71:窓掛け

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『ウィズ。一緒にインを探そう』

——–この世界のどこかに居るインを、共に。

 

 

 頭に木霊する俺の言葉。あぁ、あの日、俺はグラス1杯で酔っていたのだろうか。

あぁ、そうに違いない。でなければ、何故あんな無責任な世迷言を口に出来るだろうか。

 

「探すって、どうやってだよ」

 

 目覚める度に、問う。もちろん、自分自身に。

 そして、答えは今日も出ない。そりゃあ、そうだ。俺はマナも皆無の一般人以下なのだから。

 

 俺はムクリと布団から体を起こすと、大きな欠伸を一つ洩らし自問自答に対し答えた。

 

「わからん」

 

 わからないが、今日も1日始まってしまった。今日は休みだ。休みだが、こんな状態では二度寝は難しそうだ。どうせ、昼過ぎにはアズのアトリエに行かねばならない。それなら、このまま起きて、また街に出かけようじゃないか。

 

「さむっ!」

 

 絵のモデルなんて何を着ていけばいいのか、そう悩んでいたが起きた瞬間決まった。

 うんと、厚着をしていこう。おしゃれなんか知らん。今日はとても冷えているようだ。ただ、天気だけは抜群に良さそうで安心した。

 

「っ」

 

 俺は窓掛の隙間から漏れ入る光に思わず目を細めた。その窓掛はここに入った時に、取り急ぎその辺の店で買った適当なものだ。あれから数年。大分色褪せくたびれてきた。

 

「っは!窓掛か!」

 

 俺は毛布から体を飛び起こすと、急いで窓掛の元へと駆け出した。何の変哲もなく真っ白だった遮光の窓掛も、今や黄ばんで見目が悪い。

 

——–いい店があるんだ、この先に行ったところにある……そう、アロングという店で。

「中央通りにある、アロングって店だったよな?」

 

 その時、俺は“あの日”出会った前世との狭間で迷子になっていた男性が口にしていた言葉を思い出した。あぁ、そうだった。そうだった。アロングという店は良い窓掛の店だと言っていたではないか。

 俺はそのまま黄ばんだ窓掛を勢いよく開け放つと、今日の予定に一つ新たなモノを足す事にした。

 

 

「そうだ!窓掛を買いに行こう!」

 

 

 窓掛を探すついでに、インを探す方法も見つかるかもしれない。

 俺は、そんな安易で安直な考えが頭を過るのを止められないまま、急いで寝衣を脱ぎ捨てた。

 

 

 

 

         〇

 

 

 

 

 今日も今日とて皇都の街は賑やかだ。

 

 あぁ、皆、休みなのに早起きだ。最近まで、休みの日は酒場に行く時間までゴロゴロと寝て過ごしていた俺とは大違いである。けれど、この明るいうちから外に出るという事の魅力を、俺も最近になって知った。

 

 明るいというのは、それだけで心が浮足立ってしまう。

 冬の晴れ間は貴重だし、それに冬は寒いが、そのお陰で空気は澄んでいて呼吸をするだけで清々しい気持ちになる。

 

 俺は今までとてつもない損をしていたようだ。

 

 それに、こうして予定があるのも楽しい。窓掛は自分の予定だが、絵のモデルはアズとの約束だ。こうして誰かとの約束があると、その日一日が凄く意味のあるものに思える。

 絵のモデルなんて初めてで緊張するが、今から緊張していても仕方がないので、今はぼんやりとしたその緊張も楽しむ事にした。

 

 そして、夜はもちろん。

 

「ウィズ、今日は南部の100年前の酒を出すって言ってたもんなぁ。100年前……あぁ!100年前の酒なんて信じられん!」

 

 俺は昨夜、ウィズがカウンターから出してきた酒を思い出しながら、朝の光で踊っていた胸が、更に激しい演舞を披露し始めたような気分になった。もう踊り狂っていると言っても過言ではない。

 

 

——インに、会いたいっ。

 

 

 そう、子供のような口調で肩を震わせたウィズは、あの日以降、俺の前であんな表情を浮かべる事はパッタリとなくなった。

店に行けば、ウィズはいつものような皮肉交じりの静かな声で出迎えてくれる。

なんなら最近よく店にやってくるトウも同様で、俺を“イン”と呼ぶ事はなく、至って普通だ。

 

 

『なぁ、アウト。今日はアボードが、また弟希望に告白されてたんだぜ?それが、また癖の強い奴でさぁ!』

『アウト、部屋の香油入れは定期的に掃除をしろ。でないと、そのうち部屋が丸焼けになるぞ』

 

 

 二人とも俺を“アウト”と呼び、俺を“アウト”として扱ってくれる。

 ウィズの事だ。きっとトウにも裏で何か伝えてくれているのだろう。

 

「普通……か」

 

 至って普通とは言っても、きっと二人の中では相当な葛藤と迷いがあるに違いない。しかし、それを表には出さず普通を貫いてくれる。無理もしているだろう。

 けれど、今はそれが正解だ。そうしている内にきっと慣れる。何故なら、どうしても俺は“イン”ではないのだから。

 

「……はぁっ」

 

 二人が俺の何に“イン”を感じているのかは分からない。何故なら、俺が聞いても二人は前世の話をしてくれないからだ。

だから、俺は未だに“イン”の事は名前くらいしか知らない。どんな性格で、何が好きで、何をしてあの二人と共に過ごしていたのか。

 

「まぁ、いつか会えたら、分かるだろ」

 

 俺はどこからやってくるのか、自分でも分からない程のインへの邂逅の確信に、いつも頭を捻らせてしまうのだった。

 何も根拠はないが、俺はいつかインと出会う。だから、出会ったら本人に聞けばいい。

 

 でも、そこまで考えていつも思うのだ。

 

 インが戻ってきたら、そこに俺の“居場所”はあるのだろうか。ウィズはインだけを待っている。インだけを見つめている。そこにインという一片がハマった時、どうしてだろうか。

 

 その二人の傍に、俺の姿は無い。

 

 そこまでが、俺の中にある謎の確信だ。

 その謎の確信を思い浮かべる度、俺の心はヒュッと音を立てて冷たい風が吹き抜けていったような感覚に襲われる。

 

 先ほどまで激しい舞踊を舞っていた俺の心が、今やヒンヤリと冷え込んで蹲ってしまった。

 

「あぁ!やめだ!楽しい事だけ考えるぞ!まずは、窓掛だ!窓掛!」

 

 俺は道の真ん中で嫌な予想を振り払うように、ブンブンと頭を横に振ると、肩にかけていたいつもの横掛けの鞄を反対側の肩へと掛けなおした。

 

「窓掛の店って、多分この辺だよな」

名前は、確かアロング。

 

 

 そう、俺が通りの両脇にある店に視線を彷徨わせた時だった。