63:先生

 

 

「さぁ、どうぞ?」

 

 

 そう、どこか舞台に上がる役者のように俺に向かって差し出された左手の優雅な動きに、俺は不覚にも見とれてしまっていた。

ただ、そんな舞台を夢中で見つめる観客のような気持ちは、もちろん長くは続かなかった。

 

 それはそうだろう。

「さぁ、とうぞ」と差し出された右手と反対の手は、俺の右手首をこれでもかという力で握りしめているのだから。その力強さはまるで「他人事を気取るんじゃない」と釘を刺しているようだ。

 

 俺は突然隣に現れて、明らかに怒ってしまっているウィズにゴクリと口の中に溜まっていた唾液を呑み下した。ウィズは笑っている。

 

 笑っているにも関わらず、全く笑っていない。これは一体どういう事だ。

 

「ほら、俺は聞くと言っているじゃないか。それとも何か?酒が足りないか?だったら俺が次の酒を頼んでやろう。もちろん俺の奢りだ。気にするな。この店はウチと違って繁盛している。きっとあのマスターの接客が素晴らしいからだろう。きっと、今もこちらを気にしていないフリをして、様子を伺ってくれている。お前が頷けば、声を掛けずとも、きっとすぐに来てくれるだろうさ」

 

 こわっ。

 一体どこで息継ぎをしたのか分からない程滑らかな口調で、ウィズは一気に捲し立てる。実際に気付かれぬよう、接客の一環としてこちらを伺っていたに違いない、この店の店主にとっては良い迷惑だ。

良かれと思ってやっていたであろうに、こんな事を言われてしまっては、たとえ俺が頷いたとて、直ぐに此方に来るのは憚られるに違いない。

 

「えっと」

「ん?」

「まだ、その。残ってるから」

「そうか、なら無くなったらすぐに注げるように、ボトルごと貰っておこう」

「いい!いいから!」

「遠慮するな、今日はこれから長く二人で話す事になるんだからな」

 

 そう言って、顔に張り付けた笑顔を湛えたまま、ウィズが俺に向むけていた手を店主に向かって上げようとした時だった。

 

「先生?」

 

 俺の意識の場外から声がした。

 それも、とっておきの美声。そして、それは俺を助ける天使の声

 

 だと思いたい。

 俺の視線の先には、先ほどまでしっかりと二人の世界に閉じこもっていた筈のアズとセイブが驚いたような顔でこちらを見ていた。そう、先ほどの美しく透き通るような声は、セイブのものだ。

 

「ウィズ先生」

「先生?」

 

 今度はハッキリとウィズの名前に“先生”を付けて呼ぶセイブに、俺は思わず手を掴まれた状態のまま、セイブとウィズの両方を何度も見比べてしまった。見比べて思う事は、この二人の容姿は全く異なるにも関わらず、どちらも眩しい程美しいなという、現状と全く関係のないことだった。

 

——-あぁ、太陽と月みたいだ。

 

 そう、俺は置かれている謎の現状の中、頭の片隅でぼんやりと思う。

 セイブが太陽のような眩しさを放つ若者であるとするならば、ウィズは月のような静かな眩しさを放つ男だ。

 

 二人とも眩しいが光の種類が異なる。これは、もしかすると大発見かもしれない。

 

「太陽と月って?」

 

 すると、何故か俺が今しがた思った事をアズが尋ねるように口にしてきた。

あぁ、これは、まさか。

 

「もしかして俺、口に出てた?」

「出てたよ。二人を見比べて太陽と月って。どういう意味だい?」

 

 そう、どこか興味深そうな様子で尋ねてくるアズに俺は少しだけ気恥ずかしい気持ちでアズから目を逸らした。考えてみれば、俺にしては物凄く詩的な事を思ったものだ。知らず知らずに口に出てしまうくらいには、俺はこの二人の美しさとその眩しさに見とれてしまっていたらしい。

 

「二人とも、眩しいくらい綺麗だな、美しいなって思って」

「眩しいくらい……確かにそうだね」

 

