54:ふじょしの力

 余りの出来事にすっかり忘れていたが、次の日は夜勤だった。あんな事があったので、この世界は終焉を迎えてしまうのかと思ったが、いや、当たり前だが、全くそんな事はなかった。

 

 目覚めた俺は、未だに背中に熱い掌の跡を感じながらぼんやりと目を覚ました。

 

 この世は、今日も平和に皆働いている。

 

 

「うーん、明日どんな顔してウィズと会えばいいんだ」

 

 

 そう、俺は一人ごちると手元の記録用紙にサラサラと記録を取る。

 今日も今日とて、俺は特に変化のない下水道圧の数値とにらめっこしている。

そして、今晩の夜勤のペアも、いつも通りアバブである。アバブとのペアは本当に気が楽なので本当にありがたい。

 

「どしたんすかー、アウト先輩。悩みなら聞きますよー」

 

 そして、こちらもいつも通り数値は一切見ずに、暇を持て余したアバブが俺の方に完全に向き直ってくる。アバブ、お前の仕事は俺の悩みを聞く事じゃないだろう。

まぁ、ありがたいけれども。

 

「ちょっと会うのが気まずい友達……?が居て」

「ハイハイハイハイ!その話全力で聞かせてもらいます!その友達って本当に友達っすか?本当は心の中で、友達の範囲を超えちゃってるとかないですか!」」

 

 いつもの如く、訳の分からないタイミングで興奮し始めたアバブはトレードマークのくせ毛をヒラヒラと靡かせて俺ににじり寄って来た。その目は爛々と輝いており、こういう目を見ると心底好きなモノがあるって、幸せな事だよなぁとしみじみ思うのだった。

 

「アウト先輩は受けの第一必修要素である“鈍感力”を、既に突き抜けてもってる人ですから、きっと自分の気持ちにも気付いてないんすよ!」

「……お、おぉ。そっか」

 

 興奮冷めやらぬと言った様子のアバブに圧倒され、俺は少しだけ背中を後ろに仰け反らせた。若い女の子が、余り男に至近距離で近寄るべきではないと伝えた方が良いだろうか。

 

 いや、しかし、今のアバブにそれを言っても聞く耳を持たないだろう。

 

「そうですよ!絶対そうです!答えは全部、アウト先輩の心の中にあります!」

 

 俺にはアバブが一体何を言っているのか半分も理解できないのだが、何となく的外れな事を言っているような気はしないのは何故だろう。

こう、なんというか。アバブの言葉には謎の説得力で満ちているのだ。さすが、前世が“ビィエル”の研究職なだけある。

 

「いいですか?アウト先輩。友達とそれ以上の関係の壁なんて本当は在って無いようなモノなんです!気付いたら超えちゃってるような、そんな容易いものなんです!後は勇気を出して自分の中の気持ちと向き合うだけなんすよ!」

「ほ、ほほぉ」

 

 まぁ、俺にはアバブの研究している“ビィエル”の事はよく分からないのだが、今、少しだけ勉強中だったりする。もしかしたら、俺もビィエルの研究職に就けばアバブのように他人には見えない何かを見る事が出来るようになるかもしれないからだ。

 

「友達の範囲、壁……」

 

 確かに、友達の範囲や壁、なんて俺は考えもしなかった。そうなのか、友達の壁はあってないようなもの。やっぱり、アバブには俺に見えていない何かが見えているようだ。

 

 だとすれば、俺とウィズって何だろう。

 

 そう問われるとウィズと俺の関係性はかなり曖昧だ。行きつけの店の店主と、その客。

その通りであり、それだけなのだが、それは俺からすればちょっと足りない気がするのだ。けれど、逆に堂々と“友達”を名乗れるのか、と言うとそこまでの自信はない。

 

 ただ、先ほどのアバブが言っていたように“友達”なんてものは壁なんて存在せず、気付いたら超えてしまっているというのは頷ける理論だ。

 

 そうなると、俺とウィズは友達なのだろうか?

