「さて、約束のモノだが。どうだろう。アウトの絵を僕が描くというのは」
「えっ、えっ。絵をくれるって」
「そう、だから。僕がアウトに、アウトの絵をプレゼンとしよう」
「そんな悪い!こんな下手くそな絵を見せただけで、そんな……」
アズからの余りにも行き過ぎた提案に、俺は思わず持っていた酒を落とすかと思った。もともと、絵をくれるというだけで等価なやりとりとは言い難かったのに、まさかここで俺の絵を描いてくれるだなんて。
「いや、ごめん。こういう言い方が悪かったな。私は今酷くズルい言い方をした」
「へ」
「僕が、キミを描いてみたくなったんだ!」
「なんで!?」
「それが、僕にもわからないんだ。ただ、なんだろう。僕はキミを描かねばと思ったんだよ!」
「説明になってない!」
これが芸術家という生き物なのだろうか。アズは突然アバブのよく見せてくる、あの爛々と輝く目を俺に向けてくると、急に俺の手を両手で包むように掴んだ。
いや、今度こそ酔っているのだろうか。そうに違いない!
そうやって再度、俺はチラリとアズの前に置かれた酒を見てみる。先ほど見た時から一切その量は減っていない。
あぁ、分かっていた。だって、アバブもそうだ。本気で好きなモノを持つ者というのは、それに向き合う時、いつだって酔っているような顔で、その実、心底本気なのだ。
「俺なんか、描いても、きっと」
「楽しいさ!絶対!さて、いつ描こうか!これ、僕の名刺。これを渡しておこう!」
「あ、ハイ」
握られていた両手が勢いよく離されたかと思うと、いつの間にか俺の手にはアズから渡された名刺があった。それはアズが描いたのだろうか。とても荘厳で美しい城の絵が、背景にうっすらと描かれている。
表にはアズの名と、そしてアトリエの場所が記載されている。
裏には地図まで描かれているが、きっとこれもアズのお手製なのだろう。簡略化されつつも、非常にわかりやすいその地図は、地図自体が最早芸術作品のように完成されていた。
いや、アズは多分、いや、きっとこの手の道では相当の手練れに違いない。俺はもしかすると、とんでもない人物とお近づきになってしまったんじゃないだろうか。
俺がアズの名刺を持ったまま固まっていると、俺はまたしてもアズの後ろに細見の美しい若者が立っているのに気が付いた。この彼は一度だけ見た事がある。
そう、彼は。
「アズ、そろそろ帰るよ」
「あぁ、セイブ!いいところに来た!」
セイブ。そう、セイブ。
アズが前世の死ぬ間際まで描き続けた、国王様だ。やはり、セイブは以前と同じように、その身に多大なる気品を漂わせ、圧倒的に他者とは違う風格を見せつけていた。
これでまだ学生だというのだから、末恐ろしい。
「セイブ、彼の事を覚えているかい?僕が以前気持ちよく一緒に酒を飲んだ相手だ」
「……あぁ、あの時の。こんばんは」
「あっ、あっ、こ、こんばんは。あの時は、酒を奢ってもらって、ありがとうございます!」
そうだ、あの時色々あったので記憶から薄れていたが、俺は俺の飲んだ分の酒まで、この若者に支払ってもらったのだ。
あの時の俺は心底酔っぱらっていた為「国王様!!やっぱり器が違うわ!若いのに!」なんて幸運を喜んでいたが、今思うと学生になんて事をさせてしまったのだろうかと思う。
後悔も後悔だ。
しかも、あの日は本当に酒の勢いが早かった為、会計がいくらになったかなど恐ろしくて聞けそうもない。
「セイブ、聞いてくれ。僕は今度、彼を描く事にした!あぁ、この世界に生まれてキミ以外に描きたいと思ったのは初めてで、なんだかワクワクするよ!」
「そうなのか。アズが俺以外の人間を描きたがるなんて、珍しいな。良かったじゃないか。アズが嬉しそうで、俺も嬉しい」
そう言って、二人の世界の中で凄まじい甘い雰囲気を醸し出した二人に、俺は隣でどうしたものかと頭を抱えた。
しかも何だ。アズがこの世界で人物画を描くのが、あの美しい国王様に続き、俺が二人目?
