76:偶然、弟

「お前、なんで此処に居んだよ」

「げ、アボード……」

 

 そこにはいつもの騎士の制服ではない、私服のアボードが立っていた。俺の正直な表情筋はアボードを認識した瞬間、きちんと自分の仕事を全うした。

つまり、物凄く嫌な顔をした。

 

「あ゛ぁ!?クソガキの癖に生意気な!」

「だから!クソガキって言うな!」

 

 またしても兄である俺を“クソガキ”扱い。なんという暴君なのだろうか。

いや、待てよ。アボードのような暴君を指す多種多様な表現方法を、俺はアバブから受け継いだではないか。

 喉まで出かかっているのに、出てこない。そう、確か、確か。

 

 あぁ、出てこない!気持ち悪いったらない!

 

「っは!お前なんてクソガキで十分だ!どうせ、お前の事だ。またこの時計台に来てたんだろ!」

「そうです、そうです。その通りですけど何か!?」

「昔からよく言うよな?バカと煙は高いところが好きって」

「何だそれ!聞いた事ないし!」

 

 出会い頭になんたる罵声。そして燃え盛る兄弟喧嘩。俺達は一体何歳までこの手の喧嘩を毎度毎度勃発させれば気が済むのだろうか。

 

——-というか、なんでアボードがここに居るんだよ!

 

 そう思った瞬間、俺はすぐにその答えに行きついた。

 

「あぁ」

 

 チラと時計台の隣を見てみれば、そこはつい最近赴いた建物。そう、この時計台は騎士宿舎や訓練所のすぐ傍なのだ。俺としたことがすっかり忘れていた。

 

「……はぁっ、もういいや。じゃ、アボード。またな」

「オイ!待てよ!何勝手に行こうとしてんだ!?あ゛ぁ!?」

 

 そう、不毛な兄弟喧嘩を止め立ち去ろうとした俺に、アボードの怒声が響き渡る。ついでに立ち去ろうとした俺の首根っこを掴むもんだから、俺の首は勢いよく空気の供給を止めてしまった。

 

 これでは、立ち止まらぬ訳にはいかない。

 

「もうっ!なんだよ!?俺、これから行く所あるんだって!」

「はぁ!?行く所ってどうせ酒場だろうが!偉そうに予定あるみたいに言ってんじゃねぇよ!」

「っぐ、そうだけど!」

 

 アボードは鼻から俺の予定が“誰か”としたものではなく、一人で酒場に行く予定だと決めつけてくる。その為の横暴。暴君。

そう、暴君の表現方法は――。

 その瞬間、俺は喉まで出かかっていた言葉が一気にスルリと出てくるのを感じた。

 

 ——–まったく、コイツはなんでこうも“ちょういけめん”なんだ!この“はいすぺいけめん”め!

 

 あぁっ!スッキリした!

 俺はさっそくアバブから習ったふじょしの多様な表現を用い、心の中でアボードを罵ってやった。もちろん口には出さない。何故なら、殴られるからだ。

 

 平和主義者の俺は無駄な暴力は好まない。

 ……まぁ、殴られる方の暴力は誰だって好まれはしないだろうが。

 

「ちょうど良かった。俺も飲みてぇと思ってたんだ。今日はお前の酒場飲みに付き合ってやるよ」

「ええええ!嫌だ!」

「うるせぇっ!テメェに拒否権なんかねぇんだよ!こないだ良い酒持って行ってやっただろうが!」

「ってぇぇぇ!」

 

 言いながら既に一発殴られた。言っても言わなくても殴られるなら、潔く口に出して罵っておくんだった。

俺は殴られた頭を手で覆いながら、その場に蹲った。確かにこないだは自分では絶対買う事の出来ない和酒をご馳走してもらったが、もらったが!

 

「今日は俺の秘密の酒場に行くからダメ!」

「はぁ?お前、まだそんなガキみたいな事言ってんのか?お前、もういくつだよ」

「25歳ですけど!何なら今年で26歳になりますけど!」

「うわぁ、26歳で秘密の酒場とか言ってやんの。そんな事言ってっから、お前はいつまで経ってもガキなんだよ」

「う、うるさいっ!いいんだよ!男には秘密の場所が必要なんだ!」

 

 そう、俺を呆れかえったような表情で見てくるアボードに俺はフイと顔を逸らした。アボードの言う“ガキ”という言葉と、今朝、あの赤毛の男に言われた“坊や”という言葉が妙に重なってダメージが深い。

 

「年なんか関係ないだろうがっ!」

「んだよ、何本気になってんだ」

 

 しかも、未だに殴られた後頭部がジクジク痛む。アボードの拳は本当に時間経過と共に痛むのでたまらない。アボードはそんな俺などお構いなしに、俺の肩に腕をかけると、無理やり俺と共に歩きだした。

 

「お前、もう分かってんだろ?俺が行くっつったら行くんだよ」

「なっ、なっ!」

 

 その余りの暴君、いや“ちょういけめん”具合に、俺は最早言葉を無くした。あぁ、俺の弟は、なんて“はいすぺいけめん”なんだ。こんな“ちょういけめん”他では見た事もない!

 

 俺が内心本気でアボードを罵声していると、アボードはなんとも言いにくそうな表情で俺から視線を離した。

 

「まぁ、アレだ」

「あ?」

「俺はお前の事は心底ガキだと思ってっけどよ、酒場選びだけは認めてやってんだよ」

——-前教えて貰った酒場、どれも最高だったぜ。

 

 そうやって、ニッと歯を見せて笑うアボードに、兄たる俺は昔からとても弱かった。それはもう、種類は異なるが今朝のあの赤毛の男の子犬のような表情と同じ効果を発揮する。そう、この末っ子達の顔は、母性本能ならぬ兄性本能を擽るのだ。

 

「くぅぅぅ」

 

これだから末っ子という奴は、質が悪い。しかも、アボードは赤毛と違ってわざとやっている訳ではないのだからたまらない。

 

「わかったよ……ただ、そこは本気で他の奴には秘密だからな」

「わかってるって!」

——-お前って本当にチョロイな。

 

 

 そう、笑いながら言うアボードに俺は気分がちょっとだけ良くなるのを感じた。この“ちょろい”という言葉は、よく俺がアボードの言う事を聞いてやった時に、アボードが使う言葉だ。

 

 この“ちょろい”はなんだか音が可愛らしいので好きな言葉だ。

 状況から察するに、これは「良い奴」とか「兄らしい」とか「頼りになる」という意味だと思う。だから、俺は普段は素直ではないアボードがこの言葉を使ってくると、ちょっと気分が良いのだ。

 

「さて、俺の最高の酒場に案内してやろうじゃないか!」

「おう!さっさと連れてけ!クソガキ!」

 

 そう、俺達兄弟二人が灯りで明るく色付き始めた街に繰り出そうとした時だ。

 

 

 声が聞こえた。

 それも、最近どこかで聞いたような声。