73:教訓

 

 

 

「すごい!」

 

 ここは魔法使いの店だろうか!

 俺は店の両脇に所狭しと並べられた窓掛の山に感嘆するばかりだった。窓掛とはこうも色柄の種類が豊富なものだったのか。

 店内に並ぶ窓掛は、色とりどりも色とりどりで、まるで花屋にでも来たかのような感覚に陥った。

 

「いらっしゃいませ。ごゆっくりどうぞ」

 

 感嘆する俺の前を女性店員が通り過ぎざまに笑顔で声をかけていく。

そんな彼女の仕事用の前掛けは、どこか水彩具で描かれたような淡い色合いの花が全面に描かれており、その合間には鳥の絵も描いてあるようだった。

 

 

——-素敵な前掛けですね。

 

 

 思わず零れそうになる言葉を、俺は寸での所でせき止め、ペコリと頭だけ下げた。先ほどの思考回路のせいで、顔の良くない俺のような男は何を言っても自警団を呼ばれるのでは?という何とも荒唐無稽な不安に襲われたのだ。

 

 そんな事、ありはしないのに。

 ありはしないのか?

 

「……いや、もうそれはいい」

 

 ともかく、この宝の山から俺だけの宝物を探し出さねば。俺は両脇に吊り下げられた窓掛を一つ一つじっくりと見ていった。それぞれ色柄も異なる上に、触れてみると布の素材により手触りも異なる。

 もしかすると、これは半日、いや1日仕事かもしれない。午後からはアズとの約束もあるし、今日は決めきれないかも。

 

「あ、これ」

 

 ふと目にとまった窓掛の柄に俺は思わず声を上げた。そこには先ほどの女性店員が前掛けに使っていた柄と同じ柄の窓掛が掛かっていたのだ。あぁ、随分特徴的な前掛けだと思ったら、窓掛を仕立て直したものだったか。

 

「ふふ。そっか、そっか」

 

 そんな小さな発見と宝探しのようなワクワクした気分で店を見回っていく。

すると、しばらくして店の奥で、目を奪われるような感覚に陥る窓掛があった。

 

「っ」

 

 それは全面薄い紺色で、その中には無数の星が描かれていた。そして、何より窓掛の端には丸い月も描かれている。

その窓掛は、美しい“夜”だった。星空と月。それはまるで、ウィズと酒場まで歩いた、まるであの日のような“夜”。

 

「いいな……コレ」

——-そうだ。コレにしよう。

 

 そう、俺が本能的にその窓掛に手を伸ばした時だった。

 

「うん、うん。いいね、いいねぇ。俺もそれ良いと思うよぉ」

「っ!?」

 

 俺の耳元で声がした。しかも、それはつい先ほど聞いた、俺に謎の劣等感と女性への恐怖感を抱かせた、あの――。

 

「えっ!?えっ!あれ?なに?」

「コンニチハ」

「あっ、こんにちは?」

「ぶはっ!笑う!挨拶返してきたよ!」

 

 そう、何故か俺の目の前に居たのは、先ほどの「俺の子産んで」の破廉恥男だった。やはり、その顔には軽薄そうな笑みを十分に湛え、俺を見て大笑いをしている。

女性相手の時と明らかに違うのは、俺に向けるその笑みには圧倒的に見下すような色が含まれている事だろう。

 

「な、なんですか?」

 

 俺は笑う赤毛の男に、思わず肩に掛けていた鞄の肩紐の部分をぎゅっと握り締めた。一体なんなんだ、この男は。

 

「いや、アンタさっき外で俺の事見てたっしょ?」

「う」

「あんまりコッチ見てるから気になってたらさぁ。なんで、見てた?」

 

 そう言って、笑顔の奥に鋭い威嚇を感じた俺は、キュッと心臓が縮むような恐怖を感じた。確かにあの時は色々と妄想し過ぎていたせいで、長い事彼らを見ていたかもしれない。ただ、向こうからバレているなんて欠片も思わなかった。

 

 

「えっと」

「なぁ、なんで?」

 

 そう、身長差のせいで腰を折って小馬鹿にしたように再度尋ねてくる男に、俺は乾いた口を一瞬唾液で潤し、口を開いた。

 

 

「だって、俺の子供産んでって……聞こえてきたから」

 

 

 言いながら、俺は一体何を口にしているのだろうと我に返った。適当に誤魔化せばよいものを、本当に思った事をそのまま口にしてしまった。恥ずかしいにも程がある。

顔が、熱い。

 

「ぶっは!はははっ!なんだ!お前、ただの坊やか!」

「っな!?」

 

 そう、突然腹を抱えて笑い出した赤毛の男に、俺は顔に集まっていた羞恥の熱の中に、怒りの熱が交じり合うのを感じた。

 

“坊や”それは、性経験のない男を指す言葉だ。

いや、刺す言葉だ!俺は今、顔の良い、女に全く困らないであろうこの男に、男としての自尊心をグサグサと鋭い刃物で刺されたのだ!

 

「坊やって言うな!」

「ぶふふふ!もうっ!止めて!反応の全てが完璧なる坊やっ!笑わせないでっ!そういう事ね!ごめんね!刺激強い言葉に反応しちゃった訳ねー!ぶっはははは!!」

「~~~~っ!俺は、坊やじゃない!」

「嘘つけ!この坊や!っははは!死ぬ!坊やに笑い殺される!」

 

 坊や、坊やと何回も何回も口にしやがって!俺の方こそ刺殺されそうだ。

 

 あぁ、もうどうしてこんな事になった?俺が羞恥と怒りの入り混じった感情で赤毛の男を睨みつけていると、男は目尻に溜まった涙を指ですくった。泣くほど笑うとは。本当に腹の立つ男だ!

