79:謎の衝撃

 

 

『なぁ、フロム』

『なんだよ?オブ。止めても無駄だぞ。俺は今インをボコボコにしなきゃ気が済まないんだ』

『こっちだって同じだ!』

『イン、ちょっと待って』

 

 僕は怒り心頭と言った様子のインを片手で静止すると、フロムの方を見た。本当なら僕が強ければ、僕がフロムと喧嘩をしてやっても良いのだが、それだとインより悪い負け方をするのは目に見えている。

 だとしたら今は別の方法で止めるしかない。

 

『フロム、お前、この懐中時計より良い物をニアに渡して結婚するって言ってたけど、具体的に何をやるつもりなんだ?』

『なにって、そりゃあ、えっと……羊とか、畑とか』

 

 僕の問に至極真面目な顔で答えるその内容に、僕は『あぁ、これがこの村の婚姻に際して渡されるモノなのか』と地味に頷いてしまった。

 

『なぁ、ニアはそれをやって喜ぶのか?』

『そりゃあ喜ぶだろ!羊は乳も出すし、土地は耕して畑にすればいいんだからな!そしたら、もっと沢山のレイゾンを育てて沢山売ればいい!俺がたくさん働いてニアに良い暮らしをさせてやるんだ!』

『でも、フロム。これをよく見ろ。ニアが泣いて欲しがったこの懐中時計を。キラキラして綺麗だろ?元来、女性はこういったモノを好むものなんだ。美しいものを嫌いな女性は居ない』

『……そりゃあ、そうかもしんねぇけど。時計なんかあっても、使い道ねぇだろ!』

 

 そう、ムキになって叫ぶフロムに僕は鞄から【きみとぼくのぼうけん】第3巻を取り出した。

 

『都では男が女性に結婚を申し込む際、指輪を渡すんだ』

『ゆびわ?』

『そう、指輪だ。見た事あるだろ?主人公がファーと話す為に手に入れた、指にはめる綺麗な輪ッかだよ』

 

 フロムと、そしてインが二人して本を覗き込む。そう、この【きみとぼくのぼうけん】で、主人公がファーと話す為の不思議な道具として、最初に登場するのが、この魔法の指輪だ。二人は実物は見た事がなくとも、物語でその存在は認知している。

 

『こんな輪ッか貰って喜ぶのか?女は』

『喜ぶさ。良い値段のする指輪なら、そりゃあキラキラと美しい宝石が付く。それに、これを相手に送る事は“永遠に一緒に居ましょうね”っていう誓いになるんだ』

『……っ!永遠に、一緒?』

『そう、そして。これは逆もまたしかりで、互いに指輪を交換し、はめ合う事でそれは互いの約束になる。なんなら、この指輪をしている事は、自分はこの指輪と同じモノをしている人のモノですって証になるからね。ニアは可愛いんだろ?それなら、そう言ったものを渡しておくのは凄く大事だと思うんだ』

『そうかっ!そうだな!確かにそうだ!』

 

 僕の説明にフロムは途端にその顔から怒りを消し去ると、そのまま勢いよく木の枝から飛び降りた。それはインとの喧嘩の為ではない。ただ、居ても立ってもいられなくなった感情が、そのまま行動として現れてしまったのだろう。

 

 フロムは感情と動作がいつも同じ瞬間に現れる。つまり、非常に激情型なのだ。

 

『うおおおお!俺は絶対にニアにゆびわを渡して永遠を誓ってやる!!』

『フロムー!指輪は高いからなー!ここで賢明に働いててもいつ買えるか分からないぞー!』

『そうか!そうだ!俺は!そうだ!絶対に金持ちになってやる!ニアは俺のだっていう一番高いゆびわを渡す!うおおお!』

 

 フロムはそのまま勢いよくその場を駆けだすと、叫び声を上げながら来た道を帰っていった。もしかすると、そのニアに会いに行ったのかもしれない。いや、絶対にそうだろう。そして、将来絶対に指輪をプレゼントしてやると誓いに行ったに違いない。

