29:弟と家飲み

 

 

           〇

 

 

 

「お前の部屋の癖にちょっと洒落てんじゃねぇか」

「だろ!?」

 

 店で数種類の酒とつまみを買ってきた俺達は、現在、職場から程近い俺の部屋に居た。入った瞬間、アボードの口から出た賛辞に俺の気分は上場だ。

 

「へぇ、あの何もなかった部屋がねぇ」

「ま、特別何か変えた訳じゃないけどな」

「灯りと……香りか?」

 

 言われずとも入口で行儀よく靴を脱ぐアボードは、壁にかけてあった色砂の入ったカンテラを覗き込んだ。カンテラに入れる色砂を調節すると、部屋全体の色味に変化がつく。今から酒盛りだ。どうせなら、色味を少し落として暗めにしてみよう。

 

「へぇ、色砂でここまで変わんのか。最初に調合されてるのから、変えた事なかったな」

「俺も最近変えるようになったんだよ。っと、これならどうだ」

 

 既に酒とつまみを紙袋から出し始めたアボードの手元が一段階暗めになる。カンテラの傍には数種類の色砂を瓶に入れて置いてあるので、気分ですぐに変えられる。壁にかけておけるように小さな棚を設置したので、邪魔にもならない。

 

「この香りは……檜か?」

「ヒノキ?これは北部の針葉樹の香りって聞いたぞ?」

「なんだっていい……懐かしい。良い香りだ」

 

 そう、目を閉じて深く息を吸い込んだ弟の懐かしむ先は、きっと前世のどこかなのだろう。俺の知る由のない世界と、奇しくもこの狭い部屋は何かと繋がってしまうらしい。

 

「さて、飲むか」

「あぁ」

 

 少しばかり穏やかになった弟の姿に、灯りと香りがこうまで人に影響を及ぼすのか、と内心驚くばかりだった。確かに、俺も部屋に少しのこだわりを持ち込むようになっただけで、寝床と称していたこの部屋を愛着を持って“我が家”と言えるようになった。

 

「お前の買ったこの酒、変なのばっかと思ったが、案外イケるな」

「だろ?木を発酵させて作られた酒だ。白割も良いけど、俺のおすすめはロック」

「これは熱燗でも良いだろ」

「アツカン……湯か。悪いが湯は下でしか沸かせん。面倒だ。諦めろ」

「あぁ、そうか。ここ部屋以外全部共同だったな」

「共同と言っても住んでるのは俺一人だけどな」

「おい、沸かして「こないからな」」

 

いつものように「かんぱい」と買った酒瓶を軽くぶつけ合った俺達は、ダラダラと酒を飲む。そういえば、酒場のリストを渡さねばならなかった。俺は、アボードがアツカンを準備しろとうるさくなる前に、これみよがしに手帳を取り出した。

 

「俺は今からお前ご所望の酒場リストを作らないとだから、無理だ」

「クソガキの癖に調子に乗りやがって。まだ、そんな見苦しい手帳使ってやがるのか?貧乏くせぇな」

「うっさい。これは“味”なんだよ。お前みたいなガキには分からん」

「ガキが何言ってんだ、ガキ」

 

 じょじょに酒が回ってきたせいか、俺達の会話の知能はどんどん低くなっていく。しかし、それを聞く者は俺達の他に居ない。兄弟同士、別に恥ずかしがる必要もない。

 

皆の兄貴であるアボードも、ここではただの俺の弟だ。

まぁ、アボード自身は決してそうは思っていないだろうが。

 

「この3つはビス通りにある。3つとも固まってあるから、二軒目、三軒目と店を変える時は便利だ」

「そりゃあいい。ハシゴするのに良いな」

「はしご?」

「いろんな店を続けて飲み歩く事を言うんだよ、ばーか」

「バカとはなんだ、お前がバーカ」

 

酒を片手に酒場のリストを、そこそこ丁寧に書き上げながらアボードに一つ一つ説明してやる。

 内装、雰囲気、出てくる酒の種類、客層。どういう人間が好みそうか。

 俺の説明にアボードは次々と酒を開けながら耳を傾ける。しかし、途中で飽きてきたのか、アボードはふと俺の背にある壁を見て言った。

 

「なぁ、その壁はなんだ?」

「あ?あぁ、これか。良いだろ」

 

そこには今まで俺があの気に入りの酒場で飲んだ酒のラベルが貼ってある場所だ。俺がこの部屋で一番こだわって、一番気に入っている場所でもある。

最初は1枚、この木の酒から始まったラベルも今や十数枚に増えた。それだけ、あの酒場に通って時間が経ったという事だ。

 

「お前センスねぇな」

「お前がないんだろ!よく見て見ろ!いーだろ!?」

「何が良いのか、俺にはさっぱりわからん」

——グチャグチャじゃねぇか。

 

 そう言ってグイと、残り少ない酒を飲み干すアボードに俺はわざとらしく大きなため息を吐いてやった。この無秩序ながらも、統一感のある心躍るラベルの彩りが分からないとは。

 

「別にお前に分かって貰えなくたっていいね。俺は俺のこだわりがあるんだ。ほらよ」

「酒場選びのセンスだけは認めてやるよ」

「えっらそうに!」

「確実にお前よりは偉いんだよ、このクソガキ」

 

 俺の手から乱暴にリストを取ったアボードは、ざっとリストを見直すと「どうも」と彼なりの礼のようなものを口にした。

「ありがとう」だろうが!そう言いたいが、今更なので言わない。俺に対して感謝の言葉など、言う筈もない。

 

「今日泊まってくぞ」

「ご勝手に」

 

 予想はしていたので、俺は欠伸をしながら頷いた。弟用の布団も一応ある。なにせ、アボード自身が勝手に準備したものだ。

酒もなくなった事だし、片づけて寝る準備をしなければ。

 

「おい、シャワー借りる」

「いいけど、今、熱結石が故障しててマナの供給がストップしてるから水しか出ないぞ」

「ちょうど体も熱かったし、水でいい」

 

 アボードがシャワーを浴びている間に部屋を片付けよう。水なんて本当は嫌だが、俺も汗だけでも流すべきだろう。明日はまた夜勤だ。

あぁ、いつ、修理業者が手配される事やら。俺一人しか住んでいない職場の寮の扱いは、本当にひどいものだ。

 

「あ、忘れてた」

「あん?」

 

 1階にあるシャワー室へ向かう為、入口に立ったアボードがハタと立ち止まった。

 

「俺の同僚で、お前に話を聞きたいって奴がいるんだ」

——-会ってやってくれ。

 

 弟の言葉に、若干酔いのまわっていた俺は「ハイハイ」と片手で手を振って応えてやった。

気に入りの壁の一角に、今日買った初めて飲んだ酒のラベルも加えよう。少しずつ広がるラベルの壁。その彩り。そのうち、壁一面、いや天井にだって貼り付けてやりたい。

いいじゃないか。素敵だ。

 

あぁ、明日の夜勤が明けたら、またあの酒場に行こう。

 

 俺はフワフワとする意識の中で、ひっそりと胸が暖かくなるのを感じた。