「ウィズ……ごめん!」
俺は店に入るなり、驚いた表情でこちらを見てくるウィズに向かって頭を下げた。そんな俺の後ろでは二人の体躯の大きな男が二人、店を見渡して口々に感嘆の声を上げている。
本当ならば、この瞬間「ほらな!良い店だろ!?」と我が物顔で自慢してやりたい所なのだが、ウィズの反応が怖すぎてそんな事出来やしない。
「あの、えっと、こいつらは勝手に付いてきたというか……なんというか」
尻すぼみになる俺の言い訳染みた言葉。
結局、あの後、俺を坊や呼ばわりするバイという赤毛の男は、殆どアボードに付きまとうようなカタチで店へと付いてきた。どれだけ俺が「付いて来るな!」と叫んでも、バイは一切俺の言う事に耳を貸さなかった。
——なァんで、俺がお前みたいな坊やの言う事聞かなきゃなんねーんだよ!
そう言ってハッキリ俺を見てバカにしたような笑みを浮かべてくるバイに、俺は今朝の激震が蘇るのを感じた。ただ、走った激震がバイを退ける事は全く出来なかった。
そう、そうなのだ。いつの時代も末っ子というのは上の言う事など聞きはしないのだから。
「アウト」
「っは、はいぃぃ!」
俺は静かに名を呼んできたウィズに思わず身を縮こまらせてしまった。ウィズは怒っているかもしれない。ウィズは本来インの為にこの酒場を作ったのであって、客商売がやりたくてやっている訳ではないのだ。
——-俺が……接客が苦手で。
——-酔っ払いは性質が悪い。店を荒らしてくるし、うるさいし。
俺はウィズの言葉を頭の中で反芻させると、更にウィズの顔が見れなくなってしまった。きっとウィズはこの店が賑やかになる事など望んでいない。それなのに、俺はアボードだけでなく、あろうことか、こんな赤毛の破廉恥男まで店に連れてきてしまった。
あぁ。こんなことなら、100年前の酒は諦めて明日、一人で改めて来ればよかった。
そう、今更何を後悔したって遅いのに、俺の頭の中では後悔ばかりが渦巻く。しかし、次の瞬間、俺の耳に飛び込んできたのは予想外の言葉だった。
「何を謝っている?」
「へ?」
「お前の知り合いなんだろう。別に構わないさ」
「……ウィズ」
そう、なんて事のない様子でカウンターから声を掛けてくるウィズに、俺はなんとも形容し難い感情に襲われるのを感じた。
俺の知り合いだから良い、そう言ってくれた事に対する優越感。いや、誰と比べて優越感を感じているんだという感じではあるが、確かに俺は今ハッキリと優越感を感じてしまった。
そして、
「ほら、早く座れ。お前ら全員、酒を飲みに来たんだろう?」
「いえええい!マスター!酒!酒!」
「お前って、ほんっと酒場選びのセンスだけは誰にも負けてねぇよな」
そう言って、固まる俺の背をバン!と勢いよく叩いてくるアボードに俺は思わずふらついた。
そう、そうなんだ。ここは俺の一番お気に入りの酒場で、大好きな空間で、大切な場所なんだ。俺の理想の酒場なんだ。そうだろ?すごいだろ?
言ってやりたい言葉はたくさんあるのに、どれも口をついて出てこない。よろけた拍子に、視界が床を移す。ただ、よろけただけ。転んだりした訳ではない。
なのに、どうしてだろう。前を向いてウィズの所へ行くのが非常に躊躇われた。
「…………くそ」
あぁ、俺は悔しいんだ。俺の知り合いだから良いと言ってなんて事ない顔で受け入れたウィズの判断が、なんとも悔しい。
だって、ここは俺が見つけたお気に入りの、俺だけが知っている酒場だったのに。こんなに簡単に他人を受け入れるなんて、ちょっと面白くない。
あぁ、俺は一体ウィズにどうして欲しかったんだ!受け入れて欲しかったのか、そうでないのか!あぁ、訳が分からん!
