78:オレのもの

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 あのね、オブ。

 

 この“かいちゅうどけい”をね、オブから貰った時ね、お母さんとお父さんにバレたら返してきなさいって言われるから、家では俺の秘密の場所に隠してたんだ。

 

 だから、最初はお父さんとお母さんにはバレてなかったんだよ。

 けど、ある日ニアに見つかっちゃってね。

 

 予想通り、ニアがこの“かいちゅうどけい”を気に入っちゃって。ほら、コレ月みたいで綺麗でしょ?だから見つかった後は、物凄く大変だったよ。

お兄ちゃんちょうだいちょうだいって。もう、本当にうるさかった。

 

 普段ならね、オレ、お兄ちゃんだから我慢するんだよ?いつも我慢してニアにあげるんだ。けど、これだけは絶対にあげたくなかったら、勝手に取ろうとするニアに『ダメ!』って怒ったの。

 

そしたら、ニアったら大泣きしてさ。

 

 あんまり泣くから、お父さんにもお母さんにもこの“かいちゅうどけい”の事がバレちゃって、すっごく怒られたんだ。こんな高価なモノ貰って来たらダメだって。返してきなさい!って。

 

 最初の方に、オレが“かいちゅうどけい”を返そうとしてた時あったでしょ?あれ、綺麗でオレが持ってたら汚しちゃうかもっていう心配があったのと、お父さんとお母さんが返しなさいって言われたからなんだ。

 

 でも、オブはこれはもうオレのだって言ってくれた。

嬉しかった。オレ、オレだけのって何も持ってなかったから。いつもニアと分け分けで使うか、ニアにあげないといけないかのどっちかだったから。

 

でも、でもね。

 

 あの、オレが風邪を引いた時、もうオレダメかもって思って、そしたら“かいちゅうどけい”をオブに返さないといけないって思ったんだ。でも、体は全然動かないし、苦しいし、どうしていいか分からなくって。

 

 だから、取られるかもしれないって心配だったけどニアに頼んだんだ。

 

 コレをオブに返してきてって。

 おかしいよね。ニアはオブの事知らないのに。会った事もないオブに返してって言われても、困るよね。

 

 けど、その時はオレ、そんな事も分からなくなってて、ニアに頼むしかないって思った。

 

 そしたら、ニア。ちゃんと偉くて、コレをフロムに渡して、フロムがオブの所に行って返してきてくれた。

 それなのに、オレは元気になってオブに会うまで、もしかしたらニアが“かいちゅうどけい”を取ったのかもって疑ってた。

 

 ニアはちゃんと我慢して、自分で考えてオブに時計を返してくれてたのに。良い子なんだよ。それに凄く可愛いんだ。本当に、ニアはオレの自慢の妹なの。

 

 

だけどね。

 

 

『――だけど、』

 

 そう言って、少しだけ表情を歪めて、僕の渡した懐中時計を見つめるインに、僕は釘付けになっていた。

 あぁ、インのこんな顔も初めて見る。初めて見る表情。

 

『どうしても、コレだけは上げたくない。分け分けで使うのも嫌。だって、コレはオブがオレにくれたんだ。だから、ニアがどんなに良い子でも、オレがお兄ちゃんでも、あげたくない』

『イン』

 

 両手で大事そうに力いっぱい握り締められる懐中時計に、僕の胸はパンと、また何かが弾けるような音を立てた。インが僕の渡したモノを、大事な妹にすら取られたくないと言う。

 

 そんな独占欲に戸惑うインの表情もまた、僕だけのもの。

 

これは僕の独占欲。

 

 

『ニアはそんなのいらねーよっ!』

 

 すると、それまで一人でどんどん上を目指していたフロムが、いつの間にか僕達の居る一つ上の枝まで降りて来ていた。そのままフロムは自分の立っていた枝に手をかけると、足をぶらつかせながら、器用に僕達の座る枝まで飛び降りた。

 

すごい、どうしたらこんなにも身軽に、不安定な場所で着地が出来るのだろう。

 

 僕がぼんやりとした気持ちで、フロムの身のこなしに関心していると、フロムが下りて来た衝撃で枝が大きく軋んだ。その拍子に、僕の体は勢いよくふらついて後ろに倒れそうになる。

 

『オブ!』

 

 その瞬間、インの手が僕の背中を素早く支えてくれた。お陰で、僕は木の枝から後ろに落ちて痛い目を見る事はなかった。

 

『フロム!気を付けろよ!オブが落ちちゃうだろ!』

『ったく、だらしねぇな!オブ!』

『フロムが悪いんだろ!急に下りてくるから!』

『なんだと?イン、やんのか?』

『いいよ!やってやるよ!』

 

 僕はインに背中を支えられたまま、目の前で起こるインとフロムの喧嘩にぼんやりと思った。この二人はどうして、こんなに枝の上で平気で動いていられるのだろうか、と。

 

 最近読み始めた医学書で、僕は体の構造を知った。こういった体を支えるのに主たる力を発揮する部分を“躯幹”というらしい。“躯幹”とは、四肢以外の胴体の部分。躯幹を鍛える事が体の安定性を高める事に繋がると、人体についての頁には書いてあった。

 

『走るだけじゃ、ダメなのか。そうか』

『イン?』

 

 僕の呟きに、先ほどまでフロムと口論していたインが、目を丸くして僕の顔を覗き込んでくる。

 

『イン、ありがとう。僕、自分の体くらい支えられるようになるよ』

『えっ、うん?』

『そして、フロム。僕はお前より先に頂上に到着できるようになるから見てろよ』

『っは!金持ちぼっちゃんのオブに、そんな事できっかよ!』

 

 そう、鼻であしらうように笑うフロムに、僕の心は熱くなった。フロムは本当にちょうど良い僕の目標であり、通過点だ。このフロムについていけるようになった時、僕はきっと今度こそインを支えられる男になっているに違いないのだから。

 

 これも、僕の中の絶対だ。

 

『そうやって余裕こいてられるのも今のうちだ』

『へーへー!楽しみにしてるよ!お前がマシになってる頃には、俺はもっと強くなってるだろうよ!その頃にはニアに結婚を申し込むんだ!そしたら、俺はニアにはそんなのなんかよりも、もっと良いモノ渡してやるんだ!』

 

 その瞬間、それまで僕の隣で座っていたインが勢いよく立ち上がった。その顔は、僕がまたしても初めて見る顔。インがフロムに怒る事はよくあるけど、今日のこの顔はまたいつもと全然違う。

 インは静かに怒っていた。

 

『フロム。降りろ。よくも、オレの宝物を“そんなの”って言ったな。今日は許さない。絶対にお前を泣かせてオブの前で恥をかかせてやる』

『イン、お前。一回も俺に喧嘩で勝った事無い癖に、そんな事よく言えたな!いいぜ!降りろよ!やってやる!』

 

 今にも枝からひとっとびで地面に飛び降りて取っ組み合いの喧嘩を始めんとする二人に、僕はどうしたものかと考えた。インが僕のあげた懐中時計をバカにされて怒ってくれているのは嬉しいが、このままではいつものようにインはフロムにボコボコにされて泣きを見る事になるだろう。

 

 インはフロムより、圧倒的に体の大きさも力も足りないのだ。