 

 

——-あぁ、イン。イン。ずっと会いたかった。

——-お前は俺の幸福そのものだ、イン。もう絶対に離さない。

 

 

 いや、それも昨日の出来事のせいで色々と複雑なモノになってしまったような気がする。あぁ、とても面倒な事になってしまった。

 

「確かにそうかも。友達なのか、何なのか。うーん。俺とウィズって何なんだろ」

「初登場じゃないですか!ウィズさん!もう覚えましたよー!ささっ!アウト先輩、いつものように私に生きる栄養補給を!」

「俺の悩み相談じゃなくなってる……?」

 

 俺の悩みはいつの間にかアバブの生きる栄養補給にされていた。

 

 俺はチラと下水道圧の数値に目をやり、いつものように手元は見ずに記録を纏める。

 変化なし、という簡素なまとめではあるが。

 

「ほら、こないだ言ったあのデカ男の話。覚えてる?」

「忘れる訳ないじゃないですか!前世の幼馴染と勘違いして無理矢理アウト先輩を連れて行こうとしていた運命のデカ男でしょ!」

 

 運命のデカ男。なんだソレは。響きが非常に嫌である。

話を聞いてもらう以上、トウの名前も上げておかねば、今後アバブに話す度に“運命のデカ男”と言いかねない。

それは、嫌だ。本当に嫌。

 

「えっと、そいつ名前さ。トウって言うんだよ」

「トウですね!覚えました!アウト先輩総受け計画一躍を担う二人目、トウ!今リングに上がりました!あっ、もちろん一人目はハイスペイケメンの弟さんですよ!心配しないでください?忘れてませんからね!」

「はいすぺいけめん……」

 

 いつもの如くアバブの口にする単語は大いに意味が分からない。けれども、これはいつもの事なので、前後関係から俺は勝手に意味を模索するしかない。

 

 多分、昔アバブに教えて貰った“ぎょうかんをよむ”能力が試されているのだ。そう、それは、BLの研究職たる“ふじょし”が皆一様に持つ特殊能力らしい。

 

 ここで“ぎょうかんをよむ”事が出来るかどうかが、他人には見えない“何か”を見出せるかどうかに繋がってくる。俺もふじょしになるためには、これくらいで躓いていてる訳にはいかない。

 

「アバブ、ちょっと手帳を出すから待って」

「おっとぉ!こちらは待ちきれないというのに、ここでアウト先輩の天然謎行動!お気に入りの手帳を取り出してここで何をするんだー!はい、どうぞ」

 

 俺はアバブから「どうぞ」と言われる前から椅子に引っかけていた自分の鞄に手をかけると、中からいつものお気に入りの手帳を取り出した。

 

 この手帳には、アバブの言葉から得た“ビィエル”の専門用語と、俺の予想する意味を記録したページも存在する。

確かその中に今聞いた「いけめん」という言葉も記録した覚えがあるのだ。

えっと、なになに。

 

 

【ちょういけめん:暴君】

 

 

 わかった。“いけめん”に“はいすぺ”という言葉がくっついている事を鑑みると、これも大まかに“暴君”と言う意味で間違いないだろう。俺は手帳の“ちょういけめん”の下に“はいすぺいけめん”も書き加えておく事にした。

 

 とりあえず、アボードが暴君だと、アバブは言葉を変えて何度も表現しているに違いない。確かにアイツの暴君具合は手を変え品を変え伝えていくに相応しいものがある。まったく、ふじょしの表現方法は多彩で恐れ入る。

 

 

「アバブは俺から話を聞くだけなのに、本当に物事の本質をよく分かってるなぁ」

「でっしょー!?これこそ腐女子の成せる技っすよ!」

 

 そう言って拳を作るアバブに、やはり俺も早く“ぎょうかんをよむふじょし”にならなければ、と心から思った。そうすれば、きっと他人の不可解な行動や感情を理解するきっかけになるに違いない。

 

 

 そう、あの時の、ウィズの心を知るきっかけになるかもしれないのだ。

 

 

 

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