そう、俺が自分の感情に大きく振り回されている時だった。
「おい、アウト?どうした?」
「う、うわ!?」
いつの間にか俺の目の前には、どこか心配そうな表情を浮かべるウィズが立っていた。余りにも俺が動かないものだから、ウィズが心配して来てくれたのだろう。この距離にウィズが来るまで一切気付かないなど、俺はどれ程まで自分の思考に潜ってしまっていたのだろう。
「大丈夫か?」
「だ……」
大丈夫。そう俺はとっさに口にしようとした。けれど、それは口を吐いて出る事はなかった。
その1!思った事はその場で伝えるべき!
そう、それは今日得たばかりの教訓ではないか。俺は拳をしっかりと握り締めると、勢いよく顔を上げ、ウィズの目を見た。急に合わせられた視線に、ウィズの瞳には戸惑いと驚きの色が強く表れる。
「俺だけの酒場だったのに!俺のだけの秘密の場所だったのに!」
「は?」
「アイツら、特に赤毛のヤツは無理やりついて来たんだ!ここは俺だけのお気に入りだったのに!もう!なんで、ウィズ!追い出してくれないんだよ!」
最早、子供の駄々だ。分かっていても、俺は敢えて止めなかった。思った事はその場で伝えないと意味がないと学んだから。
——-素敵な前掛けですね。
——-その窓掛!俺も欲しいです!
たった、それだけが伝えられなかった。だけど、それが俺の中でずっとしこりとして残っている。だから、この気持ちも伝えていこうと思う。不格好で、子供で、支離滅裂な、この想いを。
もう、心にしこりを残すのは懲り懲りだ。
「ウィズのバカ!俺以外入ったらダメって言えよ!うるさいから出ていけって言えよ!っはぁっ!っはぁ!ウィズのバカ!くそ!」
「そうか」
最後に一回地団駄を踏んで、俺はウィズの顔をもう一度見た。カウンターの方からはアボードとバイの「なんだ、ありゃ」とか「坊やの方がうるせぇじゃん」と、口々に呆れた言葉を放っている。
ただ、俺にとってはアイツらの言葉なんてどうでも良い。勝手にクソガキでも坊やでも好きに言ってろ。俺にとって重要なのは、ウィズの言葉だ。
「俺は、お腹が空いた!今日1日何も食べてないんだ!」
「そうか」
そうか、というその声。そこには、顔を見なく手も分かる程、ウィズの優しさと、そして。
「っふ、っははは!そうか。そうか。もう気は済んだか?」
「済まない!今日は嫌な事がいっぱいあったんだ!」
そして、既に堪えきれない程の笑いが込められているようだった。いや、堪えるもなにも、ウィズは既に大笑いをしている。腹を抱えて笑うウィズは。また久しぶりに見た。前回見たのはいつだっただろうか。
いや、もうそんな事はどうでも良い。
「っははは!わかった、わかった。何があったか聞いてやろう。食べ物も出してやる。100年前の酒も準備は出来ている。さぁ、座るんだ。アウト」
「……うん」
そう言って、俺の頭にポンと乗せて言うウィズの手は、やはり美しくて暖かかった。ウィズは未だに俺の髪の毛が濡れていないか、こうして癖のように確認する。
あれほど俺はインではないと言ったのに。けれど、それを言ったらウィズに言われた。
——-アウト、お前も髪の毛を濡らしてくるだろう。
これが本当に“アウト”を見てしてくれているのか、やはり心の中では“イン”にしてくれているのか。“イン”を知らない俺には分からない。けれど、ウィズがそう言うなら、俺はこの手を、“俺”に対してしてくれているのだと、信じるしかない。
「はぁ、すっきりした」
「っふ、そうか。良かったな」
俺はウィズの隣を歩きながら、心の中のしこりがすっかり無くなっているのに気付いた。あぁ、やっぱり言いたい事はその瞬間に口に出すというのは大事な事らしい。俺は教訓とその成果を同時にこの身に焼き付けながら、きっとこれからはそうしていこうと心に誓った。
本当に、心にしこりが残すのは、もう嫌だから。
そうやって、俺がそっと自身の胸に手を当てた時。
バン!と店の扉が勢いよく開く音が聞こえた。その音に、俺とウィズはとっさに店の入り口へと振り返る。すると、そこにはまたしても、見慣れたいつのも人物が立っていた。
「なんだ?今日はえらく賑やかだな!」
そう言ってニッと笑顔を浮かべて入って来たトウに、俺は心の底から息を吐いた。
まぁ、たまには賑やかなのも悪くはないか。