72:破廉恥男

 

 

「オネーサン!可愛いねぇ!どう?今日暇なら、俺と遊ばない?なんなら!」

——俺の子供産んでくれない?

 

 

 

 俺の耳に、清々しい朝には似つかわしくない衝撃的な言葉が飛び込んで来た。どこか間延びしたその口調は、軽薄そのもので一切の本気さが感じられない。

 

 俺の子供を産んでくれ?あ?朝から何言ってるんだ?どこのどいつだ!そんな不埒なヤツは!相手が嫌がっていたら、絶対に自警団に駆け込んでやる!

 

「もう!冗談ばっかり!今日はダメだけど、明日だったらいいわよ?」

「えぇ!俺ってば、今日キミと居たいのにぃ!ね?ダメ?」

 

 困ってなかった。全然、困ってなかった。

それどころか、満更でもなさそうというか、むしろ嬉しそうだし、明日はどうかと提案している。

 

 俺は茫然と声の主へと視線を合わせると、それはもう納得の絵がそこには出来上がっていた。

 

「…………くぅ」

 

 俺の目に映った光景。

 そこには頬を染めつつ笑顔で応対する可愛らしい女性。

 そして、その女性の前に立つ男は、それはもう憎らしい程顔が良かった。髪の毛は燃えるような赤毛で、毛が柔らかいのかその髪は無造作でありながら、その実とても軽やかでその男の華やかな風貌に、とても似合っている。

 

「ムカツク」

 

 どこからどう見ても、女性が好みそうな眉目をひっさげた男の様相に、俺は何故かどっと疲れてしまった。

 

「俺、北部のド田舎から急にこんな都会に仕事で連れて来られて、知り合いも誰も居なくて寂しいんだぁ。オネーサンみたいな、可愛い女の子と居たら、この俺の孤独も癒されるかと思って」

「まぁ、なんて可哀想なの!」

 

 あぁ、なんて不条理。

 俺の頭に過った純粋な正義感を返して欲しい。

 

「やっぱりこの世は、顔か」

 

 そう。もし、同じ事を同じように俺があの女性に言ったとしたら、きっと即自警団を呼ばれて連れて行かれてしまうだろう。

これは、あの赤毛の男が女好きのする眉目と、あの服の上からでも分かる程美しい線の体躯の合わさった、“あの”男だからこそ許されているのだ。

 

「オネーサン、ね?寂しい俺の心を埋めて、元気な俺の子産んでくれない?」

 

 付け加えるなら、しっかりした体躯の割にその顔に浮かべる子犬のような幼さも、女性に警戒心を抱かせない重要な点だろう。

あの男は、母性本能を上手く操っている。

 

「……末っ子め」

 

きっと、この男は末っ子だ。そうに違いない。甘え方がプロだ。年季が入っている。きっと前世から、家族に溺愛のもと育った末っ子の権化に違いない。

 

「はぁっ、もう行こ」

 

 俺はあの赤毛の家族構成と生い立ち、果ては前世までひとしきり頭の中で勝手な想像を巡らすと、未だに「元気な俺の子産んで」という、恐ろしいまでに不埒で明るい言葉をペラペラと放つ男から視線を外した。

 今日は、俺の部屋を彩る素敵でとっておきの窓掛を探さなければならないのだ。

 

「顔、か」

 

 俺は辺りを見渡しゆっくりと足を進めながらふと思った。

 顔が良いと言えば、俺の人生で1番の顔の良さを誇るのはウィズだ。きっとウィズなら、あの男のように「俺の子を産んでくれ」と頼んでも、自警団を呼ばれる事はないだろう。

まぁ、ウィズは死んでもそんな事言わないと思うが。

 

言わないとおも――

 

——-俺の子を産んでくれないか。

 

「危険!」

 

 脳内に居る俺の中のウィズが、勝手に現実味を持ったカタチで再現されてしまった。しかも想像した俺が恥ずかし過ぎて、思わず叫ぶ始末。

 突然、道の真ん中で叫び声を上げた俺に、往来の人々が怪訝そうな顔を向けてくる。

 

「っあ、えっと」

 

 いけない、いけない。俺みたいな普通なヤツが、突然叫び声を上げたら、それはもう“普通なヤツ”から降格されて“危ない奴”だ。それこそ自警団を呼ばれてしまう。

 

 俺は熱くなってしまった顔の火照りを冷ますべく、しっかりと深呼吸をした。冬の冷たい空気が一気に体の中へと取り込まれる。

 

「っはぁぁぁ」

 

 少しだけ落ち着いてきた火照りに、俺は次いで沸いてきたウィズへの罪悪感に苦笑した。あぁ、本当に想像とは言え申し訳ない想像をしてしまったものだ。ウィズなら、むしろ女性の方から「貴方の子供を産ませて」と頼まれる方が、可能性としてはまだ高い。

 

「ともかく、世の中は顔だ。顔」

 

 俺がこの世の一つの真理に辿り着いた時、ちょうど通りの脇に【アロング】と描かれた看板の店を見つけた。

 

 

「……わぁっ!」

 

 

 俺は思わず歓声を上げてしまった。

 何故って、その店の外観があまりにも俺好みだったからだ。

 

 年季の入った赤茶色の石造りの店構えは、長い歴史を思わせ、それだけでどこかおしゃれな出で立ちをしている。

店の上に掲げられた【アロング】という看板も、上手く崩されているが読めない訳ではない絶妙な文字の形をしており、店名の横にはシンプルながら特徴的な窓掛の絵が描いてあった。風になびく窓掛の様が、とても軽やかに描かれたその看板は、店の外観と妙に合っており、それだけでこの店が、あの男性の言っていたように「とても良い店」だと分かった。

 

「ちょっと一枚、描画させてもらおう」

 

 気に入った。とても気に入った。ここは本当に素敵な店のようだ。まだ入っていないが、これだけで分かる。

 

 俺は素早く鞄から写出砂と手帳を取り出し、店の外観をジッと見つめた。その瞬間、現実世界の店と同じものが俺の手帳に描画される。

もう、慣れたものだ。

俺は手帳に映し出された、新しい俺の“お気に入り”を見つめると、良い気分で手帳と写出砂を鞄に仕舞い込んだ。

 

 さぁ、俺の部屋に会う窓掛を探しに行こうではないか!