いや、何の冗談だと問いたい。あの頭の上からつま先まで“美しさ”で構成されているような彼ならともかく、何がどうすれば俺なんかを描きたくなるというのか。
「…………」
これは謎の重圧過ぎる。断らなければ。
そう俺が心に決めた時だった。先ほどまで二人の世界に完全に入り込んでいた筈の、セイブ、いや国王様がここぞというタイミングで俺の方へと向き直ってきた。
「ありがとうございます。急に絵のモデルなんてビックリしたでしょう」
「あっ、えっと」
「俺からもお礼を言わせてください。アズがこんなに興奮したように人物画を描きたがるなんて本当に久々で。どうぞ、よろしくお願いします」
声は静かで落ち着いており、その目はどこまで行っても優しさしか見えていないのに、何故だろうか。
——–断れない。コレは絶対に、断れない。
圧が凄まじい。さすがは前世が、一国の主であっただけの事はある。。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
「あぁっ!なんて楽しみなんだ!セイブ、僕が彼を描いたらきっと凄く良いものになると思うんだ!完成したら、一番に、セイブ、キミに見せよう!」
「ああ、是非そうしてくれ」
——-いや、さすがに一番最初に見せるのはモデルである俺にしてくれよ。
言いたいが、言える訳もない言葉。俺は手渡された名刺に目を落とすと、小さく腹を括った。
酒も奢って貰った恩がある。それに絵をくれるというのは本当なのだから、俺にとって何も悪い事はない。こうなったら、絵のモデルも楽しむ事にしよう。
そう、俺がアズの名刺を手に少しだけ気持ちを上向かせた時だった。
「お客様、何になさいますか」
いつの間にか、俺の隣に誰か別の客が座っていた。
すると、すかさず店主はその客へ注文をとりに行く。さすが、ここの店主は何にも気付くのが早い。俺なんて、隣にいつその客が座ったのかさえ気付かなかったというのに。
「隣の彼が飲んでいるものと同じモノを」
そう、静かに俺の耳に響いてきた聞き慣れた声に、俺の呼吸は一拍の後一瞬止まった。この声は、そう、俺の好きな、水の流れるような、森のせせらぎのような。
「……うぃ、ウィズ」
「あぁ、一昨日ぶり。アウト」
壊れかけたドアが軋みながら開くように、俺はゆっくりと隣の客の方へと顔を向けた。
そこに座っていたのは、そう、やはり、予想通りの人物。
ウィズだった。
ウィズの声は至っていつも通り、そしてその顔には、今までに見た事のない程の完璧な笑みを貼り付けている。
あぁ、ハッキリ言おう!最高に怖い!なんだ、この嘘臭い笑顔は!
「一昨日よくも俺に水をぶっかけて逃げてくれたな?」
「あ、ハハ。いや、うん。ほ、ほら、えっと。和らぎ水?追い水?大事って言ってたから」
「そうか、確かにあの時俺は大分と酔っていたようだ。お陰で目が覚めたよ」
「だろ?」
俺がぎこちなく笑いながら頷いた時だ。それまでアズから貰った名刺を持っていた手が、勢いよくウィズに掴まれていた。
「え?え?」
あぁ、ウィズの仕事は、その見た目の細見さと知的さ故肉体労働ではないな!等と言っていたあの頃の俺に心して言いたい。
ウィズの力も中々のもんだよ、と。
何なら、騎士であるトウと同じだけの拘束力を、既に片手だけで発揮しているのだから。
「さぁ、アウト。二人で色々と話そうじゃないか」
「は、ハハ」
「まずは、2日間も店に来なかった言い訳から聞こうか。大丈夫だ、俺は記憶力がお前と違って良いからな。メモを取らずとも記憶できる」
——–さあ、どうぞ?
そう言って笑みを浮かべるウィズの姿に、俺は何故か非常に、心の底からの恐怖と、何故だか少しの懐かしさを覚えていた。