものは、もしかすると住む世界が違う位、似て非なるものなのかもしれない。
「男が男と出会って恋に落ちるという月並みな話って意味っすよー。色んな事件に巻き込まれつつ、芽生えてく感情とか。月並みっすけど尊く素晴らしいんすよ」
「うーん……こないだ言ってたビィエルというやつと同じものか?」
「まぁ、そんなとこっす」
本格的に結んでいた髪の毛を解き、新たに束ね始めたアバブを前に、俺は真面目に謙虚に流水のデータを纏める。
変化なし、という簡潔なまとめではあるが。
「知らないみたいだから教えてやるよ。見知らぬ男に腕を掴まれたら、ぼーいみーつぼーいどころじゃない。ただ、凄く怖い」
「胸の高鳴りはいつもそこからっす」
「確かにドキドキはしたけど」
「でっしょー?」
アバブは前世は“ふじょし”という、男と男の恋愛を愛し表現する仕事に就いていたらしい。
一度弟に聞いてみたが、そういった職業は、弟の時代には無かったそうだ。
男同士の恋愛を愛し、そして表現する仕事があるなんて驚きだ。
一体どんな職業なのだろう。
研究職のようなものなのだろうか。それとも表現するというのだから画家や作家のようなものか。俺の頭では到底想像がつかない。
やはり他人の前世の話は面白い。