 まぁ、8歳のニアに上手く伝わるかは非常に疑問だが。

 

 こんなに感情と行動が共に現れる事が出来るなんて、感心してしまう。

 

 そう、僕がフロムの後ろ姿を木の上から見送っていると、隣で本を覗き込んでいたインが少しだけ動くのを感じた。

 

『イン?』

『いいなぁ。永遠に一緒の約束』

 

 そう、僕のあげた懐中時計を見つめながら呟くインに僕はそっと開いていた本を閉じた。

 

『インも指輪が欲しいの?』

『ううん。オレはこれがあるからいい。これがいい』

 

 インが指輪を望めば、僕は指輪を渡すつもりだった。

今ではない。将来の話だ。僕が僕の力で得たもので、インの望むモノを渡したい。けれど、インは未だにその手の中にある古めかしい懐中時計を大事そうに撫でる。

 “宝物”そう、インは先ほどフロムに言った。

 

『そんなのでいいの?』

『そんなのって言うな!』

 

 僕の言葉に、インが一瞬泣きそうな顔で僕を見る。あぁ、そうだ。これはインの宝物だったんだ。僕のあげたこれは、インの“大切”なのに、僕はなんて事を言ってしまったんだろう。

 

『ごめん、イン』

『……オブには沢山のとけいの一つかもしれないけど、これはオブがくれた、初めてのオレだけの物なんだ。だから、そんなのって言うな』

『そう、だったね。ごめん。本当に、ごめん』

 

 ぎゅっと握り締めるインの手の中にある懐中時計を、僕もそっと触れてみる。こんなにインから大事にされるなんて、そう思うと可笑しな事に、僕は時計にまで嫉妬してしまっていた。きっと僕がフロムなら、この時計を取り上げて思い切り遠くに投げ捨てているだろう。

 

 けれど、僕はそんなバカな真似はしない。したら、きっとインに嫌われるから。僕は行動と感情が、きちんと別々に動いている理性的な人間なのだ。

 

『大丈夫、この時計はインだけの物だよ。他の誰でもない、僕がインに上げたものなんだから』

『……うん』

『時計は会いたい人とすれ違わないようにする為だって言っただろ?時計は時間を刻むもの。だから、この中にも永遠がある。指輪と同じ』

『……うん』

 

 うん、うん、と静かに頷くインのうなだれた首筋を、僕はジッと見つめる。夏はきっと日に焼けていたであろう肌も、冬の今となっては日焼けの跡はなくなり、白い、白い肌となっている。

 

——あぁ、きれいだ。

 

 僕は一体、何に目を奪われているのだろう。走ってもいないのに、少しだけ早くなる鼓動に僕は口の中に溜まった唾液を、静かに飲み下した。

 

『……ねぇ、イン。インが永遠に一緒に居たい相手って誰?』

『……っ』

 

 僕はインの首筋に目を奪われながら尋ねていた。答えの分かっている筈の問をわざわざ尋ねるなんて、僕は本当に意地が悪いと思う。

 

『……そんなの』

 

 モゴモゴとはっきりしない言葉を紡ぐインの首筋は、徐々に白色からピンク色へとその色を変えていった。

あぁ、あぁ、もう。大切、大切過ぎて、どうにかなりそう。

 

『イン』

『っは、はずかしい』

 

 そう言って真っ赤にした顔でこちらを見てくるインと目を合わせた瞬間。

パンと、頭の中と心臓が音を立てて弾けた気がした。それも、今までのパン!とは比較にならないような大きくて、凄い衝撃のヤツ。

 

『っう、うわ』

 

 バカな僕は思わず、座っていた木の枝を握りしめていた片方の手を、うるさく鳴り響く心臓に当てるのに使ってしまった。

 もう片方の手はインの持っている懐中時計に触れている。その瞬間、まだまだ躯幹のユラユラな僕は一気に均衡を崩し、

 

 

落ちていた。

 

 

 そう高くない枝から落ちるその一瞬の間に、僕は改めて思った。

 

あぁ、躯幹を鍛えないきゃ、と。