しかし、その仕草が、驚くほど美しく感じられてしまって、俺はまたしても腹が立ったのだった。

 

「いやいやぁ、なんかあんまりジッとコッチを見てるもんだからさぁ。なんか、俺に文句があるのか、はたまた、あの娘に恋する片想い男かと思ってね。気になって見に来たんだ」

「そうかよ!じゃあ、俺はどっちでもないから、もうあっちに行ってくれ!」

 

 俺はもうこの男に関わりたくなかったので、フイと顔を男から逸らした。すると、何故か男はその軽やかで真っ赤な髪を靡かせ、俺の横へと顔を近づけてくる。

 

 何だ、この距離感の近さは。末っ子だからか。

 

「そう言うなよ?お前に付いて来てみたら、良い店入ってくしさ。俺も最近コッチに来たばかりで、部屋を飾るモノが欲しかった訳よ」

「じゃあ勝手に好きな窓掛でも探してたらいいだろ」

「好きな窓掛ねぇ。そうだな、了解した」

 

 男は俺の隣で何か企んだような表情を浮かべると、次の瞬間「オネーサン!ちょっといいですかぁ?」と突然声を上げた。俺がとっさに男の顔を見上げると、そこには俺を横目にニコリと笑う赤髪の男。

 

——-ま、まさか。

 

 俺が迫りくる嫌な予感に苛まれていると、すぐに店の奥から「はーい」と、素敵な前掛けをした、あの女性店員がやってきた。

 

「オネーサン、この窓掛をください」

「なっ!?」

「この窓掛素敵ですねぇ!俺凄く気に入りましたよ」

 

 女好きのする笑みをこれでもかと浮かべ、やってきた女性店員にペラペラと軽い口調で話す男に俺は驚愕で閉口するしかなかった。しかも、やって来た女性店員はこの男の見目の良さに目を奪われ、俺の存在になど一切気付いていない様子ではないか。

 

「あぁ、この窓掛ですね!とても素敵ですよね。西部で作られている特産品で、もうこの1点しかうちでも取り扱ってないんですよ」

「っ!!!」

「そうなんですねぇ。良かった。これって運命かもしれませんね?」

——-俺達の出会いみたいに。

 

 そう、女性店員に甘い声で囁く男の声など、俺の耳には届いていなかった。俺の耳に反響するように残っているのは、そう、あの女性店員の言葉。

 最後の1点。

 そう、この窓掛はこれしかないのだ。

 

「あっ、えっと……」

 

 ただ、目の前でトントン拍子に進んでいく購入の流れに、意気地なしの俺は何も声を上げる事が出来なかった。女性店員の目には、最初から最後まであの男しか映っていないし、男は男でその、抜群に女好きのする眉目を遺憾なく発揮する合間に、チラリと俺を見ては笑いを堪えているような表情を浮かべている。

 

 しかも、最後に男が放った言葉が俺の心を崖の淵から突き落とした。

 

「オネーサンのその前掛け素敵ですね!凄く似合ってますよ」

 

 俺の思った事をそのまま甘い言葉で伝える男。それに対し女性店員を見やると、そこには花の咲くような笑みをフワリと浮かべ、頬を染める姿があった。

 

「っそ、そうですか?嬉しい!これ、ここの窓掛の端で作った、手作りなんです!」

 

 知ってる。あそこにあった綺麗な窓掛の事ですよね。俺も素敵だなって思いました。

 なんて、意気地の無い俺には絶対口を挟めない。

 

 あぁ、今日俺は学んだ。

 

「へぇ、手作り。家庭的なんだ?素敵だね。俺、キミの事好きになっちゃいそう」

「っへ?」

「俺、北部の田舎から越してきたばかりで、寂しいんだ。ねぇ、今夜仕事終わり会わない?そしてさ、」

——–俺の子供、産んでくれない?

 

 俺はその瞬間、此方を見てバカにしたように笑ってくる赤髪の男に背を向けると、勢いよくその場から駆け出した。未だに火照る顔が熱いのは、怒りからか、それとも羞恥からか。俺の事なのに、俺にも分からなかった。

 

「くっそぉぉぉ!」

 

 ただ、俺は往来を大声を上げながら駆けつつ思った。いや、学んだ。

 

「思った事はその場で伝えるべき!欲しいものはちゃんと欲しいと声を上げるべき!」

 

ここぞと言う時の、勇気は

 

「持つべき!」

 

 昼間の皇都の人が多く行きかう中央通りを、俺は駆け抜ける。大声を上げる俺に、人々が何事かと一瞬俺を見る。こんなの、ただの“危ない奴”だ。けれど、叫ばずにはおれなかった。

 

 叫んで、俺は俺の中に刻みつけなければ。

今日、学んだ事を忘れないようにしなければ。

もう手に入らない。

あの、素敵で美しく、夜空のような窓掛。“彼”のように、静かで、美しい窓掛。

 

「欲しかったよぉぉぉっ!」

 

 俺は目尻に微かな水分が溜まるのを感じながら、走れなくなるまで通りを駆け抜けて行った。