 アズも俺の言葉に同じく興味深げにセイブとウィズを見つめる。その目は俺のような何も考えていない呆けた目ではなく、芸術家として、画家としての審美眼を研ぎ澄ましたような目だった。

この目に見据えられたら、並みの人間はきっとたじろいでしまうだろう。

 

 しかし、やはりというか何というか、ウィズもセイブもアズの鋭い審美眼に一切の動揺を見せる事はなかった。二人ともこういった目に晒される事には慣れているのかもしれない。

 そう、きっと美しいという事はそう言った様々な目に晒される事と同義なのだ。好意も悪意も、本人の意思とは関係なく呼び寄せる。

その“眩しさ”が故に。

 

「同じように眩しいんだけど、眩しさの種類が違うなって。セイブ君は、太陽の光みたいに眩しくて、そして、ウィズは」

——月を見てるような眩しさだと、思ったんだ。

 

 そう、俺がぼんやりとした気分でウィズの方を見ると、何故かその瞬間、俺を捉えていたウィズの目が明らかに動揺の色を滲ませた。先ほどのアズの目には澄ました顔をしていた癖に、何故ここで動揺するのか俺にはさっぱりわからない。

 

「はぁっ、もう、いいか」

「へ?」

 

 すると、それまで俺の手首を力強く掴んでいたウィズの手が力なく離れていった。どうやら、多少ウィズの怒りも収まってくれたらしい。手を離された後、ウィズがあの張り付けたような嘘臭い笑顔を浮かべる事はなかった。

 

「ははっ、確かにそれは言い得て妙だ。それに、あながち間違っていないのが面白い!アウト、君は見る目がある!それに芸術家の才能もありそうだ!」

「え、そう?俺、そんな才能あった?」

 

 アズからの予想外の賞賛に、俺は思わず口元がニヤけてしまった。なんと言っても本物の芸術家に褒められたのだ。悪い気はしない。

 

「それで、アウト。そんな月のような眩しさの彼は、どちら様かな?さっき、セイブが先生と呼んでいたようだけど」

「あー、えっと。っていうか、あれ?先生?」

 

 アズからの問いかけに、俺は思わずウィズの方を見た。そこには先ほどまでの動揺したウィズの姿は消えて無くなり、いつものスンとしたウィズの顔があった。

 そう言えば、確かに先ほどセイブがウィズの事を先生と呼んでいた。これは一体どういう事だろう。

ウィズはビヨンド教の神官だった筈だ。

 

「セイブ、君はまだ未成年の筈じゃないか?」

「先生、俺はここで酒は一口も口にしていませんよ。ただ、連れとの待ち合わせに使わせてもらっただけです。先生こそ、こういった店にいらっしゃるなんて意外でした」

 

 目の前で交わされる、まるで教師と生徒のような会話に、俺は一切付いていけなかった。そんな俺の視線に気付いたのか、ウィズは小さく溜息を吐くと、自身の手元にあった酒に一口だけ口をつけた。

 

「言っただろう。俺はパスト本会で教会図書館を担当する神官だと」

「うん。だから頭良いのかなって思ってた」

「……アウト、お前は本当に教会に興味がないんだな」

 

 ウィズが心底呆れたような目で俺を見てくる。どうやら、その説明で普通だったら合点のいくところらしい。いや、しかし本当に興味がないので仕方がない。多分、こうしてウィズと出会わなければ、俺は一生教会と関わる事はなかっただろう。

 

「アウトさん、ウィズ先生はとても凄い先生なんですよ」

「へぇ、そうなんだ。教えるのが上手とか?っていうか、何の先生?」

 

 そう、突然俺に向かって口を開いてきたのは、意外にもアズの隣に立つセイブだった。

 

 セイブの前世は一国の王様だ。アズの話によると大国ではなかったようだが、大国だろうが小国だろうが、一国を率いていた人物から難なく「凄い先生」と称されるウィズは、一体どんな先生なのだろう。

 

 俺は関心がてらウィズを見てみると、そこには頭を抱え深い溜息を吐くウィズの姿があった。